「こういう歳になったんだなぁ」

 先週の金曜から土曜、日曜と三連ちゃんで昔私の所にいた人たちの舞台がありました。この短期間に四人舞台が観られたのです。
順に短く感想を。
 
11月27日(金) 国立劇場中ホール
 いきなりメジャーなホールになってしまったのは、今売れっ子になっている「がーまるちょば」の舞台。地味なマイムという定説を覆す
活躍ぶりはご存じの方も多いと思います。二人組なのですがその一人が以前私の所にいた「ヒロポン」こと吉見 大君。
 国内外でステージを重ねてきただけあって、お客様の乗せ方が実に上手になっていました。10周年と言うことで海外からゲストを呼んで     
約二時間のジョイントステージ。楽しみにしていたのだけれど吉見君ごめん、今回はいまひとつ、いやいま二つでした。
だってマイムらしいマイムが一つもなかったのだから。定番の動かない鞄、ジャグリング、マジックの小ネタ、客いじり、パネルを使った
エスカレーターだけでは余りに寂しいです。国立劇場でやるなんてたいしたものと期待した分、がっかり度も大きかったのです。
 ゲストのパフォーマーも肉声を使った擬音などと合わせて動くのは見事だったけれど、いくつか演じたネタの展開が皆同じで、どれも
これも腕力・暴力・武器による力のエスカレートになってしまうのが、私には素直に笑えなかったのです。
そんな風には見えなかったけれど、もしかしたらアメリカの社会を風刺していたのでしょうか。後味が悪かったです。
 残念ながら今回のステージはパントマイムと言うより、エンターテイメントのショーですね。心に残る物がありませんでした。
「がーまるちょば」は来年春に日本縦断ツアーをするそうです。このときは自分たちだけの舞台なのできちんとした作品も見せてくれるの
かなあ。吉見君はあんなもんじゃあない、次ぎを期待しましょう。

11月28日(土)昼 所沢ミューズ中ホール
 ABO事後藤欽一君が何とミュージカルに出る、それも西遊記で孫悟空をやるというので見てきました。
なかなかはまり役の孫悟空ぶりでした。彼は所沢を拠点に地元のアマチュア劇団の人たちとの交流や、マイムの指導、大道芸など
多方面に活動しています。今回の舞台は多分ほとんどの出演者がアマチュアと言うことでしたが、それなりに見応えがありました。
ストーリーの構成、テーマがもう一つわかりにくかったのが残念ですが、こうして大人から子どもまで沢山の市民が演劇を楽しむという
のは良いですね。後藤君はマイムで得た体の使い方を活かした動きのある演技で、悟空を生き生きと演じていたのが印象に残ります。

11月28日(土)夜 銀座MAKOTOシアター
 あがりえ弘虫君。君、なんて言う歳ではないので失礼なのだけれど、いくつになっても私には君なのです。済みません。
若手数人とあがりえ君でそれぞれの作品を一時間半のステージに。あがりえ君はもっとも古い弟子の一人で、独立後は以前からやって
いた人形劇や、舞踏に取り組み、最近は言葉を織り込んだ独自の作品を作っています。夏にもここに書いたのですが、言葉と動きを
合わせた作品には、ユーモアとペーソスがある独特の作風で何時も楽しませてもらっています。今回の「猫を拾う」話も落語調でなかなか
面白い作品でした。ただもうちょっと流れを整理して、全体を絞り込んだらよいじゃあないかなあ。
二本やったのですがもう一本は何とマイムの中でもものすごく基本的な作品で『花の一生』。ふとした動きがきれいでした。
特に最初の根が張っていくところが心に残っています。こんなシンプルな作品を見るとほっとします。

11月29日(日)昼 銀座MAKOTOシアター
 山田とうし君
、なんて山田君ももう君なんて言ったら失礼な歳なのですが矢張り山田君で。
最近はエンターテイメントな志向で作品を作る人が多いなか、ストーリーを大切にしたしっかりした作品を見せてもらいました。
『少年とイルカ』はもう何年も演じ続けている作品です。昔から動きが柔らかく、しなやかで美しいのですが今回はますます磨きが掛かって
いました。内容をお話しするわけにはいかないのですが、少年とイルカの歳月を経ての再会が心に染みいります。
ただ矢張りストーリーの展開に時間の変化が多く、説明的にならないように抽象化しすぎてしまって判りづらい部分がありました。
もう一工夫の余地があると思います。私もそうなのですが、何回も演じているとここはカットしても伝わるはず、と勝手に自分で了解してしまう
ことがあります。今回の山田君の舞台にもそういう面があったのではないかと思いました。
 同じ作品を演じる事の重要さは私自身大切にしていることで、山田君には是非これからもこの作品を演じ続けて、もっともっと深めていって
欲しいと願っています。こういう作品は見た目が地味で、初めての人にはなじみ難く、判りづらい作品かも知れないけれど、観客に安易に
迎合していくのではなく、伝えたいことをしっかり伝えようという姿勢を大事にした作品をもっともっと見てみたいものです。

それぞれ長いこと活躍している人たちにえらそうに勝手なことを書きました。でもこうして活躍してくれていると素直に嬉しいですね。
いつまで経っても教えた人は自分の子どもみたいな感じでつい言いたいことを言ってしまいます。
いつも後で言い過ぎたかなあと後悔するのだけれど、「俺が言わずに誰が言う」ということでこれからも言いたいことは言っていきます。


「三等船室の客は・・・」            11月24日(火)

 今朝、いつものように新宿駅からぶらぶら歩いて学校へ向かう途中の中央公園でのこと。
公園に入ってすぐにいくつかベンチが並んでいて、そのひとつを自分専用にして使っているホームレスの男性がいるのです。
年の頃は四〇後半から五〇才前半くらいでしょうか。ひげを蓄えた大柄な人なのですが、通る度にいつも何事か呟いているのです。
今朝は呟いていると言うよりも朗読をしているようなはっきりとした口調だったので、何を話しているのか気になって聞き耳を立てながら
通り過ぎました。一語一語とても聞き取りやすい語り口で、耳に入ってきたのは次のような言葉でした。
 
 「一等船室、二等船室の客は皆先に逃げだしたのです。でも船底の三等船室の客は皆逃げ遅れて・・・・・」
少し速度はゆるめましたが立ち止まらずに通り過ぎたので聞こえたのはそこまででした。どこかで聞いたことがあるようなこの
言葉は何かの本の一節なのか、あるいは芝居の台本なのか、とにかくその言葉はいったい何から引いてきたものなのだろう
と気になりながら歩いている内に、ふとこれは今の社会の状況そのものを言っているんだと思えたのです。
一等、二等船室の人はどんなに状況が悪くなっても安全なところにいる。でも大部分の三等船客の人たちは荒海に投げ出され、
救命具も与えられず、救命ボートも間に合わず、波にもまれながら、どう藻掻いても浮き上がれずに海の底に沈んでいく。
今の日本の社会だけに限ったことではない、どこの国も、昔も今も同じ事を繰り返してきたのだ。

本当に通り過ぎるその瞬間に、偶々耳に入ったのがこの言葉だというのがとても心に残りました。
映画で良くありますよね。主人公が街や公園を歩いていて、通りすがりにふと耳にした言葉が映画の重要なキーワードだった、
なんてことが。
あの男性は何の意味もなくあの部分を声に出していただけなのかも知れない。でも私には「三等船室の客はどうなっても良いのか、
おまえたちはこのまま俺たちを見捨てていくのか。」と言っているように聞こえました。
不思議な体験をした日でした。



「心が寒くありませんか」       11月20日(金)

 何と一ヶ月ぶりの書き込みです。
 
このところ急に冷え込んできました。青梅から車で15分くらい走った沢井という所にある市民センターをお借りして、自分のための
自分だけの稽古を毎週しています。この稽古はひとりぼっちで好き勝手に身体を動かして楽しんでいるのです。
部屋の前は多摩川の清流、釣り人が糸を垂れていたり、カヌーで川下りをしていたり、ハイキングや川遊びなどを楽しむ人を
ぼんやり眺めながらの気ままな時間は実に楽しい物です。
 今月に入って一気に紅葉が進み、そして今日あたりは色づいた葉が風に飛ばされて次々に散り始めました。もう間もなく枝に葉が
なくなり冬の景色になるのでしょう。このあたりは都心に比べ五度くらいは冷え込みが厳しいのではないかと思います。
でも澄んだ空気ときれいな景色を眺めていると、寒さを忘れてしまいます。

 さて、私は週に二日専門学校で授業を持っていて、朝早い電車に乗って新宿に行っています。青梅から約一時間20分掛かるのです。
長時間で大変でしょうと言われるのですが、青梅は始発駅なのでどんなにラッシュの時間でも必ず座れるのです。
その間本を読んだり居眠りをしたり、人物観察をしたりと私には結構楽しい時間なのです。
ところでここしばらく雨の日が多かったですね。そんな朝の通勤時に見かけた出来事を。

その日は向かい側のシートに私よりも少し高齢の男性が腰掛けました。雨の日の濡れた傘はなかなかやっかいですよね。
その男性は傘を丁寧に巻いて自分の足の間に立てて持っていました。その後その男性の隣に若い女性が座ったのですが、何と彼女は
濡れた傘をまとめもせず自分と男性の間に立てました。暫くして男性が不快そうな顔で女性の横顔を見ています。
女性の傘に染みこんだ雨水が、男性のズボンを濡らしているのでしょう。男性はそっと女性の傘を押しやるのですが気づかず、なおも
押しやると女性は実に不愉快そうな顔で男性を見やるだけで一向に傘のことには気づかない様子。流石に腹を立てた男性は自分の傘を
女性の傘との間にどんと突き立てるようにおいたのですが、結局若い女性は何故男性がそうしたのか気づかないままでした。

その翌日、今度はかなり混み合ってきた車内でのことです。私の並びに座っていた若い女性の前に年配の女性が立ち、傘を腕に掛けて
本を読み始めました。すると傘の先が座っている女性の膝のあたりに来るので、女性が文句を言い始めました。でも年配の女性は
本を読み、又耳にはイヤホーンをして音楽を聴いているのか気づかない。すると突然若い女性が傘をバシッと手で払ったのです。
年配の女性ははっと気づき、すぐに「ソーリー」と謝りました。顔つきは日本人みたいだったのですが・・・。
でも若い女性はそんな彼女の謝罪を無視して不快そうな態度のままでした。
気づかなかった年配の女性の落ち度は勿論ですが、余りに唐突な若い女性の行為にも、又その後の反応にも何か心が寒くなりました。

自分のしていることが回りに迷惑を掛けていないか、そういう配慮に欠けた人が多いのも気になりますが、私は別のことが気になりました。
先の濡れ傘の女性も、隣の初老の男性も、そして傘を払った若い女性も、一切の会話がなかったのです。
それぞれ無言で為されたことでした。ブツブツ言う文句は会話ではないですね。いずれも相手に一言話しかけていれば、お互い厭な思いを
しないで済んだだろうに。じっと我慢していきなり行動に移ってしまう、何だか現代の事件のひな形を見た思いです。
最近人間が見知らぬ人と会話をすることが下手になっているように思える。上手くコミュニケーションを取れない、何だか今後そんな状況が
もっと進んでいきそうに思えるのです。

昔は、と言っても数十年前はもっと見知らぬ人同士に会話があったですよね。電車の車内でも、店先でも、待合室でも、もっと会話がありました。
寒々として光景がやたらに目に付くように思うのは私だけではないでしょう。



「インドは何時もスリリングなのだ」       
 10月19日(月) 

 
 インドからほぼ毎年アーティストをお招きしている。マイミストやミュージシャン、舞踊家の皆さんだが、基本的に私が親しくしている
人たちばかりで、皆いまでは家族のようにして付き合っている。今回は舞踊家のチュリさん。カタックダンスのすばらしい舞踊家だ。
今年はこんな社会情勢で、しかも私がいつになく忙しくて、ステージも大きなものは作れなかったのでホリデー気分で来てもらった。
それでも小さなステージがいくつかとワークショップもあったりで結構忙しくなってしまったが、まあゆっくり約三週間滞在してもらって
14日に帰国したのです。

 さてインドから人を呼ぶ時には必ずといって良いほど何かが起きる。それも予期せぬ出来事が。
まずはインドでビザが間際になっても下りずにやきもきし、あるときは成田に迎えに行っても二日も続けて飛行機に乗っていなかったり、
また入国審査で引っかかって出てこられず呼び出しを食ったり、来たら来たで帰りの荷物がとてつもなく重量オーバーだったり、
とにかく最後までスンナリ事が運んだ試しがないのです。
ちなみに何故帰りの荷物が重量オーバーになるかと言えば、インドでは旅に出ると親戚縁者やご近所一同にお土産を買って帰らなければ
ならないのです。それも半端な人数ではなく50人以上に。となるとお土産は当然100円ショップでとなるのだが、矢張り見栄えの良いものを
となると大きかったり重かったりで、結果、山のような重たい荷物となるのです。
まあ、帰る前日の荷造りは見物です。バックを明けたら中はチョコレートだらけで、空港の職員がびっくりと言うこともありましたっけ。
もういい加減にしなさいと何時も言うのだけれど、実は我々もちょっぴり楽しんでいるのですが。

 では今回はというと、ビザが下りるか凄く心配だったのだけれど肩すかしを食ったようにスンナリ取れ、飛行機も順調、入国も問題なし、
帰りの荷物もまあ10キロほどオーバーで済み(空港ですったもんだあったけれどこれは毎度のことで慣れた)何とか追加料金なしでOK。
問題はその空港に行くまででした。
 当日の朝はスラバニさん(チュリさんの本名)を成田に送ってきたのですが、予想外の大渋滞に巻き込まれもう冷や汗もの。
10時に着ければよいのですが、朝だし混むといけないと思って少し余裕を見て七時に我が家を出発したのにです。
青梅から成田まで三時間、充分なはずです。さて、新しくなった車にはナビがついていて成田の到着予定時間が出るのですが、
八王子から高速に乗った時には9時半到着予定だったのに、暫くしてふと見ると何と10時40分到着予定となっているではありませんか。
日野から先がずーっと渋滞で、それからはとろとろ進んではストップしで、予定時間はどんどん遅くなりついには11時半に。
飛行機は12時に出てしまうのです。成田に電話して最悪何時までに着けばよいか尋ねると、40分前までは何とかという返事。
さあそれからはもう予定時間とにらめっこ。でも一向に良くなる兆しが見えず、最悪の事態も覚悟しつつ最後は神頼み。 
インドの神様にお祈りしてよとチュリに頼むと早速手を合わせるが効果なし。さらばと柏手を打って日本の神様にお祈りしたら、
何とその瞬間に奇跡が。車が急に流れ出したのです。渋滞が一気に解消、事故の形跡もなし。あれほど渋滞していたのが嘘のように、
それからは順調に走りだし、到着予定時刻はどんどん早くなって、何と10時半に無事成田着。間に合いました!!
 日頃不信心な私ですが、これから神様は信じようかなと・・・。とにかくスリル満点の数時間でありました。

