◆作り出すことと産み出すことと。        2008年6月23日(月)
 「私たちの場合は作り出していったという感じですが、芸術家というのは産み出すんだと思いました。」
これは昨日、辻幹雄さんのコンサートのあとロビーで聞いた言葉です。「上手く言えないとですが・・・」という
前置きのあとその日に私たちが舞った神楽舞で感じたことですと、熊野大社から来て下さった大西権祢宜
が私に伝えてくれました。芸術家かどうかはさておき「作り出す、と産み出すのではどう違うんだろう。」と考えて
いたのですが、
今朝ふと思ったのです。
 「作り出す」のは技です、人間の技術や知力などを使って意識的な作業と言ったらよいでしょうか、ある意味で
人工的な作業ですよね。
一方「産み出す」というのはもっと肉体そのものから発する非常に動物的な作業と言ったらよいでしょうか。
知力や技術とは関係なく、命の活動の中から条件が整ったときに自然発生してくる、人間に限らず太古の昔から
綿々と受け継がれてきた命そのものの作業です。「芸術とはそういう物ですね。」と言われたのだと思いました。
大西権祢宜は熊野日記でもご紹介しましたが、私が振りを付けたお神楽の男舞「熊野」を舞われた方です。
その舞は邪心がなく実に堂々とした大らかな舞でした。
その彼からの言葉はとても率直に私たちが大切にしなければいけないことを伝えてくれたと思います。


 
◆東京オリンピックはいらないよ。  
2008年6月6日(金)
 
オリンピック招致に命をかけているような石原さん。薬まみれの選手達、水着や用具の先進的な技術競争、
政治的な利用、もうけ主義などなど、もう人間の能力を純粋に競うものでなくなって久しい。
あなたはそんなオリンピックの一体どこに魅力を感じるのですか。
 最終候補の4カ国に残ったと言って喜んでいるようだけれど、4割以上の人が反対している状況で何が何でも
招聘というのはおかしな事です。騒がしいお祭り騒ぎにはかなりの人達がうんざりしているのではないか。
少しのんびりしませんか。オリンピックの数週間の為に費やす時間と費用を、私たちの未来について考える
為に使ってみては如何でしょう。莫大な費用をかけなくてもいろいろなことが出来ると思いますよ。
 その中にはオリンピックの意義を改めて考える為にも、もっと純粋に競技を楽しむようなスポーツの祭典など
があっても良いと思うんだけれど。例えば一流選手に50年前の水着を作って着て貰ったり、昔の用具を使って
協議するなど、それで果たしてどれほどの記録が出るものか、なんて面白い企画になると思うなあ。




◆迷うようなことなのか。       
2008年5月29日(木)
 
クラスター爆弾の全面禁止条約案がダブリンの国際会議で正式採択されようとしている。
子爆弾の不発弾による一般市民の痛ましい非人道的な被害が問題になって久しい。
先日もテレビの報道番組に、何処の国の人か忘れてしまったが不発弾処理に携わっていた元兵士が
出演していた。国際会議を前にして製造・使用禁止を訴える為に来日していたのだが、彼は処理作業の最中に
不発弾が爆発し両手足を失ってしまったのだ。「被害を受けた本人はもとより、家族が受ける様々な苦痛の
大きさにもっと目を向けて欲しい」と訴えていた。両手足を無くした日々の生活がどのようなものか、
ちょっと想像力を働かせれば誰にも判ることだろうに。
特に何も知らないこどもが地面に落ちている不発弾に触れ、死んだり手足を失ったりする事故が後を絶たない
と聞く。原爆とはまた違った悲惨なダメージを与えるこの様な武器が、競うように年々より精密に、より強力に
なるように研究され開発されている。軍需産業は密かに、より高度な技術を持って今なお拡大しているのだ。 

 ところが、この様な非人道的な武器に対して我が国の政府は米国との関係を重視する余り使用禁止に不合意
の姿勢を取ってきた。ここに来て漸く合意へと方向転換することに決めたようだが、まだ毅然とした姿勢とは言えない。
人道面と安全保障面のバランス、と言うがこの両者は天秤に架けるようなことなのか。
先の大戦での悲惨な体験で得た平和への指向を、我々は今こそ世界に向けてアピールすべきではないか。

周りの情勢をみながら行動するのでは情けない。
平和憲法・9条を持つ私たち日本が世界の軍縮に向けてリーダーシップを取って欲しいものです。
 そして実は日本の空・陸自衛隊も800個を超えるクラスター爆弾を所有しているのです。




◆欲しいもの            
2008年5月24日(土)