 さてインドもグローバル化の波をかぶり、経済成長の産んだ豊かさ(一部富裕層)の陰で貧富の差はますます大きくなっているようです。
そればかりか核家族化が進み、教育問題や家族の崩壊など、我々がたどってきたのと同じような状況が現れてきているようです。
小さな家で親子兄弟、その家族、その親戚が身を寄せ合って暮らし、お互いに助け合うという家族の姿は、次第に消えていってしまうの
でしょうね。一度失ってしまった家族の形を再び作り上げるのは大変な困難がありそうです。我々の社会がまさにそうですよね。
いまは世界中で同じ問題を抱えているのですね。グローバルって何なんでしょう。
世界が遠かった数十年前の日本が懐かしく思われませんか。                                                                                             



「お伝えしたいことがいっぱいあるのに・・・」
     9月27日(日))

 怒濤のような勢いで9月も過ぎようとしています。もう三週間もこのページを更新できないままに日が過ぎてしまいました。
伊那のことも、韓国のことも、先日観た井の頭公園の野外劇のことも、そしてそして一昨日の遠野のことも、沢山沢山話したい
のです。でももうちょっと待って下さい。『幻の蝶』のご案内の発送が終わったら更新することにします。
もう後一月余り、準備が進まず焦り気味です。二日も公演があるというのに、何時もの事ながら制作も自分たちでやるとなると、
すべてが後手後手になってしまいます。でも、一つ一つ手間暇掛けて自分で作っていく事を選んだのですから仕方ないです。
後一月でどこまでやれるか、まあやれるだけやってみましょう。


「守・破・離」      8月24日(月)
 果たして自分はどうだったかと思いながらこの言葉を噛みしめる。どのような仕事にしろ、その道で独り立ちしていく上で
大切な心構えとして、「守・破・離」という武芸の道で言われる言葉がある。
 まずは師の教えを素直に守り、とことん吸収していく。当然疑問に思うことや納得のいかないこともあろうが、まず言われたことを
きっちり出来るようにする。その次には自ら感じた疑問について検証し、考え、工夫を加えて与えられた枠を破る。
その後には勇気を出して師の元を離れ、自分の足で立つ。

 思い返せば私の40年もこうだった。習い始めてから1年間はひたすら先生の教えを吸収し、2年目には疑問のあることに自分
の考えを加え、3年目に師の元から離れ独立して活動を始めた。
独立にはちょっと急ぎすぎた感もあるけれど、そうせざるを得ない状態になったのです。

 最初から疑ってかかるようでは駄目です。まずは素直に吸収することがなければ基本は身につかない。
しかしいつまでも自分で工夫することをしなかったら、何年やっていても進歩がないものです。
そしていつかは師の手から離れ、おぼつかなくても自分の足で立ち歩みだす事。
躓き、転んで力をつけ、何度も道に迷いながら先を見る目を養う。
やがてつらさに耐える忍耐を身につけ、一生の仕事として人から認めて貰えるようになるのですね。
 
 素直さが大切です。そして反骨心も大切です。勿論絶えず創意工夫する心がなければいけません。
勿論そのためには常に勉強し続けなければ。
これはいくつになっても大事なことだぞ、とそう自分に言い聞かせています。なにせ生来素直さが足りないのでね。


「100歳の青年」     
   8月21日(金)
 昨夜、滅多に見ないTVを何となく見ていたら、豊田三郎画伯へのインタビューで構成された番組をやっていた。
お名前も存じ上げず、ぼーっと見ていたのだがたちまち引き込まれてしまった。100歳、この9月で101歳になられるという。
どう見ても7〜80代にしか見えない。画材道具を持って背に大きなキャンバスを背負い、杖は時折ついてはいるものの実に
しっかりとした足取りで写生に出かける。実際に対象の前に立ち描く。そうしなければ命のこもった絵は描けない。
それを信念にどのような時も現場に行ってキャンバスを立て絵筆を執る。
 
若い時に画家を目指すも認められず、思い半ばでの挫折を味わい、故郷で教鞭を執り定年まで勤め上げる。
長年連れ添った奥様が病に倒れ看病に日々を過ごし、やがて奥様に先立たれ一人になった悲しみの中、画伯を支えたのは
好きな絵を描き続けること。以来30年、自然を対象に描いても描いても「まだまだ」と、いまなお先を見つめ続けておられる。
勿論、食事を作ることから日々の生活のすべてをご自分でこなし、朝は起きると30分、自ら考案した体操を欠かすことがない。
きっちり組み立てられた日課は、数時間のデッサンなどがびっしり組まれている。
写生をしている時の筆の運びの力強さと潔さ。対象を見つめる目の輝き。絵について語る時の気迫。
年輪を重ねた杉の大木に立ち向かい、そのそそり立つ高さを何とかキャンバスに表現しようと、風に白髪と白いひげをなびか
せて一心に描き続ける姿に、生きることの何かを教えられたように思います。

大野一雄先生も70才になられてから世界に羽ばたかれた。うーん、人生これからです。



「夏休みに思うこと」     
   8月18日(火)

 7月の16日から約40日の夏休みも来週の初めで終わる。今年の夏は広島に旅行をしたり、鬼無里で合宿をしたり、山口で
舞台があったりで、なんだかんだ動き回っているうちに終わりが近づいてしまった。
仕事がない朝、庭の手入れや家の前の道路を掃除していると、会社勤めの人たちがいつものように仕事に出かける。
毎日仕事に出かけるのはさぞ大変だろうななんて思いながら、こうして今日も家にいる自分はなんて怠け者かと思ったり。
空いた時間に何か仕事をすれば少しは家計の足しになるだろうなと思いつつ、それをしてしまうとマイムに集中できなくなるし、
それよりこうしてボーッとしている時間が作品作りには大事なんだ、なんてぶらぶらしている自分を自己弁護したり。
皆さんが汗を流して仕事をされている時にふらふらしている自由業という仕事にも、それなりにつらい部分があるのです。
自由業とは自分の意志だけで自由にしているのではなく、自由な時間をきちんと工夫して活用して行かなくてはいけない仕事
といえるでしょうか。草を抜いたり、掃除をしたり、ぼんやり庭を眺めたり、来月の生活費がどれほど心配でも、こういう時間に
耐えらるようでないと、我々のような仕事は続けられないのですね。
 
 最近は若い人たちの考え方が堅実になってきて、私のような明日が見えない生き方をとても不安に思うようです。
日常の生活にかかる費用も我々の若い頃とは格段に違うし、そもそも生活のレベルが上がっている中で成長してきた彼らには、
四畳半の部屋の中には布団と小さな机が一つ、共同便所で電話も何もないという生活が想像出来ないのは当然と言えば当然
かもしれないですね。
 パントマイムで身を立てようと思ったら、そんな生活を覚悟しなければとても続けていけません。ちゃんと三度三度美味しい
ものを食べ、それなりの部屋に住み、人並みの生活をしながら好きなマイムで身を立てられたら、というのは虫が良すぎますね。
好きなことをする以上、何かを犠牲にする覚悟が必要です。若いうちは勿論、私のような歳になってもです。
いくつになっても老後がない、悠々自適の暮らしなんて夢のまた夢。もし動けなくなったらと、時々無性に不安になることもあり
ますが、ここまで来たのだから残る人生何とかなるだろうと、思い直して腹をくくっているのです。

 このところ、マイム(好きなこと)に人生を掛けてみよう、という若者が周りになんだか少なくなってしまったようです。
今の時代、リスクを覚悟してでもやり続けなさい、とはなかなか言えなくなってしまいました。もっともっと若い人たちが出てき
て欲しいのだけれど、パントマイム、それも舞台のマイムで食べていくのは本当に困難な状況です。
それにしても寂しいですね。

 かくいう私自身も、舞台だけで食べていければ良いなあと思うこともあるけれど、好きな舞台が生活のためのようになってし
まうのにも抵抗があるし、教えるのもまんざら嫌いではないけれど、それが主になるのも厭なんです。
じゃあどんな生活が理想なんだと言われると、食べていくのにほどよく教える仕事があり、コンスタントに月に二本くらい舞台
がある、こんな状態でしょうか。いやはや我ながらなんて身勝手だなと思います。
なんだかんだ言いながらも、曲がりなりにもパントマイムだけでやっていられるのだから幸せだし有り難いことです。

熱い太陽が照る中で草を抜きながらこんな事を考えていました。


「転ばぬ先の杖」     8月12日(水)

 失敗しないように用心を、と言う事ですがこれはどうかと思うことが。
先日のTVである家電メーカーが新しい電子炊飯器を開発したというニュース。で、何が新しいかと言えば、これまでの炊飯器
だと炊きあがる時に蓋の上にある穴から蒸気が噴き出し、乳幼児が触ってやけどを負う事故があるので、蓋に細工をして
蒸気の熱を下げて出すようにしたというのだ。皆さんはどう考えますか?私には余計なお世話だとしか思えないのです。
ご飯は炊き上げる訳ですから当然何らかのエネルギーで水が沸騰するまで熱しなければいけない訳です。熱いのは当り前。
 もし乳幼児から熱い蒸気のあがらない炊飯器で炊いたご飯を食べていたのでは、この当たり前のことを知らぬまま成長
するのですよね。床に置いた炊飯器の蒸気に触れて火傷したとか、子供が蒸気に手をかざして火傷したから危ないので何と
かして欲しい、というような消費者からの要望が会ったので開発したんだそうです。世のすべての炊飯器がこの熱い蒸気が
出ないものになるなら
それでも良いかもしれないけれど、でもですよ、子供は蒸気は熱いんだということを知ることが先では
ないでしょうか。熱い思いをすれば二度と炊飯器からあがる蒸気に手を出さないでしょうし、またそれに類する事への対応
も出来るようになるのです。こうして一つの経験から同じような事柄に対する想像力が働く訳ですよね。

 こういう余計な配慮があたかも親切だと言わんばかりに、公園の遊具、学校生活など子供の世界はもちろん、大人の生活
にもいろいろと垣間見られるようになってきています。
余計な気遣い、いらぬお節介に慣らされると、いざという時に自分でどう判断したらよいか判らない、想像力の欠落した人間
ばかりになりそうで行く先が案じられます。
「転ばぬ先の杖」はとっさの対応が出来なくなったお年寄りたちや、想像力のない大人たちには必要でしょうが、これから成長
していく子供は「まず転べ」ですよ。


「10日ぶりの青梅」    8月5日(水)

 10日ぶりに戻ってきました。広島での4日間、鬼無里での4日間といずれも充実した時間だった。
でもやっぱり青梅は良いなあと改めて思いますね。我が家と言うことが大きいのでしょうが、豊かな自然と人間の動きの
柔らかさが心地良いんです。尾道も、広島も、呉も、鬼無里もそれぞれ良かったけれど、です。

 さて、帰ってパソコンを開けたらうれしいメールが。20年ほど前に大阪で開いた講習会に参加してくれた方が広島出身ということで、
このHPを見てメールを下さいました。今は高知に住んでおられるそうですが、9月に息子さんが修学旅行で広島に行くことに
なり、その方のお母さん、つまり息子さんのおばあちゃんが孫たちに被爆体験を語るそうです。
息子さんたちには身近な人の体験談は心に強く残ることでしょう。

 ところで平和記念資料館の出口近くに、ここを訪れた世界の著名人の記帳簿があったのですが、海外の政治家たちが
短くても自分の言葉で感想を書いているのに、日本の政治家(歴代首相も)のほとんどが形ばかりの肩書きと名前だけだったのが、
いかにも寂しく思いました。いつから日本の政治家はこんなに貧しい感性の人ばかりになってしまったのでしょうか。
唯一の戦争による被爆国の代表として、せめてこの場では政治的な立場を離れ自分の言葉で語って欲しいものです。
昨日は麻生首相がまた信じられないことを言っていました。力に頼らない世界平和への努力、新しい政権には是非とも望みたい
と思います。



「明日から暫く旅をしてきます。」
    7月24日(金)

 明日から10日間ほど旅をします。久し振りの家族旅行で広島方面に約一週間、その後は私だけ鬼無里に行って昨年に続き
仮面のワークショップで合宿生活です。昨年は母の容体が悪く連日の病院通いの日々で、一年近くとうとうどこにも行けない
状態でした。そんなことから今年は娘の希望もあって広島の原爆ドーム、平和記念館などを見て回ってきます。
私は二度ほど行っているのですが娘は初めて、ことしはオバマさんの核軍縮宣言や、三宅一生さんのこともあり、
例年になく核廃絶への気運が高まってきているように思います。今一度しっかり観てこようと思っています。
 再三言われ続けてきた、戦争での唯一の被爆国として日本が採るべき立場を今こそ明確にして欲しいものです。
来る衆院総選挙の結果がどのように出るか判りませんが、新しく政権を取った政党には堂々と世界に核軍縮、核軍備廃絶を
訴えてもらいたい。

毎度の脱線です。とにかく暫くのんびりとしてきます。皆さんもどうぞ良い夏をお過ごし下さい。
もしかしたら旅の途中でご報告できるかもしれません。


「我が師・佐々木博康先生マイム生活50周年記念公演」  7月12日(日)

 九州での仕事と重なり、とても間に合わないと諦めていたのですが、九州の主催者のご配慮で何とか最後の二作品に
間に合いました。十代でマイムを始めた先生はフランスに渡りエチエンヌ・ドゥクルーに師事し、近代マイムの外言われる
ドゥクルーのおそらく一番脂ののりきった時期のマイムを日本に持ち帰りました。
観客に一切おもねない、純粋芸術としてのマイムを追求したドゥクルーのスタイルに傾倒していた先生が帰国されて間もない
時期の生徒として、我々はその基本を徹底的に叩き込まれた。
まだ若かった先生は同時にマルソーのスタイルや、日本人のマイムの探求も行われていて、おそらくご自身はまだ自分の
スタイルをどこに定めるか決められずにいた頃だったと思う。
 ドゥクルーが生み出したマイムの基礎に忠実に、そしていわゆるマイムのテクニックマイムイリュージョン)の基本を、
実に丁寧に指導してもらった。ご自身は渡仏前に親交のあった大野一雄先生達の舞踏や、日本舞踊などの日本の身体表現
にも大きな関心を持たれていて、創作される作品はそれぞれのスタイルの間を行き来するように、私の在籍した頃はもう一つ
方向性が伝わってこないもどかしい思いを抱かされた。
私は二年在籍した後、伊藤敏也さん、並木孝雄さんと三人で公演をし、それがきっかけとなって並木孝雄さんと私の二人は、
スタジオから離れ自分たちで活動を始めたのです。以降先生とは何となく距離を置いたままに時間が過ぎ、たまにご自宅を
お尋ねしたりということはあったが、既に方向が違うということで出た身としては、その後の先生のマイム観がどう変わって
行かれたのかは、お聞きすることもほとんどないままに現在に至っている。何年かに一度拝見する舞台から考えておられる
ことを推察してきたが、昨夜の舞台を観て改めて先生の大事にするところは、傾倒するドゥクルーのスタイルを踏襲されて
いるのだと思った。
昨日の演目「木曽川のイカダ乗り」は私が好きな先生の作品だが、特にこれというストーリーもなく、夕刻にイカダを流すと、
やがて美しい満月が天に現れる、そのような情景を淡々と描いたもの。動きが力強く美しいのです。
俳句のような趣のある、マイムの面白さの一つをいつも思い知らしめて下さる作品です。
いま70歳を前にしておられるのですが、あのしなやかさと力強さがあればまだまだ10年、20年は大丈夫でしょう。
ママコさん共々、今暫くは我々の先に立っていて頂きたいものです。

さて秋には私も『幻の蝶』が30周年。まだまだこれからと思いを新たにして良い舞台にしたいと思います。



「PANTOMIME WEEKその2 と ミラノピッコロ座」  7月6日(月)

 気になっていたけれどまだ観る機会がなかったJIDAIさんと、久しぶりにソロでやるといういいむろなおきさんの舞台が
観たくて土曜日に行ってきました。
まずJIDAIさん。女性のようなしなやかな動きと柔らかさが印象的でした。作品は抽象的な動きも取り入れた、シュールな風合
いの作品でJIDAIさんの持ち味なのでしょう。具象的なマイムの動きと抽象的な動きの絡み合いがなかなか面白い空気を
作っていました。ただ、何回も繰り返されるフラッシュバックのような手法は効果的で面白さいのですが、何度も同じように
繰り返されているのはもったいないような気がしました。三本の作品もそれぞれのテーマや作りが違うのですが、
残念ながら見終わった後の印象が混じり合ってしまいました。
作品の色がもう少し多彩で、これという際だった何かがあると良いですね。指先にまで意識の行き渡った動きは心に残ります。

 そしていいむろなおきさん。フランスにマイム留学し、マルソーの元で研鑽を積んできた本格的なマイミストです。
持ち前のバネを生かしたパワフルで切れのある動きから、バラエティに富んだ6本(だったかな)の小品をアップテンポで
小気味よく楽しませてくれました。最近はお弟子さん達とのアンサンブルの舞台が多く、久し振りに彼のソロを観ることができ
たのは嬉しいことでした。的確なテクニックと作品のテーマがほどよく解け合っていて、楽しい舞台でした。
以前にはなかった客席との交流を意識した構成も良かったのですが、ただあまり過ぎると全体の流れが切れてしまい、
私としてはもう少し、いいむろなおきの作品にどっぷりと入り込みたかったですね。
でも初めて観るような方には親しみがわいて、作品に入り込みやすく良かったのかもしれませんが・・・
だいぶエンターテイメントな部分が増してきたなあという印象でした。私にはもっと素朴ないいむろ君の方が良いのだけれど。

さて、二人ともに作品と作品の合間に舞台上で観客に敢えて見せるように汗を拭き、ペットボトルで水分補給をしていたのは
打ち合わせた上での演出なのでしょうか。お客様の緊張をとる効果はあったでしょうが、すべての作品の合間にというのは
どうなんでしょうか。私はあまり良いとは思えませんでした。
小さな舞台や初めて観る人が多いときなどは、私も客席に話しかけたりして進行しますが、少し考えなくてはいけないなと
思いながら帰ってきました。私自身の舞台もあまり客席を気にしないで、もっとシンプルにマイムそのものに集中して観て
もらうような形を大事にしなければと思った次第です。

 
 さてさて実はこの日の昼間は家族とイタリアの即興劇「コメディアデラルテ」の舞台を観てきました。
ミラノピッコロ座が来日しての舞台で「アルレッキーノ ―二人の主人を一度に持つと―」です。
いあやー、本当に無条件で楽しみました。まさか再び二本でこの作品を観られるとは・・・ 
 
 もう30年以上前の来日公演を観ていたく感動して、その後暫くして一ヶ月フランスとイタリアに行ったときには、どうしても
ピッコロ座に行きたくて、一週間ほどミラノに滞在し、劇場を訪ね、ピッコロ座の他あちこちの劇場をはしごして、何本も芝居を
観たものです。そのときに観た芝居はどれも強烈な印象を残して今なお記憶は褪せることなく私の中に残っています
その時の来日公演では、当時はまだ若くてまさに全盛期の名アルレッキーノ役者フェルッチョ・ソレーリのアルレッキーノを観て
圧倒され、終演後には楽屋に押しかけたものでした。そのときにソレーリの後を継ぐといわれ、代役で舞台にも立っていた役者さん
(名前が思い出せない)の連絡先を聞き出し、わざわざローマの自宅まで押しかけ、話を聞いたり、稽古を見せて頂いたのが
心に残っています。彼は今どうしているのだろう。

さて、この舞台は、イタリアの古く伝わる伝統の様式コメディアデラルテを復活再現させたピッコロ座の演出家・故ストレーレルが
残した偉大な財産です。ストレーレル亡き後も、未だ現役でアルレッキーノを演じているソレーリさんを中心にしかりと継承
発展させ、次の世代につないでいるそのことに感動を覚えます。今回はソレーリさんも演じるというので是非とも観たかった
のですが、予約時には彼の出る日は既に売り切れ、仕方なく若い役者さんの日に行ったのですが、彼がまたとても良かった
のです。まさに芸を、伝統を引き継いでいる姿を目の当たりにした舞台でした。ソレーリさん以外のすべての出演者が30年前
とは入れ替わっていますが、作品の醍醐味は少しも失われていませんでした。演出もその時代に沿って変わっていて、
ラストシーンも違っていました。どちらが良いというのではなく、まさに今生きている芝居なんだということです。
若い世代に引き継がれた舞台を、いつかまた観たいものです。
小学生の娘も大笑いで楽しんでいました。
今回の公演は終わってしまいましたが、また来ることがあれば皆さん是非見に行って下さいね。


「PANTOMIME WEEK」    7月2日(木)

 前回はママコさんのことだけになってしまいましたので、アガリエ君、細川さんのことも・・・
アガリエ君は私の二十年以上前の弟子、そして細川さんは私と同時期に活動していた並木孝雄さんのお弟子さんです。
 
 まず沖縄県人のアガリエ君。持ち前の明るさと発想の面白さで昔からユニークな作品を作っていました。
私の所にくる前は人形劇をやっていたこともあり、当時も人形や小道具などを効果的に使って彼独特の舞台を見せて
くれていました。独立後は舞踏を学んだりして新しい境地を開拓し、いまは中堅の一人としていろいろ新しいことにも挑戦しつつ、
マイペースで活動しています。今回の舞台では久しぶりに純粋な(言葉も道具も使わない)マイムの新作と、言葉を使った
童話風の作品を見せてくれました。気負わない飄々とした演技と思わず微笑みたくなる暖かみのある作風に、独特の良い味
が出ていました。新作「木と男のものがたり」はまだ作品の輪郭がぼやけていて練り込む余地があるように思いますが、
これからも演じ続けてほしい作品です。「しーっ!」は絵本をマイムにしたそうですが、言葉と動きのバランスも良く、
アガリエ君のキャラクターが生かされた、心が和む小品でした。
そう、今年の秋の「幻の蝶」ではアガリエ君にタイトルで出演してもらうことになりました。どうぞお楽しみに。

 一方細川紘未さん、自らの作品の創造とともに並木孝雄さんのマイムの継承を自らの仕事に一つとして、長いこと公演や
後進の指導を続けてこられています。「マイムウェーク」も並木孝雄氏が生前精力的に企画推進していた活動を継承する
ものでしょう。今年で4年目をむかえ難しい時期になお充実させているのは立派です。何事も継続させることは大仕事。
ましてやマイナーなマイムの世界では尚更です。
同世代の仲間たちが支え合い、それに若手が加わっての活動は4年目にして一層盛り上がってきたようで楽しみ。
さて今回の細川さんの舞台では師・故並木孝雄の作品を3本と自作2本を見せてもらいました。並木孝雄の作品では、師の
演じたことを忠実に再現しようとされ、そしてかなりの所までそのことを成し遂げていました。残る部分は並木孝雄と細川紘未
という二人の個性の違いでしょうか。無駄がなく余計な装飾のない、シンプルな動きの中にマイムの素朴な面白さが見えました。
今後もこのように寸分違わぬように演じていくのか、あるいはもう少し自由になって自分の味を加えていくのか、いずれもあって
良いと思います。そして自作の二作品、一本は両手のひとさし指と中指でダンスを踊る踊り子二人を演じる可愛くオシャレで
楽しい小品でした。もう一本の「飛べない鳥」は複数の人物の演じ分けと構成が私にはもう一つ解りづらく、作品の流れに
乗りきれないままに終わってしまったのが残念です。「飛べない鳥」は飛べないままだったのかな、それとも飛べたのかな。

思いつくままに感想を書いてしまいました。お二人にはますます活躍してほしいです。なんて偉そうに先輩面をしているところ
ではないなあ。私も負けずにまだまだやらなくては。
「マイムウィーク」は今週末から後半戦だそうです。興味のある方、お時間のある方どうぞ一度足を運んでみて下さい。


「ヨネヤマママコさん」     6月29日(月)

 昨日、銀座で開催されているパントマイムウィーク「MIME MODE」で、本当に久しぶりにヨネヤマママコさんのステージを
観てきました。私が始めた頃にはマスコミでもてはやされパントマイムといえばママコさんでした。でも、すでにアメリカに渡って
しまわれた後でした。初めて生の舞台を拝見したのは何年も後で確か渋谷のジァンジァンだったと思います。
環境問題や社会風刺、そして凧を揚げるポエティックな作品に目を奪われつつも、生意気盛りの私はいつかママコさんを超えるぞ、
と思ったものでした。その後ママコさんからお声をかけて頂き、ママコさんの作品に出させて頂くことになり何度か稽古をしたのですが、
公演間際にいろいろあって私が舞台を降りるという、今思えば本当に失礼なことをしたものでした。
 
 マイムのパイオニアの一人として、しかも女性の身で活動して行くにはまだまだ大変な時代でした。それも舞台一筋で意識の高い
ママコさんですから、それは何かにつけて厳しくもなりますよね。私は私で小さな子供を二人抱え、貧乏生活を送りながら子育ても
マイムも絶対両立させるという意地でやっていました。でも今にして思えばママコさんにとって子育てをしながらマイムも、という姿勢が
とても中途半端なものと感じられたのではないでしょうか。今となっては定かではないけれど、そんなことが拗れた挙げ句だったように
思います。私も並外れた意地っ張りでしたからいやだと思ったらもう絶対にだめで、たった一度の貴重な機会を失ってしまったわけです。

 暫くはお付き合いもないままに過ぎましたが、たまにお会いすると気さくに話しかけて下さり、また私もママコさんのマイムからは
その後も多くのものを学ばせて頂きました。私にとってはバローやマルソーより身近な目標として、いつも目の前にいた方です。
マイムをやっているというと「ああ、ママコさんのあれだね」といわれるのは、何とも悔しいことでした。ママコさんとは違うマイムの世界
を作る、それが私のマイムの一つの目標でもあったと思います。もう十何年も前に突然フランスに渡ってしまわれ、風の便りではほとんど
マイムをやっていないというように聞いていたので、もうママコさんの舞台を観るチャンスはないものと思っていました。
それが数年前に帰ってこられたらしいという噂を聞き、またマイムの公演に行った折りに姿をお見かけし、時々ステージを再開されたと
いうことも聞き、また見せて頂きたいと思っていた時に今回の舞台出演でした。

 数ヶ月前にお会いしたときは、首にギブスをされていて痛々しかったこともあり、実は今回の舞台がどんなものか半分不安を持ちながら
見に行ったのですが、いや、見事に裏切って下さいました。以前と変わらぬ軽妙さ、動きのしなやかさ。ユーモア、風刺、そしてちょっと
毒気のある表情。演じた作品はたった一本だけでしたが、一日の舞台のすべてを自分のものにしてしまわれたのはさすが、
としかいいようがありません。花があるんですね、幾つになられてもママコさんには。これはもう我々にはどうしようもないことです。

終演後楽屋を訪ねてご挨拶をしてきましたが、まだまだ十年は(失礼ですよね、もっともっと長くです)大丈夫とお伝えしてきました。
バローもマルソーもいない今、まだ暫くは先に立っていて頂きたい、そんな祈るような思いでいます。

7月12日(日)の15時から、横浜で30名限定のアトリエ公演があるそうです。お時間のある方は是非いらして下さい。
そう、この日の夜は私の師匠・佐々木博康先生のマイム生活50周年を記念する公演も行われます。

ママコさんの公演のお問い合わせはfaxで045-251-6973です。電話やメールでの問い合わせ先は不明です。
会場は「art gallery,on the wind」横浜中区福富町東通り38 石井ビル3f   
こちらに詳細が載っています。

あがりえさんや細川さんのことも報告しようと思ったのですが、また改めて。ごめんなさい!!





「パソコンなんて」
    6月25日(木)

パソコンなんか使わないぞ、メールなんてやるもんか、なんて言っていたのはいつのことだったか。
いまや私の活動を支えてくれているのがこのHPであったり、メールであったりするような次第に。
これは不本意ながら成り下がりです。時代の流れと言ってしまえばそれまでだけれど、なぜか言いようのない後ろめたさなども
覚えつつ、もうすっかり頼り切った状態で、なんだか情けない限りであります。
ところがここ数ヶ月来、だんだん頼りのパソコンの調子が悪くなってきて、この状態では何時パンクしてもおかしくないような事態に。
仕方なく新しいパソコンを買い、あれやこれやとデーターを移そうと思ったら、これが癪に障ること思うようにいかないのですね。
このHPも何回もあれこれ試行錯誤し、ようやく更新できるような状態まできました。
月内にはと思っていたのでまあ順当なのでしょうか。あとは今まで使っていたメールアドレスがこのパソコンでも使えるようになれば
一応移行は成功です。でもまだ暫くかかりそうで、古いのがそれまで持ってくれるように祈るばかりです。
もしその前にだめになったらお知らせしますのでこちらにメールをください。



「KAMEN」   6月19日(金)
 3月に続いて大田こども劇場の例会で140回目の上演となった。小さな子ども達も含めて半数以上が小学生だったが、
前回同様、最後までしっかり見て貰うことができた。この作品も、「幻の蝶」も自分では大人も子どもも関係なく見て貰いたいと思って
いたが、なかなかそうは受け止めて貰えずにいた。でも今回二回の上演を通して、子どもでもしっかり受け止めて貰えるという
確信を持つことが出来た。何処の子ども劇場でも同じようになるとは言えないだろう。
大田の場合は、大人が見せたいと思う作品を
自分達の目で確かめて企画に上げるということを大事に続けてきたことが大きいと思う。
 こういうものを子ども達に伝えたいという、大人にとって一番大切にしたい事に妥協しないできたからだろう。
我々演じる側にはその期待に応えていく大きな義務がある。私にはこういう人たちがいてくれることが何よりも励みになるのだ。
 今年に入って4回目の公演で例年になく多い。連続して出来たことで作品がズンと身体に馴染んできたように感じる。
この作品を演じる面白みが急速に増してきた。これからは『幻の蝶』共々積極的に公演していきたいと思う。
何処へでも行きますので企画して下さる人はいないでしょうか・・・。



「日韓文化交流」
  6月13日(土)
 昨日は地元青梅で韓国の古典音楽と舞踊のコンサートを主催し、そして今日は池袋で行われている「日韓演劇フェスティバル」
に行ってきた。昨夜のコンサートは青梅の古い建物を会場にしての手作りのコンサートで、チャングなどの鼓やピリ等の笛の
演奏と舞い、そしてワークショップで構成された1時間半のプログラム。激しくダイナミックでありながら、また静かなもの悲しさもある
演奏と舞いは、実に迫力があり素晴らしかった。また後半のワークショップでは各地に伝わる「アリラン」の紹介や、太鼓の講習
もありお客様にも好評だった。私もかり出されてサムルノリの演奏に参加し楽しみました。