 
こどもの頃の我が家はかなり貧しくて、家族が日々食べていくことで精一杯の状況だった。
まだ小学生だった昭和30年代の前半は、我が家ばかりではなく日本中の多くの人達が、
それぞれに戦争の後遺症を抱えて懸命に生きていた時代だった。
それはこどもの我々にも親の背を通してちゃんと判っていたのだった。

 復興半ばで皆が必死に生きていたし、その時々に子供心にお金が無いと判っていても、
それは当たり前のこととして、それ程は惨めな思いもせずにいられた。


父は戦場で受けた傷がもとで体調がすぐれず仕事も思うに任せない状態だったので、母はあの
頃はまだ珍しい共働きで仕事に出ていた。母の仕事が長期で地方に行く事が多く、私は妹と二人
、夜遅くに帰ってくる父を食事を作って待つ日々も珍しくなかった。でもそれは仕方のないことと
思い、食事の用意などそれなりに自分たちに与えられた仕事が誇らしくもあり、寂しくはあっても
辛かったという思い出はない。

 今でも鮮明に覚えているのが父と母に連れられて珍しく外食をしたときのこと。
吉祥寺だったか、デパートのような所の食堂に入ったのだが、注文したのは私と妹の分だけ。
運ばれてきた料理を見て、妹と私が両親に「どうして自分たちだけなの?」と聞くと、二人は
「自分たちはお腹がいっぱいだから良いのだ」と言って私たちが食べるのを見ているだけだった。
親たちが嘘を言っているのでは何となく想いながら、でも久し振りに食べる外での食事が嬉しかった。
この出来事は今も心の隅にほろ苦い思い出として残っている。

 当然、おもちゃなど欲しいものがあっても買って貰えず、クリスマスや誕生日にはもしかしたらと
淡い期待で日々過ごしたものだった。自転車は親戚から貰った女物のお古、グローブも欲しかった
けれど矢張り買って貰うことは出来なかった。ところがたまたま公園で遊んでいたときに見つけた
落とし物のグローブを交番に届けたら、一年後に期限が来ても落とし主が現れず警察から連絡が
来て自分のものになったのだ。期限前の数日、あと何日で自分のものになる、と指折り数えて待った
ことがつい昨日のことのように鮮明に覚えていて懐かしい。そのグローブは自分の宝物になった。
嬉しくて毎日グローブを持って遊びに出掛けたものだ。

 ところで私には他にも欲しいものがあった。それはトランスの操作で動かせる模型の汽車や電車。
親戚のお兄さんが持っていて欲しくてたまらなかったのだが、我が家の暮らしではあまりに
高価なものでついに買って貰うことは出来なかった。私は吉祥寺にあった模型屋に行くたびに、
いつか自分で買うんだとショーウィンドーに飾られていたそれらの模型を眺めていた。
我慢しなければ、辛抱しなければ、待たなくてはいけないことを否応なく学ばされたと言って良い。

何故こんな事を書くのかと言えば、昨日のワークショップでこども達に「何か欲しいものがある?」
と聞いたときのこども達の反応からだ。何人かのこどもからは「靴が欲しい。」とか「犬が欲しい」とか
欲しいものが上がってきた。だが、かなりのこどもは戸惑った表情で「欲しいものは別にない」という。
「えっ?欲しいものがないの?」と重ねて聞いても「特にない」という。
欲がないのか、それとも欲しいものは皆手に入っているのか。多分後者だろう。
これは実は今回に限ったことではなく、こども向けのワークショップでは良くあることなのだ。
何でも欲しいものは買って貰えているこども達、それは果たして幸せなことなのだろうか。

今のこども達の多くが我慢できない、辛抱できない、待つことが出来ないというのが判る。
何でも直ぐに意のままになったのでは、ちょっと意のままにならないときに待つことが出来ず、
我慢や辛抱が出来なくなるのは当然の結果だと言える。
ここは親がしっかりとこどもに言い聞かせて待つ、我慢する、辛抱することを覚えさせないと
成長してからえらいことになってしまうだろう。

 たまたま今日の朝日の夕刊に、最近の大学で親の過保護が目に余るという記事が載っていた。
既に自分の判断で動けず、我慢も辛抱も待つことも出来ない大人がいっぱい育っている。
ところで今朝、欲しいものだらけの小学生の娘に「何でも買って貰えるのって良いと思う?」
と聞いたらちょっと考えて「良くないよ」という。
「何で?」と聞くと「それじゃ目標が無いじゃない」って。
小学校二年生ながら頼もしい答え。貧乏暮らしも良かったな、と思えた朝でした。
でも、ちょっと出来すぎな答えかな。親の期待している事をちゃんと判っていっているのかも。




◆母の日に                  
 2008年5月11日(日)

 父がいて母がいて自分がいる。 この当たり前のことをつい忘れてしまう自分がいる。
いま、日に日に記憶を失っていく母がいる。 そんな母につい辛く当たってしまう自分がいる。
その母の下の世話をしながら、自分はこの腹から生まれてきたんだと思う。

 我が家の茶の間には若い母と父に挟まれた私が2歳くらいの時の写真が飾ってある。
戦争で九死に一生を得て復員した父のことを、若々しいときがあったんだという母のことを、
そして二人に命を貰い、苦労し育ててくれ、さんざん迷惑をかけてきたことを思い出すために。

 日ごとに幼児のようになっていく母、昔自分にしてくれたように今は母の世話をする。
一日に話す言葉は限られている。「お腹が空いた」「オシッコがしたい」「痒いの」、
なんだか判らないけれど「お願いしまーす」。
寝るときに布団を掛けながら「おやすみ」と声を掛けると「おやすみ」と答える。
 
 母との間に会話といえるものはもうほとんど無い。一日何も出来ずに車椅子に座って、
時間が過ぎ、食事をし、排泄をし、そして眠る。そんな母を看ながらふと思う。
今一体何を考えているのだろう、一体考えるなんて言うことが今の母にあるのかなと。
でも実は何も判らないような顔をして
、自分や家族のことを見ているのではないかと。

 人は何のために生きるのか? 母は? 何の楽しみもないのに。
今私が言えること、母はこの私のために生きているんじゃないか、と。 
いつまでもしっかりしない私を一人前にするために。私を鍛えるために。
お陰でかなり鍛えられてきました、有り難う。



◆ふっと思出す人
                
2008年3月28日
 
 何の脈絡もなく、何でこの時に、と言うような瞬間に突然、深い関わりのあった友人や
故人を思い出すことがままある。 今も健在の友人ならばどうしているかな、会いたいな
と言う温かな気持ちに浸れるのだが、これが故人となるとどうしようもない切なさに胸を
締め付けられる。 それは父や妹であったり、恩人、友人だったり。

 今日もそうだった。 朝の稽古でストレッチをしていてふっと心に浮かんできたのだ。
何の関係もないのに。 何も思い出すような要素はないのに。
 秋田の親友で私の初演の「幻の蝶」を秋田からわざわざ見に来てくれた男のことを。
その時、彼は見ず知らずの人だった。 新聞に載った公演の記事を見て来てくれたそうで、
終演後に楽屋を訪ねてくれて、そのまま打ち上げに参加して貰い、以来大切な友人となった。
 その後、彼は何度か私を秋田に招いてくれて公演をプロデュースしてくれたのだ。 
家に泊めて貰ったり、温泉に浸かりながら話をしたり、酒豪の彼に付き合うのはなかなかに
苦痛であったが酒を酌み交わしながら演劇談義にときを忘れて過ごしたりと、思い出は
今なお鮮明に心に浮かぶ。
 三年前の秋、突然の訃報に言葉を失い葬儀に飛んで行ったのも、遠い昔のような現実味
がない記憶になってしまった。
和賀敏雄、きみが今この同じ時間を生きていないなんて。 君の低音の美声で語るあの
津軽の方言詩「まるめろ」をもう一度聞きたいなぁ。


そう、ここまで書いてふと気づいたのだが、「まるめろ」は津軽の詩人・高木恭造さんの
詩集で、実は「幻の蝶」はその高木さんの随筆「幻の蝶」から題を拝借したのである。
改めて不思議な縁を思う。



◆ちょっとどころではないぞ.       
      2008年3月20日

 昨日の新聞に、記者との夕食会でブッシュが「思い出のグリーングラス」の替え歌で、
退任間近の心境
を歌ったと言う記事があった。 その内容は、自分はもうすぐ何の
心配もない気ままな暮らしに帰る、といった実に無責任なものだったとか。
何でしょうね、この男は。イラクを始めあちこち火をつけ、めちゃくちゃにしておいて
、「後は知らん」と散らかし放題散らかしたまま、自分は気儘な余生を過ごすんだと。
 
 それにしてもこんなどうしようもない男の尻を追いかけ、何もせずにいた我が国
のトップも救いようがない駄目人間ばかりということです。
いちいち挙げるまでもなく今の日本の政治家の無能さにはあきれるばかり。
福田なんて何ですか、あの人ごとのような物言いは。次々に起こる不祥事も、全て
他人ごと。日銀総裁の件なんて、もう誰もこの人の言うことは聞かなくなっている
のでしょうね。 
 でもね、こんな駄目人間ばかりをのさばらせてしまったのは我々なんですよね。