 そして今日の昼は古くからの知人・森井 睦さんが主催する「ピープルシアター」の舞台「ちゃんぽん」を見て来た。
在日の友人・朴 根鐘さんもテッピョンソの生演奏で出演していて、終演後には彼を始めかつての教え子や懐かしい友人達と
思いがけず何人も再会するという嬉しい一日になった。
 そして嬉しい気持になれたのは何と言っても舞台が良かったから。あの光州事件(29年前に起こった民主化運動)を喜劇仕立て
にした作品を、森井さんの演出は実にダイナミックに組み立てて見せてくれた。日本では戦後60数年をただひたすらに復興と
経済成長に明け暮れてきたが、その丁度真ん中の頃に、お隣韓国では自由と民主化を求めて多くの若者が血を流し、そして
かけがいのない命を失った。

 また先週の水曜日にはプーク人形劇場で、私がかつてお世話になった沈(シム ウソン)先生の一人芝居も見て来たのだが、
済州島で起きた4・3事件を乗り越えて、南北の統一を願うまさに祈りの舞台だった。
 これら三つの舞台から共通するのは未だ近くて遠い隣国という実感。我々が豊かさを享受してきた60年は、韓国ではどの様な
60年だったのか。光州事件を始め多くの悲劇があったが、いずれもその元を糾せば、日本の帝国主義がもたらしたもの。
資本主義社会の盾として、また共産主義社会の盾として分断され自由を奪われた北と南の悲劇に、我々は知らなかったといって
は済まない大きな責任を負っている。まず言い逃れをせずに立ち向かうこと、どんなにその道が険しく困難なことであっても、
目をそらさずに向き合うことから始めなくてはならないのだ。
 いま文化交流は様々な分野で、政治を超えて両者の真の理解を求めて動いている。



「絶滅の危機」     6月7日(日)
 動植物など日々相当数の種がこの世から絶えているそうだ。自然淘汰や環境の変化に適応出来ない物もあると思うが、
やはり一番大きな原因は人間による自然破壊だろう。
そして今、世界中で約2500の言語が絶滅の危機にある。日本でもアイヌ語や琉球諸語が絶滅の危機にあるといわれて久しい。
その原因の多くも人間のなせるところが多い。

 このところ朝日新聞の夕刊に連載されている「生きている遺産 〜言葉よ、よみがえれ〜」にラトビアのバルト海沿岸の漁村に
伝えられるリボニア語に関する記事に心を惹かれた。
世界60億人の中で母語にする人がたった一人の言語、つまり一人しかこのリボニア語を使いこなせないのだ。
そのたった一人の人というのは老人ではなくなんと30歳のユルギ・スタルテさんという女性。
ユルギさんの祖父母の代にソ連の支配下にあったこの地では言語に対する弾圧があり、多くに人がラトビア語に生活言語を変え
させられてしまった。ユルギさんの両親も当然生活の糧を得るには、不本意であっても言語を変えざるを得ない。
自分達の言葉を救いたいと願った両親は、祖父に一人娘のユルギさんにリボニア語で話しかけてくれと頼んだ。
それからは幼稚園にも行かず、祖父の元で毎日昔話や神話、民族がうんだ偉人の逸話などを、祖父が亡くなるまでリボニア語で
会話を続けたそうだ。ユルギさんは今自分の二人の子どもに毎日リボニア語で話しかけているそうだ。
最近ではリボニア系市民の間で自分達の言語を復活させようとする活動も盛んになっているということだ。
「人がその言語を魂と受け止めるなら、幾つかの単語や文章を話せるだけでも素晴らしいこと」とユルギさん。
 
 我々は当たり前のこととして自らの言語を使っている。「言霊」というように言葉は魂。私達は生まれてから現在に至るまで、
成長する肉体の肉や血と同じように言語を育んできた。かつて日本が他のアジア諸国の人々にしたように、世界のあちこちで
力ずくで言語を奪い取るという暴挙が行われてきた。言葉を奪うこと、それは魂を奪うことといって良い。
言葉というのは意味を伝えるだけの道具ではない。一人一人の人生の全てが、その人の語る言葉に宿っているのだ。
その言葉でしか伝えられない想いというものがある。リボニア語もアイヌ語も、その他今消えていく危機にあることば達に
改めていのちの火が再び灯るように願う。



「継続は才能」    
5月29日(金)
 「KAMEN」も「幻の蝶」も、兎に角長い間再演を重ねてきた。どれほどに深化したか、作品が良くなったかなんて自分では
判らないしまた自信もない。人には再演することに意味があるんだ、なんて言っていても本当にこれで良いのだろうかと、
ふと弱気になってしまう。そんなときに元気を貰えるのが観て下さった方からの言葉。
アンケートであったり、公演後に頂いた電話で会ったり、最近では観て下さった方のブログやホームページに書いて下さった
言葉であったり。
 「清水さん、継続は力と言うけれど、私は才能だと思う」と言って下さったのは大田子ども劇場のAさん。
この言葉には大いに元気づけられた。私のようなスタイルのマイムはなかなか受け入れて貰えず、ただ自分に出来ることは
地道に続けることしかないなあ、と思っていた時に、「続ける事それ自体が才能なんだ」と言われ、
何だか自分もまんざらではない様な気になって、すっかり元気になってしまった。我ながら単純です。
おだてられると直ぐいい気になるこの単純さがまた継続する秘訣なんですが。

 ブログにはちょっと苦い経験があって、アレルギーになっていたところがあるのだけれど、長い間他人のブログを見る時にはおそる
おそる覗くような感じだった。でもこのところ漸く少し冷静に見ることが出来るようになってきたのです。
先日の「KAMEN」を観て下さった大阪の長山 現さんがブログをやっていることを知り、おっかなびっくり覗いたらとても嬉しい感想を
書いて下さっていました。私が伝えたかったこと、いやそれ以上のことを舞台から感じ取ってくれていました。
自分の文章力では表現できない事まで書いて下さっています。ご本人の了解を頂いたのでぜひ訪ねてみて下さい。
 長山 現さんのブログ(5月24日の記事のKAMENが、そして3月22日には大阪公演の「ひまわり」や「凧揚げ」のことが)
こういう事が次へのエネルギーになるんです。
長山さんのブログにもありますが、長山さんは楽市楽座という劇団の座長さんです。
9月には一座を率いて東京三鷹の井の頭公園で野外公演をするそうです。私は必ず行きますので皆さんも行きませんか。
私はまだ見せて頂いたことがないのでとても楽しみ。しかも井の頭公園と言ったら私が少年時代を送った想い出の地。
近所の遊び仲間と自分達の庭のようにしていたところなんです。
 

「継続は才能」とは言っても、続けるってエネルギーがいることです。時々本当にしんどくなりますが、こうして続けてこなければ
こんな嬉しい出会いや思いをすることもなかったし、こういう事がまた続ける上での力になっていくのです。



KAMENが終わり・・・    
5月23日(土)
 137,138回目の仮面も無事終わりました。
実はこの公演を決めた後に大田こども劇場の例会で上演したので、今回はそれぞれ138、139回目ということに。
でも初めの頃はここまで続けるつもりもなかったので、きちんと回数を数えていなかったのです。
ということで凡その数字なのですが、この年になると少しでも回数を重ねようと、こんな事でも努力目標になるんですねえ。
来月も同じ大田子ども劇場の例会で取り上げて下さっているので、それで140回となります。
何で同じ作品を何回もと言われたり、一度見た作品はもういいよと言われることも。
でも私には再演する度に発見があって、何度やっても演じることが面白い作品なのだから、ご意見はご意見としていつまでも続けて
いきたいと思ってます。かのマルソーなんか何百回と同じ作品を上演してきて、それを我々も何回となく見て来たのですから。
もし私の作品が繰り返し観るまでの物ではない、ということになったらそれまでの事。
それは私自身の停滞であり後退なので、それで終わりと言うことです。まだ繰り返して観たいと言って下さる人がいる、
そして自分自身も再演する事に楽しみを覚えているなら、必ず何か新しいことが生まれてくるはずです。
今回は、何度も観て下さっている方達から、いろいろ変わりましたね、といって貰いました。良く変わったかどうかは判らないけれど、
演じる毎に、ここはこうしたい、ああしたいと思い稽古をするのですから、変わって行かなければ駄目ですよね。
特に今回はいろいろなところで発見があったので、そう言う感想を頂けたことがとても嬉しいことでした。
作品だって年々成長していくのだ!(でも衰えていく場合も多々あるなあ。)

 ところで海外ではこれという作品が出来たら、その一つの作品を大事にして工夫を重ね、一生演じ続けていくのは当たり前のこと。
勿論新しい作品への挑戦も大事なことだし私も何時も考えています。
でも単純に新しいことは良いことという考え方はもう捨てるべきだとおもいます。
良いものは何年たっても色あせず、むしろ重ねた年輪の分だけ深みを増していくのです。
 様々な局面で行き詰まりを感じる日本の状況は、”新しきことは良いこと”とばかりに物事を深化させてこなかったつけですよ。
何もかにも薄っぺらで直ぐに底が見えてしまう。日本人の専売特許だった確かな技術、職人の技などが年々失われている
危機的な状況も、そのような新しさ信仰がもたらしたのでは。
今この様な時代なればこそ、じっくり腰を落ち着けて一つ事に取り組む姿勢が大事ではないかなあ。

という訳で、この作品はこれからもまだまだ深めていきます。次回の東京公演は来年5月か6月になるでしょうか。
また皆さんとこの舞台でお目に掛かりたいものです。



コンビニエンス
の落とし穴      5月14日(木)
 セブンイレブンが日本で初めてのコンビニとして上陸したのは何年前になるのか。以来急速に日本全国津々浦々まで拡がった
コンビニの網は我々の生活を一変させてしまった。安く、大量に、均一の商品を流通させることにより、全国何処でも同じ商品が手に入る。
営業時間も早朝から深夜まで、いや今は24時間開いている店の方が多いのか。今やコンビニのない生活は考えられないような状況に
なってしまった。便利なことは良いことと、消費者の為と言わんばかりだが果たしてそうなのだろうか?
 何事に置いても物事には裏表、功罪がある。便利、と言うことにおいても功罪がある。
功の方、つまり良いことを上げれば直ぐにいくらでも列挙できるだろう。その功の陰に隠されてしまった罪、つまり良くないことはどうだろうか。
今、我々が直面する多くの問題が実はここに少なからぬ原因があるように思うのだが。

昔々、この世にコンビニがなかった時代、我々はその不便さを乗り切る為に知恵を絞り、そしてまた待つことを知っていた。
夜遅くなって買いたい物が変えない時には翌日店が開くまで待つ。正月ともなると何処も店は閉まっていて何も変えなくなってしまうので、
暮れの中にその期間に備えて準備を済ませ、正月明けまで店の開くのを待って過ごす。今の若者達にはさぞ不便に感じるだろうが
それが当たり前の時代には誰も不便だなんて思わなかった。ちょっと我慢して待てば良いだけのこと、さあ、いまはその我慢が出来ない時代
になってしまったように思う。少しの不便さに耐えられない、少しの時間を待てない、そんな状態がどんどん人々の心からゆとりを奪っている。
直ぐ手に入ると言うことが当たり前になると、直ぐ手に入らないことが我慢できなく耐えられないことになる。
何だか便利さという妄想に追いかけられているような不安。便利なことでゆとりが出来るはずだったのに、却ってゆとりを失ってはいないか。
そう思いませんか、皆さん。

そしてそして極めつけがあのコンビニに設置されるようになったATM。確かに便利ですよね。
私も今や銀行に行くよりコンビニで用を済ませてしまう方が多いかも知れません。いつでも、何処でもお金がおろせる。
そして簡単に借りられる。怖いですよね。パチンコ好きな人達にはこれがかなり大きな落とし穴になっているそうな。
もしかしたらこれは誰もがどんどんお金を使うように誰かが企んで考え出したのでは無かろうか。
消費者の為に便利なようにと言いながら、実は実はとんでもない企みだったのでは、とそんなことをコンビニのATMの前で思ったのでした。
我々はコンビニの網にはまった獲物なのです。でもお間違えなく、コンビニの経営者の多くもまたコンビニ業界の獲物なのですよね。
そろそろ便利至上主義の罠から自由にならなければね。


◆松の剪定      5月7日(木)

毎年この時期になると松の芽(?)が一気に伸びだし、まるで逆毛がたったような状態になるのです。
ほっとくと枝は伸び放題、葉も茂り放題でぼてっと重苦しい感じになってしまう。
そこでこの時期の数日はひたすら松と格闘をする羽目に。最初の頃は何処まで摘んで良いやら、枝を剪定しようにも
おそるおそるでなかなか思い切れずにいたのだが、もう六年目ともなれば少しは慣れて今年はかなり大胆に枝を落としています。
どの芽を残しどの芽を摘むか、何処を落としどの枝を残すと形が良くなるか。ここが剪定の妙味。
なんてちょっと偉そうに言っていますが、いや本当に面白いんですねえ。かなり好きです。
切っても残した枝は直ぐに生長するので、すっきりと格好良い枝振りにする為には、その数ヶ月後をイメージしながらの作業です。
子どもを育てたり、マイムの生徒を教えるのと似ているなあ、なんて考えながらぱちぱち鋏を入れたり芽を摘んだり。
誰にも教わらず自己流ですが、6年目にして漸く、少しではありますが先の状態がイメージできるようになりました。
とはいえ素人の作業、つい切りすぎたりでなかなかバランス良く行かないものです。

 さて今日も朝から雨の合間を縫ってはひたすら作業、楽しくて夢中になっていたらあっという間に日が暮れていました。
近々、綺麗に散髪した松の写真を載せますのでお楽しみに。



◆同化する心      5月1日(金)
 
パントマイムの大切な基本の一つに「同化」というのがあるのです。要するにカメレオンです。対象と心を一つにする事。
対象が人であれ、物であれ、自然現象であれ、演じる人はその対象に身も心も入り込んでいくのです。
壁や風船や凧や風や、或いは犬や猫や駝鳥にも。そのようにして初めて観客の目に何もないはずの舞台に、物や風などが見えてくる
のです。これは他の舞台芸術でも大切なことですが、マイムの場合はあえて「同化」という言葉にして基本の一つになっているのです。

 さて、先日13年乗り続けてきた愛車「チュリ号」(赤いステップワゴン/写真左)が16万キロ走行して引退となりました。
20万キロまでと思っていたのですがかなり老化し、このところちょっと調子が悪くなり修理工場できいたところさすがにもう限界でしょうと
言われ、引退させることにしました。車は私の仕事の必需品、無くてはなら無いものなのですが先立つものも厳しい状況。
とても新車は無理なので中古車をインターネットで検索したら、何と希望にぴったりの車(写真右)があったのです。
赤のステップワゴンで、長尺の荷物が積めるシートのアレンジも希望にぴったり。
まるで私を待っていてくれたようにぴったりのタイミングでした。
もうこれを逃してはと一も二もなく決めて先月末に我が家に来ました。

 さてさてその事と「同化」がどう繋がるのかですね。いやはや物も12年間も一緒にいると家族同然、別れの何とも寂しいこと。
車にもうすっかり感情移入、まるで大切な人との別れのような寂しさ。まさに車に心を同化させておりました。
廃車になっていく車に最後の磨きを掛けて、「ご苦労さん、長いこと有り難う」と心の中で声を掛けて車やさんに連れて行きました。
娘は学校に行く前に最後の別れをし、ちょっぴり涙ぐんでいたようです。
しかししかし薄情なもの、新しい車が来たら前の車のことはもう何処へやら、やはり新しい車は良いなあと家族一同早くも心変わりで
新しい車に夢中なのでありました。ごめんね「チュリ号」。
それにしてもこれも人間の想像力のなせるところ。
人であれ物であれ、気持を移入していくことで相手を大事にする心も生まれてくるのでしょうね。



心に届ける      
4月26日(日)
 昨日、川越カルチャーセンター受講生による公演がありました。生憎の雨、それもかなり激しい雨脚だったにもかかわらず、
70人を超える方が観に来て下さいました。半分以上は初めて観るという人でしたが、皆さんとても熱心に最後まで観て下さいました。

多くの方が自分にはパントマイムは解らないだろうとか、パントマイムってあの壁とか綱引きをやるのだと思ったとか誤解している
こともあり、こうして家族や友人、知人がやるのでもなければまず観る機会はなかったと思います。
ところが来てみたら想像力を刺激されて面白かったとか、心が温かくなったとか、来て良かったという感想を沢山下さいました。
まだまだマイムは、それも舞台表現としてのマイムは知られていないんだと言うことを実感します。
 忙しい仕事の中で稽古時間をやりくりし、準備から公演を終えるまで実に熱心に取り組んで来られた出演者の熱い想いが伝わったと
思います。パントマイムの素晴らしさを知ったお客様が、こういうところから増えていくということは私達プロにとっても有り難いことです。
初舞台という人が半分、上手く見せようとか、マイムを楽しんで貰おうなんて余裕は勿論無く、ひたすら最後まで演じきることで精一杯。
余計な色気がない分、よりストレートに出演者それぞれの思いが伝わったのだと思います。
家族や友人達は普段とは違う出演者の姿を見て、凄く新鮮だったようです。
打ち上げもとても気持ちよく楽しい時間になりました。きっと、何時かまた舞台をやろうという事になることでしょう。

そして今日は、NHK教育TVの手話講座でお馴染みの井崎哲也さんが青梅に私の家を訪ねて下さいました。
以前からぜひ遊びに来てとお誘いしていたのですが、お互いになかなか時間が合わず、漸くゆっくり話す時間が持てたのです。
井崎さんはサインマイムや手話狂言の役者として活躍されていて、私は井崎さんの演じるサインマイムがとても好きで何時か一緒に
舞台を作りたいと思い続けていたのですが、井崎さんも同じ思いでいて下さったようで、一気に公演の話が進み、早ければこの冬に
実現しようという話になりました。近日中に公演決定の報告が出来ると思います。その時にはどうぞお誘い合わせて観に来て下さい。
タイトルだけはもう決まりました。「The Silent Night」です。まだまだ先の話ですがお楽しみに。


◆夢にも見なかったこと、そしてネットの功罪       4月20日(月)
 つい数日前まで,誰も知らなかった一人の女性が一夜明けると超有名人になっている。
これはインターネットという情報伝達の手段がなければ不可能なこと。良くも悪くも一瞬にして全世界に情報が伝わってしまう。
但しインターネットをやっている人にはです。ここが大きな問題ですよね。

私もこうして自分のホームページに載せて情報発信し、直ぐに応えてくれる人がいる。でも身近な人達には伝わっていないのです。
遠く離れた海外にまで瞬時に情報は飛んでいくけれど、すぐそばにいる人達の頭は越して行っている訳です。
遠くの人は知っていてもお隣の人は知らない、なんてつい暫く前には想像も出来なかったことですよね。
小さな村の出来事はあっという間に人の口から口を通して伝わる。数日後は村中知らない人はいないというのが昔の村社会。
この功罪も勿論ありです。でも、ですよね。今は知らなくても良いことがどんどん発信され、知らなくてはならない身近な情報が
伝わってこない。不思議な世の中になったものです。

問題は、さらにこの事で人々の生活が急激に変化してしまうことです。あのイギリス女性も今やTVのインタビューが押し寄せ、
数日前とは180°転換した生活になっているようです。

超高速エレベーターで一気に上り下りするような状態が果たして人間の心にとって良いことなのか。
今回の一件に限らず全てが急激な変化を起こすようになってしまった。
経済もそうではないですか。上がり下がりの急なこと、庶民はこのへ変化に振り回され、ただおろおろするばかりです。
人間が安心して生活できる変化の速度ではとてもない。
何時からこうなってしまったのか、やはり効率第一、早いことがよいこととばかりに交通手段を始め、インターネットに代表される
情報伝達手段、或いは食生活までもと、考え出せばあれもこれもいつの間にやら速く速くと、そればかりを目標に開発されてきた。

本当にこんな生活が我々の求めていたものなのか、今一度立ち止まって考えなくてはいけないのではないでしょうか。
素晴らしい感動を与えてくれたかの女性もここまでの変化は望んでもいなかったでしょうし、考えてさえいなかったと思います。
出来ることなら静かにゆっくり、そして末永く彼女を見守っていたいものです。彼女の歌は本当に素晴らしいので尚更です。
彼女にとって良い方向へ事が運ばれていくように祈らずにはおられません。



◆夢を夢見て          
4月17日(金)
 つい興奮して昨日“What's New”でご紹介したあのイギリス女性。ユーチューブの映像は何百万回と再生されているそうです。
まさにインターネットの時代ですね。一夜にして国内外の有名人になってしまうのですから。以前に同じような経緯でにこの番組から
スターになった元携帯電話のセールスマンの男性歌手は、今や世界的な名実共にスターとなりました。
お二人に共通しているのが、失礼ながら見栄えのしない、風采の上がらない人達だと言うことです。
恐らくそれまでの人生では誰からも振り向かれず、もしかしたらそこにいることさえも気付かれないような人生だったのではないでしょうか。
両人とも番組に登場した時は、審査員も、観衆も皆まともに相手をしていないという有様で、それがいざ歌い出したら見る間に会場の空気
が変わり、会場全体が二人の歌に惹き付けられ、そして形容しがたい感動が会場にに拡がっていくのです。
二人共に飾らない実直そうな人柄と、とても綺麗な目をしていて、本当に5分くらいの短い映像に、お二人の歩んでこられた人生がその中に
集約されているようでした。まさに一本の映画を見たような気さえしました。
結婚もしたことがない、キスもされたことがないというナイナイ尽くしの彼女が唄った歌は“I dreamed a dream(夢を夢見た)”という
ミュージカル「レ・ミゼラブル」のなかのナンバーで、「若い時の夢は破れたけれど・・・」という内容の歌詞があるそうですが、それも又出来すぎ
のような話ですよね。短い映像に全てが集約されていて、思わず涙がにじんでくるのです。
まだご覧になっていない方、“What's New”にお二人の映像をリンクしてありますので、ぜひ観て下さい。



◆お薦めの本にも書きましたが・・・      
4月15日(水)
 ちょっと重い話です。今この年になって初めて戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」を読みました。既に読まれた方も多いと思います。
第二次世界大戦も終局に近づいた頃、多くの学生が学業半ばにして戦争にかり出された。
何故殺し合わねばならないのか、何の為の戦なのか、納得のいかない思いを、ある人は率直に綴り、又ある人は無理矢理思いを押し
殺して、戦地で弾丸に倒れ、海に消え、或いは特攻隊員として散り、又餓えや病に死んでいった。
二十歳前後から20代後半の若者達の苦悩と嘆き、憂いや哀しみの手記は心を揺さぶります。

 私の父もちょうど彼らと同世代で、同じく学徒兵でした。招集され南方フィリピンの激戦地に送られ、まさに九死に一生を得て生還した
のです。帰還できたのは奇跡とも言える状況で、父の手記がこの本に載っていたとしても何ら不思議がないばかりか、その方がむしろ
当たり前ともいえる状況下にあったのです。敵の弾丸がこめかみを貫通し、まさにミリの誤差で死を免れ、しかも多くの死者がいた戦場で
倒れた父は、幸運にも米兵に助けられ治療を受けることが出来、終戦後に帰還できたそうです。相手の銃口がほんの数ミリずれて
いたら父の命はなかったかも知れません。又もしその時銃弾が父の頭を擦らずにいたら、却ってその後に倒されていたかも知れない。
その時の状況をあれこれ想像すればする程、私には父の生還が奇跡としか思えなくなるのです。
ということは今こうして生を受けている自分の人生も奇跡が与えてくれたものだといえますよね。私は子をなし、孫に恵まれた。
その子ども達の命も、又孫達の命もしかりです。私や子ども、孫達がこの世に存在しなかった可能性の方が、こうして生きていることより
大きかった。
そして又忘れてはならないことは、ほんの数ミリの差でこの世に生を受けるはずであった多くの命があったと言うことです。

どんな理由をこじつけようが戦争は絶対にいけない、父も常々子どもの私にそう言っていました。
正義の為に、国を守る為に、などなど戦争をしたがる人達は色んな理屈を並べてきます。核の脅威には核を持ってたいするべきだとか、
おまえは家族が危うい状況になっても戦わないのかとか、尤もらしいことを言っていますが、いま私たちは改めて力で力を押さえることは
出来ないと言う事を肝に銘じなければならないと思います。国と家族は同じように考えてはいけないし、力の均衡はつぎつぎにエスカレート
していくしかないことを知るべきです。
先日のオバマ大統領の軍縮に関する演説に希望を見いだします。人間の知恵を力に依らない平和の世界を実現させる為に使う時が来た
のではないでしょうか。


◆稽古にならない・・・
4月13日(月)
 青梅のスタジオを閉めた後、週1回の河辺スタジオとは別に青梅市の市民センターを
お借りして自分だけの稽古をしている。奥多摩方面に車で15分、沢井駅の傍にある澤井
市民センターの多目的室は、この種の施設としては珍しく床が板張り。適度の弾力があって
私には願ってもないスペースなのです。広さもA、B、Cの全てを使えば大きな作品の稽古にも
充分だし、3分割できるので必要に応じた使い方ができとても有り難い。
但し、他の使用者と一緒の時は仕切りが簡単なパーテーションなので、どうしてもお互いに音が
漏れてしまうので、その点はマイナス。でも幸いマイムの日常の稽古はまず無音なので、私の方
から迷惑を掛ける心配が無いのは、使っていても気が楽です。

 さてそのセンターの前、直ぐ下に多摩川の清流が流れていて兎に角景色が良い。
寒い冬の間は良かったけれど、先週の金曜は朝から天気が良くちょうど櫻が満開。
しかも木々が芽吹き始め若葉の美しいこと。山桜も木々の間に点在し、私の一番好きな青梅の
風景なのです。河原では釣り人がのんびり糸を垂れ、アベックが仲良くお弁当を拡げ始める。
ウグイスが鳴き、風に乗った桜の花びらが稽古場の窓から飛び込んでくる。
渡ってきたばかりのツバメたちも気持ちよさそうに風を切って飛び回っているの。私は気がつくとつい窓辺に肘を突いて景色に見とれて、
稽古にならない一日でした。でもこんな環境で身体を動かせるのは幸せなことですね。

ついでですがこのセンターのお隣は澤ノ井酒造が経営する食事処があって、綺麗の造られた庭園はビヤガーデンならぬ日本酒ガーデン。
川風に吹かれながら一杯出来るのです。いつかセンターで身体を動かして汗を流し、その後ここで一杯、なんて企画を立てましょう。
皆さんどうですか。やろうという方がいたらメールを下さい。



◆議員の世襲に大反対です。
  4月9日(木)
 国会であれ、地方議会であれ、今日のようにかなりの割合で世襲議員がまかり通っているのは考え物です。
最近の社会事情に何ら有効な手を打てず、生活給付金やら児童手当やら、思いつきで行き当たりばったりのお金のばらまきでは
問題は何にも解決しないでしょうね。
 簡単にお金をばらまくのは何故なのか、理由はいろいろありましょうが、政治家に二世、三世議員が多く、教育にしても介護にしても、
自分達がお金が無くて困ったという経験がない人達ばかりが寄り集まっているからではないかと思いますが如何でしょう。
 貧乏人は実はお金が無くたって何とか生きていくのです。というよりも当座のばらまきで得たお金ぐらいではどうにもならないのですよ。
直ぐに又苦しい状況に戻ってしまうからです。手元の限りあるお金をどう使ってこの場を切り抜けるか、我々貧乏人は何時もその事を考えて
日々を生きている訳です。そう簡単にホイホイお金を使うことが出来ないのですよ。
勿論議員のみんながそうだと言っているのではないのです。何とかしなければ、と一所懸命の人達も沢山いるでしょうが、
どうも力を握っている議員の多くは世襲議員のように見えるのですがどうなんでしょう。

 母子家庭の手当をカットしてしまう、入学前三年間の児童に限り手当をする、介護の人達の手当は上げるけれど同時に利用者の負担
も上げる。どれもこれも、付け焼き刃の対応で、真に困窮している人にとって本当に必要な事は何か、もっと真摯に弱者の現実を見極める
目が欲しいものです。でもそれは豊かな生活しか送ってこなかった多くの議員さん方に求めても無理でしょうね。
少子化担当大臣・小淵さん、失礼ながら貴方はお金さえ出せばいくらでも子どもの世話は見て貰えますよね。
働かない、働く気のない母親の母子家庭には支援をしないそうですが、お金がないから子どもを預けることが出来ず、
働きたくたって働くことが出来ないという状況を考えたことがあるのかなあ。
前にも書いたことを繰り返すけれど、これはやはり想像力の問題ですよ。
イマジネーションの力に乏しい政治家の皆さん、もっとしっかり心を磨いて下さいな。
 議員はそれぞれ自分一代限りで終わり、自分の子にはバトンタッチできないということにすれば、もうちょっとまともな議員が増えると
思うのだけれど。そんな単純なことではないのかぁ・・・。



◆連日の舞台見物      4月5日(日)

 今日も娘と舞台を見に新宿まで。行く先は先日杷木のフェスティバルで一緒になったびりさんと
ブッチィーさんが中心になって企画されたクラウンのフェスティバル。
国内のクラウン他、フランスとドイツ、そして韓国からも参加しての賑やかなステージでした。
韓国のクラウンは友人のチェ・キュウホウさん、久し振りに再会出来て嬉しかった。
以前のぐいぐい押していくステージとは又ひと味違い、老芸人の最後をしんみり、しっとりと見せてくれた。
びり&ブッチィーさん他、日本のクラウンの皆さんのステージも楽しいかった。
フランスから来たミモザさんのマジックはベテランの味、ドイツの二人組・ジ・アウトサイダーズの舞台は
一番オーソドックスでマイムのコント風で楽しみました。そして圧巻は女性のクラウン・みぎわさんのステージ。
アコーディオンと軽妙な唄で一気に盛り上げていました。
YEN TOWN FOOLS(びり&ブッチィーさん)のステージを見るのは今回が二回目、お二人の温かな人柄が芸にでていて好感が持てます。まだまだこれからどの様に進化していくのか楽しみなお二人です。
クラウン芸も良いですね。ちょっぴり自分もやってみたくなりました。(写真は九州/杷木でご一緒した時のものです。)