 「金儲けの何処が悪い」と開き直った村上さん。世界中が貧しいことは悪いこと
だとばかりに、
富める僅かな人間が勝手なことをしている。 
パソコンで「株」なんて言う何の実体もないもので瞬時に巨万の富を築く者がいる
一方で、こつこつと汗水流して毎日を必死に働き、生きている人達がますます厳しい
状況になっていく。 人間がちょっとどころではない、相当おかしくなってますよね。

 我々も、変だと思うことを「変だぞー」ともっともっと言わないといけないですね。  



◆星空                                     2008年2月29日

 月に何回か仕事の帰りが深夜になることがある。 新宿のカルチャーセンターのときは
ほぼ100パーセント皆と飲んで帰るので、青梅に着くのはだいたい深夜零時に近い。
幸い、青梅ライナーという特急の車両で運転されている非常に快適な列車があり、
酔客でごった返す新宿から指定席にゆっくりと座って帰るのは、ちょっぴり優越感が味わえる
ちょっと贅沢な楽しみなのです。青梅駅から十数分、ほろ酔い気分で帰るときの私のもう一つ
の小さな楽しみは夜空を見上げながら歩くこと。
矢張り都心に比べるとかなり空気が澄んでいるのです。冬は耳が痛くなるほど空気が冷たい
けれど、晴れた日の星の美しさについ寒さも忘れブラブラ歩きになるのですね。
「きらめく星座」でしたっけ、「「木枯らしとだえーてさゆる空より・・・」と、ふと気付けば歌って
いるのです。 
 ちょうど奥多摩に入り口にある青梅は、三方を山に囲まれ街にはネオンもないので星がよく
見えるのでしょうね。 でも奥多摩方面の西の空と、都心方面の東の空ではまるで星の数が
違ってしまう。 と言うより東の空には殆ど星が見えないのです。 
ですから私は都心に背を向けて西の方を見ながら帰る訳です。 
近くには高い山はなくて、山々の稜線は私の目よりちょっと高いくらいなのですが、
一昨日なんてその低い稜線に乗っかるようにして星が瞬いていました。 
ちょっとしたプラネタリウム。 そして、ときには流れ星も。
そういえば子どものころには、生まれ育った吉祥寺でも同じような、いやもっと沢山の星が
見えたっけ。 天の川も見えたんだからこの半世紀で如何に変わってしまったことか。
空気が汚れたこともあるでしょうが、何と言っても明るくなりすぎたんですね。

 闇は大切ですよ。 星空や月夜の明るさなんて忘れている人が多いでしょうね。
 年に一度で良い、それもほんの一時間で良いから街の明かりを消して空をながめる日が
あったら、と皆さんは思いませんか。 
 私は青梅の星空を見上げる度にそう思っているのです。
                          4年に一度の特別な日に。





◆同じ?                                2008年2月16日
 2+2は4、2×2も4。では足し算で出来た4とかけ算で出来た4は同じ4? 
今週の朝日新聞の夕刊「人生の贈りもの」と言うインタビュー記事での、無着成恭先生の
問いですが、皆さんはどう思いますか?
 無着成恭「先生」としたのは実は私の小学生時代の恩師だからです。 
明星学園で4年から6年までの3年間お世話になりました。 
山形から出てこられて何年か経っていたはずですが例の山形弁丸出しで、
初めのころは我々生徒はヒアリングにかなり苦労した記憶があります。
受け持ちの生徒を三年間のあいだに全員山形の自宅(お寺)に連れて行って下さったことが、
何よりの思い出として残っています。
授業では「何故だろう?」「どうしてかな?」と言うことを何時も問われていたように思います。

ところで、上の答えは解りましたか? 
答えはこのページの一番下に。(なんて週刊誌のクイズみたいで済みません。)
計算機やパソコンでは簡単に4という数は出せるけれど、何故そうなのかという一番肝心な
部分を理解出来ないまま過ぎてしまう。
答えは知っているけれど分かっていない状態と言うことですね。

さてマイムの作品作りも実はこの「何故?どうして?」の繰り返しから生まれるのです。
マイムを続けていく事って常に自分に問いかけること。
だから何時までも終点に着かないのです。

今、無着先生は大分県国東にある泉福寺の住職をされています。
 
 ▼「無着成恭の掌話集倶会一処
」「詩の授業」「人それぞれに花あり」など
   太郎次郎社より著書が多数刊行されています。


                                    
◆パネルディスカッション
                                     2008年2月11日
 9日に仙台の宮城教育大学で、五感アートラボ「ステージアートとクラスルーム」と言うテーマで
パネルディスカッションがあり、パネラーとして参加してきた。 
ちょうど一年前に「ことばの庭U−響くことば、黙することば−」というタイトルで、能と即興ダンス
とパントマイムそれぞれの立場から、言葉と身体の動きがどのように関わるかについての催しが
あった。デモンストレーション、トークセッション、プラクティスの三部構成で、私自身にとっても
「ことば」について改めて思いを巡らした興味深い企画であった。

 今回のパネルディスカッションは一年前のその催しをふまえて、ステージアートを学校教育に
取り入れるにはどのようにすればよいか、ということを中心に進められた。
絵画や音楽ばかりではなく、舞台表現も学校教育に取り入れたいという言葉は方々から耳にする。
絵画や音楽も含んだ総合芸術としての舞台表現は、大いに学校教育に取り入れて欲しいと私も
願うし、既に実際に取り組んでいる学校もある。 
しかし現状は指導者が少ないこと、指導方法が確立されていないことなど、種々の壁が立ちふさ
がっている。
また学校教育となると評価をどうするかと言うことも難しい問題になるでしょうね。
 その他にも「表現とは」「自然な演技、自由な表現とは」「「型について」「「表現者と受け手との
関わりは」などなど、とても3時間という時間の中では語りつくせぬ内容となった。それぞれについ
てはいずれ書いていきたい。

インクルーシブダンス   みやぎダンスホームページ
 シンポジウム終了後、昨年の催しの会場、仙台メディアテークで行われたダンスの公演を見に
行った。【インクルーシブダンス】と呼ばれる彼らのスタイルは[障害の有無、国籍、性別、文化など
様々な違いを包み込む]ダンスという意味合いによるそうだ。

 障害のある人達も共に舞台に立ち踊るパフォーマンスは三作品上演され、時に哀しく、
時にコミカルな軽やかさをたたえながら展開された。
さて、私たちが不自由な身体という時に、自由な身体とはどういうイメージを持ってとらえているの
だろう。そもそも自由な身体なんてあるのだろうか。
このパフォーマンスに参加していた岩下徹さんがパンフレットに寄せた言葉にもあるが、
私もマイムを続けて思うのは何と不自由な我が身と言うことだ。
身体とは元々自由にならないものではないか。 そしてまた生きていくとは実に不自由な営みだと
思う。 その不自由さを認めた中で何が出来るかが重要であり、また、それぞれの与えられた枠の
中で精一杯生きていくことが本当の意味での自由を獲得する道であり、個々の表現に繋がっていく
のだろう。
 それにしても、ダウン症の少年、少女が踊りの合間に見せる戸惑いや、ふとした仕草の
何と魅力的なことか。その瞬間に他の踊ろうとしている人達の姿が瞬時に掻き消えてしまう。 
「表現」て何? ここでも改めて思う。

◆「只今この先の駅構内で人身事故があり・・・」
 翌10日、時間の余裕があったのでたまにはのんびりと思い、常磐線の特急で帰途についたの
だが柏駅の手前で急停車。 「只今この先の駅構内で人身事故があり・・・」という例の聞き慣れた
車内放送があり、その後一時間余りも立ち往生。 
乗客ももう慣れっこになってしまったのか皆静かに運転の再開を待っている。
自分も含めてなんと無反応なことか。

この列車の乗っている同じレールの先で今、ひとつの命が終わった。
命が消えゆくその時間、私はコーヒーを飲みながら座席に腰を下ろしている。 
この事実の重たさを想いながら。
                                                        


◆言葉と言葉の合間                                       2008年2月1日
言葉と言葉の合間、沈黙の中から生まれる言葉にならない喜び、哀しみ、呟き、囁き、叫び。
最近、母の介護をしていてつくづく思うのは、生まれるのも大変だけれど、死ぬのもまた大変なこと
だなあと。 そしてもちろん生きていくのもまたまた大変なことですよね。
でも、みんなこの世に生を受けてから終わりのその時まで、笑ったりしながらなんとか生き抜こうと
する。 そんな人生の、言葉にならない喜びや哀しみ、怒りを私はパントマイムで演じていきたい。

                                                     
   


4個の答え 足し算は同じもの同士しか足せない、かけ算だと同じもの同士は掛けられない。
同じ4個のリンゴでも、二つあるところにさらに二つ増えたときの4個と、二人に二個ずつあげると4個になる
場合では4個の中身が違うのだ、ということを知ることが分かるということだと。

憲法9条を世界に・原発を考える

Mumbo Jumbo

◆折々に思うこと、お伝えしたいこと、などを・・・

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