そう、劇場に行く前に娘のリクエストで住友ビル48階にある平和記念展示資料館にも行ってきました。
隔週行っている朝日カルチャーの上にあるのに今回が初めて。時間が無くて駆け足でしたが又ゆっくり寄ってみようと思います。
さて春休みも今日まで、随分とあちこち遊んだ一週間でした。




◆花冷え            
4月3日(金)     
 今日は好天に誘われて、急に思い立って娘と昭和記念公園に行ってきた。おにぎりをこしらえ、電車に飛び乗って30分、、
広い園内は平日にもかかわらず花見を楽しむ家族連れなどでかなりの賑わい。今年は開花が大部早くなるといわれていたのに、
この一週間の寒さで結局は例年並み、いや例年より遅い開花になってしまった。都心はかなり開いているようだが、立川、青梅と
多摩川をさかのぼるに従って開花は遅く、記念公演の櫻もほぼ満開のもあるにはあるが、」ほぼ三分か四分咲きといったところか。
青梅ともなるとまだ漸くちらほらと咲き始めたというところで、やはり大部気温が違うことを実感する。
久し振りにのんびりと過ごした一日。
 櫻はやはり特別な花。何時のことからか毎年櫻を見ながら思うのは、これから後、何回桜の季節を迎えることが出来るのかということ。
他のどの花々も咲くのは年に一度きりで櫻と何ら変わらないのに、やはり櫻のあでやかさ、華やかさ、散り際の見事さには格別な感情を
抱かせられてしまうのですね。



◆あっという間のひと月でした。      3月30日(月)
 一日に母の葬儀を終えてから、6日のRAFT、20日は大阪でマイム・ファンタジア公演、21日ワークショップ、22日の枚方では
シンポジウムのゲストとしてマイムを見て頂き、24日には大田こども劇場のワークショップ最終回、26日はやはり大田こども劇場の
例会でKAMENの上演、そして29日の九州/福岡県杷木のフェスティバルでの「幻の蝶」で締めとなりました。
合間、合間はそれぞれの作品の稽古や準備もしと、怒濤のような一ヶ月でした。
 母の死を言い訳にはしたくない、そして良い舞台を作ることが月並みですが私に出来るせめてもの供養と思い、
何時になく(?)しっかり稽古に精をだしました。身体が持つか、心が崩れないか多少心配もありましたが、母が後押しをしてくれた
のでしょう、どの公演も、ワークショップも充実して終えることが出来ました。
お陰で悲しんでいる間も落ち込む間もなく、むしろ快調に日々を過ごせたことは我ながら意外な程です。
 もっと悲しまなければ母に済まないような気もするくらい元気で、何だか羽が生えたように軽やかな日々でした。
恐らく数年の間自分なりにじっくり母の介護に携わる事が出来、昨夏の入院後半年のあいだ、充分に母の死と向き合うことが
出来たからだと思うのです。幾ばくかの後悔も無い訳ではないけれど、充分と言えるくらい納得して母の死を受け止められた
ためだと思います。少しは涙が出てきても良いのに葬儀の時に多少じわっと来たくらいで、なんだか自分でも拍子抜けといった
感じです。何時かジンワリ哀しさがおそってくるのかなあ・・・。あまりに薄情なようで母に申し訳ないくらいです。

 さてそれぞれについても書きたいことは山程あるのですが、今日は大田こども劇場のKAMENの舞台について少し。
私は自分の作品は何れも子どもも大人も関係なく見て貰ったら良いと思っています。解ろうが解るまいが、それはどうでも良いのです。
大人だから解るなんて事は決してないし、子どもだから解らないなんてことも言えないのです。
これは実際に今まで何度も経験してきたことです。そもそも解る、というのは作品への向かい方としてはあまり大事ななことではなく、
私が大切にしていることは舞台からその時々ににしかない何かを感じて貰いたいのです。子どもはその子なりの経験や感性で、
その時は何だか言葉で説明できなくても、何かを感じ取っているはずです。少なくとも大の大人が、其れも子ども達からすれば
祖父さんのような大人が、直ぐ目の前で汗を流して懸命に動いている姿を、其れは何でなのかきっと何かあるはずだと受け止めて
いる思うのです。
 さて今回の大田こども劇場の例会は、いつものKAMENの客席と違い半数が子ども、其れも小学校低学年もかなり多かった
のですが、最後までしっかり向き合って見てくれて、しかも子どもなりにしっかり反応を返してくれたことに心を動かされました。
私の舞台に対する思いは間違っていないぞという自信を与えてくれた例会でした。
長く生きているということは、邪魔な意識や知識で縛られているということでもあります。
子どもの可能性を過大評価してはいけないでしょうが、一方で大人の価値観や理解の範疇で子どもの能力を見定めないことですね。



◆久し振りの大阪、楽しんできました。   
3月23日(月)
 やはり間を開けてはいけませんね。せっかくアンケートにご住所を頂いた方も、何年も経ってしまうとかなりの数でDMが
戻ってきます。年に一度は小さくても良いから公演し続けていこうと改めて思いながら帰ってきました。
二十数年前から十年程は頻繁に京都や大阪で講習会をしていたので、その時受講して下さった方々がお子さんや友人を連れて
見に来てくれました。その時はまだ若者だった人達にもう大きなお子さんがいて、改めて時の流れを実感したのですが、
こうしてお子さんやお友達を連れてきて下さるのは、何より嬉しいことです。
長く続けてきた甲斐があったというものです。

今回の公演は沢山の友人達の応援で実現しました。ずーっと大阪で地道にマイムを続けてこられた伝三・Fさん、
水彩画家・おかだみほさん、ギタリストでありまたマイミストでもある北川チコさん、そして東京におられた時からいろいろと
お世話になっていた東放エンターテイメントの八木さん、その他にも沢山の方々が力を貸して下さいました。
本当に有り難うございました。
それにしても毎晩良く飲み食いしました。美味しいお酒でした。又皆さん飲みましょう!

舞台のことや、翌日のワークショップ、そして翌々日のシンポジウムでのことなど、又改めて書きたいと思います。
取りあえず大阪のご報告でした。

◆明日から久し振りの大阪です。   
3月18日(水)
 何年ぶりになるのかもう判らない程、時が空いてしまいました。本当に久し振りの大阪、楽しみでワクワクしています。
懐かしい方々が何人も来て下さるようだし、新しい方との出会いも又楽しみです。今回はマイム・ファンタジアとしたのですが、
何だか新旧取り混ぜたごっちゃにの様なプログラムになってしまいました。楽しくやってきます。
その翌日は枚方でワークショップ、そして翌々日はやはり枚方でのシンポジウムの中で30分程時間を頂いてマイムを見て戴きます。
これを機に、又関西方面での活動に力を入れていきたいと思っています。

さて今日は波多野さんの個展を見てきました。いつもながら遊び心のある優しい器達でした。
見ているだけで楽しくなってくる、そんな陶芸展です。お近くの方、ふらり覗いてみて下さい。
遠くの方は青梅散策をかねてぜひ脚を伸ばして下さい。梅はそろそろ見納め、でも来週には櫻が綺麗かも知れないですね。

母が旅立って三週間が過ぎました。何だかまだ実感が湧いてきません。笑顔のとても良い写真があったので、其れを遺影に
したのですが、見ていると声が聞こえてきそう出し、振り返ればいつも座っていた椅子に腰掛けていそうで・・・。
まだ暫くはこんな状態が続くのでしょうね。

話はまるで飛んでしまうが、AIGのボーナスはあまりにもふざけた話。みんなで契約解除だ―!
私はAIG関係には入っていませんが。



◆RAFT            
3月7日(土)
 昨年の5月から始めたMime in Raft、昨夜無事6回目の公演を終えました。
ひと月置きの公演は、他の公演と平行してだったので、制作的にも、作品を作る上でもなかなかに大変な仕事でした。
せっかくの企画なので最低一本は新作を、と自分に課題を設けてのシリーズだったので、久し振りに作品作りに追われる
苦しさと、又作品を作る作業の楽しさを存分に味わいました。どうにも仕上がらず見切り発車の作品もしばしばでしたが、
こうして追い込まれないと楽な方に流れてしまう私にとっては、とても貴重な場になりました。
取りあえず今回で当初の予定をひとまずやり終えたのですが、又再度構想を練ってシリーズ第二弾を6月から再開する予定です。    
ところで、RAFTでは小さな空間という事を活かして、お客様とのふれあいを大切にすることを心がけてきました。
大きな舞台では終演後などにお客様と直に話したりすることはなかなか出来ませんが、RAFTでは舞台が終わった後にお客様と
一緒に飲んだり食べたりして交流する場を設けることで、出演者とお客様、お客様同士それぞれに楽しい交流が出来ました。
今回は27,8年前に西ドイツ・ケルンで出会った方が、このホームページを見て来て下さり、思いがけず嬉しい再会をしました。
舞台の楽しみはこうした人との出会いや再会にもあるのです。ケルンでのことはまた「幻の蝶」のページで書きたいと思います。

母の死から十日足らずでの舞台で、果たして作品が間に合うか心配だったのですが、お陰様で何とか見て戴けるような
作品になりました。どう言ったらよいのか判らないけれど、ここ数年ずーと気がかりだった母のこを気にせずに済むようになり、
身も心も軽くなったみたいです。こんなことを言ったら母には申し訳ないけれど、これは紛れもない私の実感。
でも同時に、この数年の間に抱えた様々な問題や、其れで考えた多くのことが、自分の作品作りの上でとても大きな財産に
なったと思います。今回は母の事を言い訳にしては、母に対して申し訳がないという気持もあり、却って短い期間に集中できた
と思います。母が後押しをしてくれた舞台でした。
兎に角無事やり終えることが出来、今はただただホッとしています。

さてケルンで出会った方とは庄司達也さんといいます。いまは東京成徳大学・日本伝統文化学科の先生で、
仲間の先生や学生さん達と「伝統文化資料室」というブログを立ち上げられていて、そこに私のことも書いて下さいました。
伝統文化に興味のある方、覗いてみて下さい。 

◆隙間             3月3日(火) 
 今日で母が亡くなって一週間になる。早いです。
 半年の入院中、当然ながら母は家にいなかったのだが、母の部屋には確かに母の気配がありました。
どう言ったらよいのか、部屋にそのままになっている母の服や使っていた物たちが、主の帰りを待っているかのような
感じでした。もしかしたら帰ってくるかも知れない、帰って来られないにしても、別のところだとしても今生きている。
我々が迂闊には手を出せない空気があったのです。
 そして無くなったその日から数日間、葬儀の前日まで遺体となって家に戻り、自分の部屋に横たわっていた母は、
もういのちがなく冷たい身体では有ったけれど、矢張りそこにしっかりと存在していたのです。
 其れが遺骨となった今、母の部屋に置かれた骨壺に入った母は、次第に物と化しているといっていいでしょう。
部屋の空気感が違うのですよ。
同じように無言で、同じように物体ではあっても母の姿をした死体と骨壺では大きく違うのですね。
母の部屋が急に物置小屋のような無機質な空間になってしまいました。
服も、愛用していた品々も、主が居なくなって急に精気を失ってしまったように見えます。
部屋の、家のあちこちに小さな隙間が少しずつ拡がり始めました。


◆別れ
                   2月27日(金)
 一昨日25日に母が旅立ちました。数年前から認知症となり、半年前に誤嚥が元で肺炎を患い市民病院に入院。
一時はかなり危ない状況になったのですが本当に強い人なのですね、持ち直して医療型の介護施設に転院したのですが、
心不全が進行し四ヶ月の病院生活でした。
半年の入院生活の間に母は多くのことを残してくれました。本当に貴重な時間を母から与えて貰ったと思います。
病院の院長先生始め、看護師、介護士の皆さんの適切な対応のお陰で最後はとても安らかに息を引き取りました。

妹、父と相次いでなくした時は舞台の仕事があり、どちらも最期を看取ることが出来ず、これが役者の宿命かと思い
何とも割り切れぬ気持が残ったものでした。そんなこともあり、母だけは何とか最期を傍にいて看取りたいと、この数ヶ月
祈るような思いでいたのですが、ほんとうに有り難いことに息を引き取る母をしっかりと看取ることが出来ました。
今は悲しいと言うよりも、大仕事を終えて肩の荷が下ろせたという安堵感の方が強いですね。
何れ時間が経つと寂しくなってくるのかなあ。

生きていくことは本当に大変です。でも死んでいくことも、そしてその死を看取る側も大変なことだと改めて感じました。
このページに母のことを書いていたので、思わぬ方からもご心配いただきました。本当に有り難うございました。
母の事では実にいろいろなことを考えさせられました。何れゆっくりここにも書いていきます。

さて来週の金曜日はRAFTです。しっかり頑張らねば。頑張ることが大嫌いなんだけれど今回はちょっとね。


 
◆60なんてまだまだ若い。                  2月23日(月)
 我々団塊の世代がリタイヤしだし、これからどーんと増えていく老人をどう支えていくかが大きな社会問題になっている。
若い世代との比率のバランスが大きく崩れていく中で、若者への負担が増えると言うことだが、なに答えは簡単。
定年制をなくしてしまえばいい。もし其れが駄目ならキャリア豊かな高齢者の雇用を増やせばいいだけ。
60なんてまだまだ若造だ!仕事をやりたくてうずうずしている人はいっぱいいる訳だし、ましてやこの不景気のご時世、
もう国の世話になんかならず、自分の力で稼げる人には稼いで貰えば良いではないか。
その分のお金は身体を壊してしまったりして、働きたくても働けない人に手厚い援助をして欲しい。
働けるというのは本当に嬉しくて幸せなことです。

とにかく私なんか退職金はないし、年金も無し、子どもはまだ小さい、病気になったら何の保証も無し、ひどいモンです。
したくても一生リタイヤできないのですよ。死ぬまで働く、働けなくなったら死ぬ。そんな覚悟で生きています。
なんて強がっていますが、心配したって始まらないと言うだけです。好き勝手に生きてきたのだから仕方なし。
身から出た錆、自業自得、そんな声があちこちから聞こえてきそうですが、ここまで来たら開き直ってやれるだけやろう、
そんな心境でますます舞台作りを楽しんでいます。
先日もモスバーガーでしたか、高齢者が生き生きと元気に働いている姿をTVでやっていました。
まだまだやる場さえあれば出来るのですよ。私もボチボチ高齢者の仲間入りですが皆さん元気でやりましょう!

◆キャンプイン                2月15日(日)
 プロ野球がキャンプイン、何時からかこの時期の野球が一番面白くなった。新人の動向やベテランの復活、
今年はだれが新しい戦力として出てくるだろうか?このどうなるか判らずあれこれ想像を膨らませるのが
楽しみなのである。シーズンに入って自分の予想や期待が実現していくのも嬉しいが、現実になってしまうに従って
次第にどうでも良くなってしまうのであります。
 暮れの契約更改では何故たかが野球の選手にこんな高額年俸を、そしてまだどうなるか判らない子どもに我々が一生
掛かってても手に出来ないような契約金を、と無性に腹を立てるのだがいざキャンプに入って懸命に白球を追っている姿を
見ると忘れてしまう。これも年のせいなのだろう、若い時は贔屓のチームの勝敗に一喜一憂していたのだが、今は殆ど
執着が無くなってしまった。好きなチームが勝っても負けても自分の日々の生活には関係ない事だし、良いプレーが
見られれば其れでよし。なんだか熱くなれない自分を寂しく思う時もあるのですが。

 それにしても近年の野球選手は高額な年俸を貰いすぎだと思うのだけれど如何でしょう。
川上、金田、長島、王らが活躍していた時はまだ我々の感覚で許容できる範囲だったと思うのだけれど。
大リーグなんか年俸何億がざら、たかが野球ですよ、人より上手いと言ったて何十億なんて異常です。
大変な努力をしているのは認めるけれど、イチローや松井、松坂達を素直に応援できなくなっているのはその為ですね。
そんな金持ちの野球ごっこ(なんて言うと怒られるよね)を旗振って一生懸命応援しているファンの姿が健気ですよね。
こんな風にちょっと冷ややかな目で見てしまうのは私のねじれた性格と、貧乏マイム役者の僻み根性の故かな。
それでも子どもの時から大好きな野球、この時期になると気になってついスポーツ新聞なんかを買ってしまうのです。
あーあ、本当に私も馬鹿だなぁ。



◆脱原発   
          2月9日(月)
 地震大国日本のずさんな原発施設設計・管理が、幾つかの重大な事故を引き起こし、今なお隠されたままになって
いる事も山程あると思うのだが、一般の危機意識は低いまま。このまま原発を増やし続けて良いのだろうか。
我々は今一度、そのプラス面とマイナス面について一人一人考えてみる必要があるのではないか。
 そんな風に思っているのだが、脱原発を推進してきたヨーロッパの国々が方向転換をし始めた。
有限の石油資源、問題が出てきた風力発電、増え続ける電力需要という現実を前にして、果たして今までのような
脱原発、反原発では問題解決になるのだろうか?
これだけ電気に依存してしまっている現代社会。自ら知らず知らずに電気の恩恵を甘んじて受けている身として、
どう考えればよいか、ただ反対と言っていたのでは何ら説得力を持たないし何も変わらない。
人間の生活様式を根本から変革していかない限り、益々電力への依存度は増していく事だろう。
 原発は出来る事なら少なくしていきたい。その為にも冷静に判断出来る力を身につけたいと思う。 

 そういえば、山手線は信濃川(確か)の水で動いているそうな。しかもJRは約束以上の水を不正に取水して。
その為に川の下流は細々としか水が流れなくなってしまったという事です。当然魚や水中の生物が生きていく
ための環境は破壊されている訳です。約束通りの水量では大幅に運転が制限されてしまうということで、
原発に限らずこうして地方の犠牲の上に都会の生活は成り立っているのですね。
私が利用している青梅線や中央線、西武線はいったいどこの水で動いているのだろう。
自分が使っている電車の電力がどの様に調達されているのか知りたいものです。
どなたがご存じなら教えて下さい。


◆春の気配が
    2月8日(日))
 去年一年間写真を撮り続けたお陰で季節の変化に敏感になった。寒い寒いと思っていたらしっかり
春が来ています。しだれ桜はもう2分咲き、昨日はクロッカスとムスカリが小さな黄色と青い花をそれぞれ
一輪咲き始めた。内も外もいろいろあって、ゆっくり季節を楽しむ余裕のない日々だったが、自然はそんな人間の
一喜一憂に関係なくあたりまえに流れていく。そんな小さな花一輪に心がふと和らぎ、穏やかな気持になる。
こんなことに救われることが多いのですよね。

◆RAFT       1月24日(土)
 昨夜、シリーズ5回目の「Mime in RAFT」をゲストに狂言の松本薫さんをお招きして上演した。
目の前で繰り広げられる松本さんの藝の迫力は流石。改めて伝統の藝の力強さを認識させられた一夜だった。
茂山千五郎(現千作)師に師事して35年余、すっかり風格も出てきた松本さん、生来の明るいお人柄が演技にも
滲み出て大らかな楽しい舞台になりました。今回は小さな空間で、しかもおひとり。本来の狂言を見ていただくことが
出来なかったのですが、これはこれで普段の舞台では決してみることが叶わない貴重な舞台でした。
お客様も大いに堪能して下さったと思います。
 それにしても前半40分の予定が一時間半近くになってしまい、後半は私の作品をカットして何とか9時に終演、
その後の交流会も大いに盛り上がった楽しい時間になりました。

お客様の中には、23年前の「幻の蝶」京都公演を見て下さった方がお嬢さんを連れてきて下さったりも。
私の舞台を覚えていて下さったことにまず感激、そして小さなお子さん連れでということに又感激でした。
そして自分の記憶には消えていたのですが、私を松本さんに引き合わせて下さった方だそうでビックリ。
こういう事が何より次へのエネルギーになります。それにしてもこのところ記憶が怪しくなってきました。
また、他のお客様とは、人と人との繋がりの不思議を感じた出会いがありました。
舞台はこうした様々な出会いを生み出す場でもありますね。大きな楽しみの一つです。
来て下さった皆さん、本当に有り難うございました!

ところで肝心の私のマイムはイマイチの仕上がり。
しっかり気を引き締め直して次回3月6日に向けて稽古に励まなければ。
兎に角、松本さんのエネルギーに圧倒され、大いに刺激を受けた一日でした。
「次回のラフトは新作だらけにするぞー」なんてちょっと大きな事でも言っておこうか。
そうでもしないとなかなか新しい作品を作らないので。
ゲストの延原さんのピアノ、これがまた良いのです。お誘い合わせて見に、聴きに来て下さい。

ところで今日、庭のしだれ梅の蕾が一輪ほころび始めました。これから庭が楽しくなります。
そう、3月の下旬にカルチャーの生徒さん、波多野さんが青梅のギャラリーはこ哉さんで焼き物の個展を開きます。
個展を覗きに来がてら青梅散策なんてどうですか。梅も、多分櫻も綺麗ですよ。


◆羅漢さん          1月18日(日)
 カヤノノこと萱島信子さんの「羅漢さん」の個展を見てきた。正しく言えば書の方との二人展。
ノブさんは旦那さんのテリーさんとお嬢さんと今メキシコに住んでいる。
テリーさんはバルーンアートの名手であり優れたマイムアーティスト、
奥さんのノブさんはテリーさんと共にマイミストとして長く日本で活躍していたのだが、
数年前、テリーさんのふるさとカナダに帰りそして今はメキシコにいる。
久し振りにあったノブさんは絵描きさんになっていた。羅漢さんと猫たちが画廊の壁に
何とも穏やかで柔らかな表情で並んでいた。絵に限らず我々のように個人で表現をすると言うことは、
否が応でもその時々の自分の内面がでてしまう。
表現への行き詰まり、経済的な悩み、家庭の問題、等々表現する時は良い時ばかりではない。
むしろ落ち込んでいたり精神的に追い詰められている時の方が多い。
でも、得てしてそんなときほど心情溢れた作品が出てくるものかもしれない。
でも心が荒んでいては矢張り良いものは出てこない。
ノブさんの羅漢さんや猫の穏やかで優しい表情にノブさんの今が見えてくるようだった。
 
さて、2月から3月のある日、メキシコのあるところに其れは其れは沢山の蝶が現れるそうな。その名をモナルカ蝶という。
ノブさんからのメールには次のようにありました。
 「体長10センチほどの小さな羽根を一生懸命羽ばたかせ,5代にわたってこの聖なる場所にやってくるモナルカ蝶は、
その数1億匹とも言われています。その1億匹が木にとまる姿は神秘的でもあり、異様な光景でもあります。
モナルカ蝶の不思議とは。。。
メキシコの森で出会い、愛の交歓が始まり、帰路についた後、4月から5月の初め頃に子供が生まれます。
5月から6月にかけて2代目が生まれ、7月から8月にかけ3代目、その後4代目、9月にメキシコへの冒険旅行に
旅たつのは5代目にあたるといわれています。
先祖の辿ったコースを長い月日と命を賭けて、全く同じ事をするということです。
しかも、先祖が泊まった樹木と同じ木にとまるとも言われています。この遺伝メカニズムが未だに解明されていません。
カナダからメキシコへは1代でくるそうでメキシコからカナダまで5代かけて戻るそうです。」
 
 何時か絶対に見に行くぞー! でも観光客が増えて問題も起きているようで複雑です。           
残念ながらノブさんの個展は今日で終わり、又の機会があったらご案内します。
ノブさんに蝶の話を聞きたかったら23日のRAFTに来て下さい。ノブさんも来てくれる予定です。
 

◆スタジオ
 残念ながら遊芸舎スタジオを閉鎖した。丸3年、稽古場として、或いはスタジオ公演の場としてそれなりに活用し
色々遊ばせて貰った。矢張り自前の場があるということは大きな事で、作品作りも時間を選ばず、また身体を動かす
にしても自由に好きな時に出来たので、自分にとっては大きな存在だったのだが、如何せん経済的に持ち出しが
厳しくなってしまった。もう少し生徒が多く、また色々活用されればそれなりに維持できたかも知れない。
矢張り青梅という地は余りに都心から遠く、この地で経費に見合う収入を上げる経営能力や才覚が私にはなかった。
何せ稽古場を維持する為に生徒を増やそうという気がないのだから仕方ないか。
 
 それでもこの3年で片岡君が独り立ちしてくれそうだし、谷川君ももう一踏ん張りというところまでこられたのだから、
それなりの役目は果たせたかと思う。暫くはエネルギーの充電をし、又新しいことに挑戦しようと思う。
 自前の稽古場を持つことは何時も夢なのだが、あればあったで其れで安心してしまったり、その維持でキュウキュウ
としてしまうのでは本末転倒も甚だしい。ここいらで又、少し厳しい環境に戻して気合いを入れ直そうと言うことだ。
 
まだまだ自分自身、これからもマイム役者として舞台に立ち続けていきたいと思ので、取りあえず余分なことは放って
おいて何よりも我が身をしっかり鍛えていなければ。
根が出来るだけ楽をしたい自分としては、この様な状況になればなるほど自分の精神力を試される訳だ。
その結果はしっかり舞台に出てしまうんだなあ、と思うと身が引き締まる。
どうぞこれからの舞台で見ていて下さい。                              1月11日(日)
         
 
◆生きること        
 母が入院してから5ヶ月が過ぎた。認知症が進行し、しかも心臓にも問題があり、医者からは何時どうなるか判ら
ないので覚悟するように言われていた。年を越すのはとても無理と思っていたのだが、大正生まれの身体は頑丈。
昨年の10月から医療型の介護施設のお世話になり、おかげで我々家族の肉体的、精神的な負担は想像以上に
軽減された。だがその分経済的な負担が増加して、結局スタジオの維持が困難になった訳だ。
うーん、老人問題は本人もだが、家族に精神的、肉体的、経済的に今後益々大きな問題を抱えていく。
在宅で最後まで看取りたいと思っていたのだが、胃に穴を開けチューブで栄養を摂り、また排泄もチューブを通し、
寝たきりの状態で、素人が看るにはあまりに困難になってしまった以上他に選択肢はなかった。
 
 延命治療は断っていたのだが、最初の入院時に薬の投与で鼻からチューブを入れたのが結局外せなくなり、胃瘻
の手術をして胃に直接栄養補給をすることになってしまった。口から食事を取れなくなったら其れまで、と思っている
のだが現実はなかなかそのようにさせてはくれない。
人間は口から肛門までチューブのようなもの、というがそのチューブが機能しなくなったら別の人工チューブになって
しまうなんて。生きるのも死んでいくのも大変なこと。
 
 日によって認知症の状態も変わり、偶に、本当に何日かに一度ちょっぴり意識がしっかりすることがあって、こちらの
呼びかけに応えてくれる日もあるのだが、殆ど反応が無く一日寝ているようなことが多い。
身体をさすると母の体温が手を通して伝わってきて確かに生きているという実感があるのだが、無表情な顔を見て
いるとこれで生きていると言えるのだろうか、とも思ってしまう。
生きている、ただ其れだけで凄いことなんだと、そんな風にも思うのだけれど。
 
それでも自分にとっては大きな母の存在。複雑な思いでその寝顔を見る日々が続く。     1月10日(土)
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
◆希望の光が。             2009年1月6日(火)
 このところ厳しい話ばかりでしたが、でも人間の可能性にむしろ希望が見えてきたように思うのです。
派遣切りの冬の嵐の中で声を上げて立ち上がった人達、其れを支援しようと手をさしのべた名もない多くの人達。
我々日本人はどうしてこうも我慢強くなってしまったのか、いや意気地無しになってしまったのかと思っていたけれど
とんでもなかった。今暫くは厳しさも変わらないだろうが、少しでも世の中を変えていこうとする人達の姿が見える。
 
 ここ数年ご無沙汰をしてしまったインドに初めて行った時に何より強く印象に残ったこと、其れはまさにシェアーの
社会だと言うことであった。身分格差と貧富の差の激しいことで有名なインドだが、実はその中で分け合うと言うことが
当然の行いとしてあった。
富めるものは貧しいものに分け与える、貧しい人々は仕事を分け合い皆が少しの金銭でも得られるようにする。
其れは駅のポーターたち、町で単純労働をする人達など行く先々で目にしたことであった。
友人たちと食事をするときは皆で皿の食べ物を分け合う、乗り物に乗ればお互い様といってそれでも窮屈な席なのに
身をよじって空間を空けて座らせてくれる。今でこそこの国でもシェアーをしようという言葉が聞かれるようになったが、
インドにはとうの昔から当たり前のこととしてあった。
でも最近のインドは市場経済の波が押し寄せそうとばかりは言えないようだが。
 
 今回の派遣切りの問題を前にして、国を預かる政府の面々の何と影の薄いことか。恐らくどうしたらよいのか手だてが
見つからないのだろう。右往左往しているとしか思えない。変えていくのは案外単純な、其れも子どもでも判る人間の
生き方の基本に立ち戻ることにあるのではないだろうか。自己の利益を求めることから離れお互いに助け合う、
その為に自分は何をすればよいのかをそれぞれが改めて真剣に考えることが今最も大切なことではないか。
其れを具体的に実行する上での諸問題を検討し、現実的に練り上げるのがプロとしての政治家の役割だと思うのだが。
 
 これからがとても楽しみになってきた。今年は少しずつでも良い方向に向かっていきそうな気がする。
私はとにかく楽観的すぎるのです。
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
◆蝉時雨                       2008年7月21日(月)
私の頭の中は何時も蝉時雨。
もう何年になるだろうか、何故か季節でもないのに蝉が鳴いている、それも子供の時に毎夏聞いていたあの
懐かしい蝉時雨が聞こえたのだ。だが良く耳を澄ませば何のことはない耳鳴りだった。
最初のうちはちょっと気になっていたが、蝉時雨は私が大好きな思い出の一つで、この耳鳴りを聞いていると
子供時分の風景や友達達のことが思い出され、やがて苦痛どころか密かな楽しみの一つになってしまった。
 
私は武蔵野の雑木林が残る吉祥寺で生まれ育った。遊び場は井の頭公園。
夏休みなどは朝から日が暮れるまで、ずーと公園で過ごしたものだった。自転車を乗り回し、野球に明け暮れ、
また蝉やトンボを追い回したり、池ではザリガニつりをしたりと遊ぶことには事欠かなかった。
夏の夕方の楽しみは、アナゼミといっていた蝉の幼虫つり。地面に目をこらして探すと所々に小さな穴がある。
その穴に細い枝を差し入れてそっと周囲をえぐり穴を広げ枝を差し入れる。
すると中にいる蝉の幼虫が枝をつかむのでそっとつり上げるのだ。シャツに幼虫を何匹も付けて家に帰り、
蚊帳の中に留まらせて幼虫が成虫になるのを息を飲みながら待つ。
蚊帳をよじ登りやがて動かなくなった蝉の背が割れ、殻から蝉の成虫が身をよじるように抜け出してくる。
抜け出したばかりの透き通るような美しさ、まだ小さく縮んだ羽が時間と共に拡がっていきやがて色づいていく様
をワクワクしながら見守ったものだ。
時には家に持ち帰る途中で落としたり強く持ったせいで、羽が伸びきらず飛べない蝉になったものもあった。
7年も土の中にいて、漸く出てきたのに可哀相なことをしたものと後悔もしたが、セミつりの楽しさを止めることは
出来なかった。今の子供達は勿論、もう成人しているオトナの多くもこのセミつりの楽しさは知らないようだ。
 
今もたまに公園や空き地で探してみるのだが、なかなか昔のように蝉が入っている穴を見つけることが出来ない。
都心は家やビルが建ち並び、道や空き地もコンクリートでふさがれて、蝉が生き続ける環境はどんどん少なく
なっているせいだろうか。いやそればかりではなさそうだ、子供の感がもう無くなってしまったのだろう。
それにしても都会では蝉時雨を聞く機会もとみに少なくなってしまったのは寂しい。
 
一週間ほど前に車を運転しているとき、懐かしいニイニイゼミの声を聞いた。あれまた耳鳴りか、と思ったのだが
間違いなく蝉の声。それも私の大好きなニイニイゼミだった。
そう、私の思い出の、そして大好きな蝉時雨は小さな声で「チイチイ(ニイニイ)」と鳴く、あのなんとも冴えない
色と形をした小さな蝉の時雨れる声なのだ。
そういえば昨日は今年初めてミンミンゼミの鳴く声を聞いた。
いよいよ夏がやってきた。そして耳鳴りはずっとそのままにしている。
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
◆作り出すことと産み出すことと。        2008年6月23日(月)

 「私たちの場合は作り出していったという感じですが、芸術家というのは産み出すんだと思いました。」
これは昨日、辻幹雄さんのコンサートのあとロビーで聞いた言葉です。「上手く言えないとですが・・・」という
前置きのあとその日に私たちが舞った神楽舞で感じたことですと、熊野大社から来て下さった大西権祢宜
が私に伝えてくれました。芸術家かどうかはさておき「作り出す、と産み出すのではどう違うんだろう。」と考えて
いたのですが、今朝ふと思ったのです。
 「作り出す」のは技です、人間の技術や知力などを使って意識的な作業と言ったらよいでしょうか、ある意味で
人工的な作業ですよね。
一方「産み出す」というのはもっと肉体そのものから発する非常に動物的な作業と言ったらよいでしょうか。
知力や技術とは関係なく、命の活動の中から条件が整ったときに自然発生してくる、人間に限らず太古の昔から
綿々と受け継がれてきた命そのものの作業です。「芸術とはそういう物ですね。」と言われたのだと思いました。
大西権祢宜は熊野日記でもご紹介しましたが、私が振りを付けたお神楽の男舞「熊野」を舞われた方です。
その舞は邪心がなく実に堂々とした大らかな舞でした。
その彼からの言葉はとても率直に私たちが大切にしなければいけないことを伝えてくれたと思います。
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
◆欲しいもの            2008年5月24日(土)
 
 こどもの頃の我が家はかなり貧しくて、家族が日々食べていくことで精一杯の状況だった。
まだ小学生だった昭和30年代の前半は、我が家ばかりではなく日本中の多くの人達が、
それぞれに戦争の後遺症を抱えて懸命に生きていた時代だった。
それはこどもの我々にも親の背を通してちゃんと判っていたのだった。
 復興半ばで皆が必死に生きていたし、その時々に子供心にお金が無いと判っていても、
それは当たり前のこととして惨めな思いもせずにいられた。
 
父は戦場で受けた傷がもとで体調がすぐれず、仕事も思うに任せない状態だったので、母はあの
頃はまだ珍しい共働きで仕事に出ていた。母の仕事は長期で地方に行く事が多く、私は妹と二人
、夜遅くに帰ってくる父を食事を作って待つ日々も珍しくなかった。でもそれは仕方のないことと
思い、食事の用意などそれなりに自分たちに与えられた仕事が誇らしくもあり、寂しくはあっても
辛かったという思い出はない。
 
 今でも鮮明に覚えているのが父と母に連れられて珍しく外食をしたときのこと。
吉祥寺だったか、デパートのような所の食堂に入ったのだが、注文したのは私と妹の分だけ。
運ばれてきた料理を見て、妹と私が両親に「どうして自分たちだけなの?」と聞くと、二人は
「自分たちはお腹がいっぱいだから良いのだ」と言って私たちが食べるのを見ているだけだった。
親たちが嘘を言っているのではと何となく想いながら、でも久し振りに食べる外での食事が嬉しかった。
この出来事は今も心の隅にほろ苦い思い出として残っている。
 
 当然、おもちゃなど欲しいものがあっても買って貰えず、クリスマスや誕生日にはもしかしたらと
淡い期待で日々過ごしたものだった。自転車は親戚から貰った女物のお古、グローブも欲しかった
けれど矢張り買って貰うことは出来なかった。ところがたまたま公園で遊んでいたときに見つけた
落とし物のグローブを交番に届けたら、一年後に期限が来ても落とし主が現れず警察から連絡が
来て自分のものになったのだ。期限前の数日、あと何日で自分のものになる、と指折り数えて待った
ことがつい昨日のことのように鮮明に覚えていて懐かしい。そのグローブは自分の宝物になった。
嬉しくて毎日グローブを持って遊びに出掛けたものだ。
 
 ところで私には他にも欲しいものがあった。それはトランスの操作で動かせる模型の汽車や電車。
親戚のお兄さんが持っていて欲しくてたまらなかったのだが、我が家の暮らしではあまりに
高価なもので、ついに買って貰うことは出来なかった。私は吉祥寺にあった模型屋に行くたびに、
いつか自分で買うんだとショーウィンドーに飾られていたそれらの模型を眺めていた。
我慢しなければ、辛抱しなければ、待たなくてはいけないことを否応なく学ばされたと言って良い。
 
待つことや我慢が出来なくなった子ども達へ。
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
◆母の日に                   2008年5月11日(日)
 
 父がいて母がいて自分がいる。 この当たり前のことをつい忘れてしまう自分がいる。
いま、日に日に記憶を失っていく母がいる。 そんな母につい辛く当たってしまう自分がいる。
その母の下の世話をしながら、自分はこの腹から生まれてきたんだと思う。
 
 我が家の茶の間には若い母と父に挟まれた私が2歳くらいの時の写真が飾ってある。
戦争で九死に一生を得て復員した父のことを、若々しいときがあったんだという母のことを、
そして二人に命を貰い、苦労し育ててくれ、さんざん迷惑をかけてきたことを思い出すために。
 
 日ごとに幼児のようになっていく母、昔自分にしてくれたように今は母の世話をする。
一日に話す言葉は限られている。「お腹が空いた」「オシッコがしたい」「痒いの」、
なんだか判らないけれど「お願いしまーす」。
寝るときに布団を掛けながら「おやすみ」と声を掛けると「おやすみ」と答える。
 
 母との間に会話といえるものはもうほとんど無い。一日何も出来ずに車椅子に座って、
時間が過ぎ、食事をし、排泄をし、そして眠る。そんな母を看ながらふと思う。
今一体何を考えているのだろう、一体考えるなんて言うことが今の母にあるのかなと。
でも実は何も判らないような顔をして、自分や家族のことを見ているのではないかと。
 
 人は何のために生きるのか? 母は? 何の楽しみもないのに。
そうか、もしかしたら母はこの私のために生きているんじゃないか。 
いつまでもしっかりしない私を鍛えるために。お陰でかなり鍛えられてきました、有り難う。
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
◆ふっと思出す人                2008年3月28日
 
 何の脈絡もなく、何でこの時に、と言うような瞬間に突然、深い関わりのあった友人や
故人を思い出すことがままある。 今も健在の友人ならばどうしているかな、会いたいな
と言う温かな気持ちに浸れるのだが、これが故人となるとどうしようもない切なさに胸を
締め付けられる。 それは父や妹であったり、恩人、友人だったり。
 
 今日もそうだった。 朝の稽古でストレッチをしていてふっと心に浮かんできたのだ。
何の関係もないのに。 何も思い出すような要素はないのに。
 秋田の親友で私の初演の「幻の蝶」を秋田からわざわざ見に来てくれた男のことを。
その時、彼は見ず知らずの人だった。 新聞に載った公演の記事を見て来てくれたそうで、
終演後に楽屋を訪ねてくれて、そのまま打ち上げに参加して貰い、以来大切な友人となった。
 その後、彼は何度か私を秋田に招いてくれて公演をプロデュースしてくれたのだ。 
家に泊めて貰ったり、温泉に浸かりながら話をしたり、酒豪の彼に付き合うのはなかなかに
苦痛であったが酒を酌み交わしながら演劇談義にときを忘れて過ごしたりと、思い出は
今なお鮮明に心に浮かぶ。
 三年前の秋、突然の訃報に言葉を失い葬儀に飛んで行ったのも、遠い昔のような現実味
がない記憶になってしまった。
和賀敏雄、きみが今この同じ時間を生きていないなんて。 君の低音の美声で語るあの
津軽の方言詩「まるめろ」をもう一度聞きたいなぁ。
 
そう、ここまで書いてふと気づいたのだが、「まるめろ」は津軽の詩人・高木恭造さんの
詩集で、実は「幻の蝶」はその高木さんの随筆「幻の蝶」から題を拝借したのである。
改めて不思議な縁を思う。
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
◆星空                                     2008年2月29日
 
 月に何回か仕事の帰りが深夜になることがある。 新宿のカルチャーセンターのときは
ほぼ100パーセント皆と飲んで帰るので、青梅に着くのはだいたい深夜零時に近い。
幸い、青梅ライナーという特急の車両で運転されている非常に快適な列車があり、
酔客でごった返す新宿から指定席にゆっくりと座って帰るのは、ちょっぴり優越感が味わえる
ちょっと贅沢な楽しみなのです。青梅駅から十数分、ほろ酔い気分で帰るときの私のもう一つ
の小さな楽しみは夜空を見上げながら歩くこと。
矢張り都心に比べるとかなり空気が澄んでいるのです。冬は耳が痛くなるほど空気が冷たい
けれど、晴れた日の星の美しさについ寒さも忘れブラブラ歩きになるのですね。
「きらめく星座」でしたっけ、「「木枯らしとだえーてさゆる空より・・・」と、ふと気付けば歌って
いるのです。 
 ちょうど奥多摩に入り口にある青梅は、三方を山に囲まれ街にはネオンもないので星がよく
見えるのでしょうね。 でも奥多摩方面の西の空と、都心方面の東の空ではまるで星の数が
違ってしまう。 と言うより東の空には殆ど星が見えないのです。 
ですから私は都心に背を向けて西の方を見ながら帰る訳です。 
近くには高い山はなくて、山々の稜線は私の目よりちょっと高いくらいなのですが、
一昨日なんてその低い稜線に乗っかるようにして星が瞬いていました。 
ちょっとしたプラネタリウム。 そして、ときには流れ星も。
そういえば子どものころには、生まれ育った吉祥寺でも同じような、いやもっと沢山の星が
見えたっけ。 天の川も見えたんだからこの半世紀で如何に変わってしまったことか。
空気が汚れたこともあるでしょうが、何と言っても明るくなりすぎたんですね。
 
 闇は大切ですよ。 星空や月夜の明るさなんて忘れている人が多いでしょうね。
 年に一度で良い、それもほんの一時間で良いから街の明かりを消して空をながめる日が
あったら、と皆さんは思いませんか。 
 私は青梅の星空を見上げる度にそう思っているのです。
                          4年に一度の特別な日に。
 
 
 
 
◆同じ?                                2008年2月16日

 2+2は4、2×2も4。では足し算で出来た4とかけ算で出来た4は同じ4? 
今週の朝日新聞の夕刊「人生の贈りもの」と言うインタビュー記事での、無着成恭先生の問いですが、
皆さんはどう思いますか?
 無着成恭「先生」としたのは実は私の小学生時代の恩師だからです。 
明星学園で4年から6年までの3年間お世話になりました。 
山形から出てこられて何年か経っていたはずですが例の山形弁丸出しで、
初めのころは我々生徒はヒアリングにかなり苦労した記憶があります。
受け持ちの生徒を三年間のあいだに,クラスの全員を三回に分けて山形の自宅(お寺)に連れて行って
下さったことが何よりの思い出として残っています。
授業では「何故だろう?」「どうしてかな?」と言うことを何時も問われていたように思います。
 
ところで、上の答えは解りましたか? 
答えはこのページの一番下に。(なんて週刊誌のクイズみたいで済みません。)
計算機やパソコンでは簡単に4という数は出せるけれど、何故そうなのかという一番肝心な部分を理解
出来ないまま過ぎてしまう。
答えは知っているけれど分かっていない状態と言うことですね。
 
さてマイムの作品作りも実はこの「何故?どうして?」の繰り返しから生まれるのです。
マイムを続けていく事って常に自分に問いかけること。
だから何時までも終点に着かないのです。
 
今、無着先生は大分県国東にある泉福寺の住職をされています。
 
 ▼「無着成恭の掌話集倶会一処」「詩の授業」「人それぞれに花あり」など
   太郎次郎社より著書が多数刊行されています。     太郎次郎社
                                                        
--------------------------------------------------------------------------------
 
◆言葉と言葉の合間                                       2008年2月1日

言葉と言葉の合間、沈黙の中から生まれる言葉にならない喜び、哀しみ、呟き、囁き、叫び。
最近、母の介護をしていてつくづく思うのは、生まれるのも大変だけれど、死ぬのもまた大変なことだなあと。 
そしてもちろん生きていくのもまたまた大変なことですよね。
でも、みんなこの世に生を受けてから終わりのその時まで、笑ったりしながらなんとか生き抜こうと
する。 そんな人生の、言葉にならない喜びや哀しみ、怒りを私はパントマイムで演じていきたい。
                                                        
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
⇒4個の答え 足し算は同じもの同士しか足せない、かけ算だと同じもの同士は掛けられない。
同じ4個のリンゴでも、二つあるところにさらに二つ増えたときの4個と、二人に二個ずつあげると4個になる
場合では4個の中身が違うのだ、ということを知ることが分かるということだと。

MumboJumbo 2

2009年末まで