「絶対他力」  11月25日(日)
私は、俺は、自分は絶対に正しいと思う姿勢が物事の本質を見誤ることになる。自分は本当に間違えていないのだろうか?と自身に
常に問いかける姿勢を大切にしたい。「私には正しいか誤っているかよく判らない」、この曖昧さの中に身を置くことで、他者に対して理解をしよう、
共に考えようという、他者との関わりが生まれる。
「絶対の正義」がどれほど世界の協調・平安を崩してきたことだろう。宗教の本来の役割は人智を越えた力、意思を置くことで人間の独善を
省みる所にある。お互いに自己の正義のみを主張せずに相手の考え方に耳を傾ける、自らの正義で他を裁かない。

自分の理解が及ばない価値観の違いを力ずくで打ち負かすのではなく、判らないという心を誠実に生きることが大事なのではないだろうか。

ヒンディー語の文法では「私は貴方を愛しています」と言う時に、「私に貴方への愛が宿った」と言う言い方をするそうだ。
「私ではない大きな存在が、私に貴方への愛を宿してくれた」ということなのだ。
大きな存在に生かされ、大きな存在から預けられたこの命。
世界がもう少し自我を捨て、大きな力に委ねることが出来たら、もう少しは平安な世界が築けるだろうに。
週間金曜日の対談(花園一実さんと中島岳志さん)から見えてきたことなのです。


「鬼の子守唄」  
6月19日(火)
16日の土曜日、青梅でコンサートを企画した。私の大好きな歌唄い、川口京子さんに来て頂いたのだ。
十数年前に知人のコンサートにゲストで出演されていた川口さんの唄を聴く機会があり、それ以来の大ファン。
一つ一つの言葉をとても大切に思いを込めて唄われる。
川口さんの歌を通して日本語の美しさを改めて実感し、日本の歌って何と素晴らしいのだろうと初めてこころから思わせて頂いた。
青梅の人たちに是非聴いて貰いたいと思い続けてきた事が実現し、私にはとても幸せな一夜になった。
来て下さった皆さんにとても喜んで頂けたことで、言葉は悪いが「してやったり」と内心鼻高々。
その晩のコンサートは客席、スタッフそして川口さんとピアノの長谷川さんとが皆ひとつになれた素晴らしい時間を過ごせた。

今回は私の希望で「母の歌」を中心にプログラムを組んで頂き、最後の歌はこれも私のたっての希望で「ヨイトマケの唄」。
何回聴いても目頭が熱くなるのだが、今回もスタッフでありながら聴き入ってしまい、じわーっと涙が溢れてきてしまった。
「アザミの歌」、「五木の子守唄」、アンコールの「男はつらいよ」ほか、総て良かったのだが、時間が立つにつれて心の中で大きくなってきたのが
「鬼の子守唄」なのです。阪田寛夫さんの作詞、 中田喜直さんの作曲による短い唄ですが、阪田氏の発想が素晴らしいのです。
短いので詩の全文を載せます。

 〈鬼ヶ島の鬼の子はやっぱり夜ふけに泣くのです——〉
   《こわいよ かあちゃん / 桃太郎がきたよ / はちまきしめて / のぼりもたてて / ガッパ ガッパ / 海からきたよ /
     ねんねよ ぼうや / 桃太郎もねんねだよ / 西の空まっくろけ / 東の空まっくろけ / ガッパ ガッパ / こんやはさむい》

私達が誰でも知っている桃太郎の鬼征伐、犬と猿とキジをお供に鬼ヶ島に鬼退治に行く話です。
今回川口さんがこの唄を取り上げたのは、鬼にだって母親がいたし、また子どももいるのだということなのです。
鬼ヶ島の鬼の子には、あの桃太郎が襲ってきた事件はどんなに恐ろしかったことでしょうか?
何しろいきなりやってきて暴力をふるい、大事な物を一切合切奪い取って行ったのですから。

ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、鬼とは異国人、あるいは地方の民達のことだと言う説があります。
このおとぎ話の裏には時の権力者と、それに従わなかった地方の民のことが唄われているのだという説です。
権力者に反旗を翻す不届き者、それが鬼。ならば桃太郎はと言えば権力者の回し者。
桃太郎は権力者の命によって、貧しい犬や猿やキジを、吉備団子ごとき僅かな褒美で命がけの仕事にかり出した訳です。

鬼は悪者ではない、従わない得体の知れない者達を「鬼」と言って卑下したのですよね。
何だか原発の事故現場で働く作業員の方達と、電力会社のお偉方にも重なって見えます。
昔から戦争にかり出され、一番危険な前線に送られるのは農民や貧しい庶民達。鬼(庶民)の哀しみが見えてきます。
被抑圧者、被征服者達の深い怒りも感じられるような気がします。
何事もひとつの方向からしか見ないと大切なことを見落としてしまう。弱い立場にある人達の目で見ることが大事ではないでしょうか。


「時間の進む速度」  6月10日(日)
専門学校の授業では毎回始めにその時々に感じたことを話すことから入る。パントマイムに関することは殆どなく、社会問題やら、
自分の体験やら、歴史の事やら、何やらかんやら取りとめなく。とにかく世の中のことに関心を持って欲しいのだ。
で先週は「時間の流れに」ついての話しだった。
10分と言う物理的な時間は、どのような時でも同じ10分、だと思うのですが違うのかなあ?それはさておき、時間が早く過ぎるように感じたり、
遅く感じたりするのは、これはここの感覚の問題ですよね。仮に一時間という時間が、面白い舞台だとあっという間に過ぎていたりするのに、
詰まらないととてつもなく長い時間に感じてしまう。これは誰しも経験があることですよね。(自分の舞台は、と言われるとさてどうなのか)
私は小学生の頃学校が嫌いで、二年生くらいから後何年あるのだろうと考え、時の流れの遅さにうんざりしていた。
どうですか、全く覇気のない子だったのだなあと思われるでしょうね。はい、全くその通りでした。
それが、中学、いや高校に入ってからか急に流れが速く感じられるようになり、マイムを始めてからはもうあっという間の45年でした。
専門学校では、日々の生活が楽しく充実し始めたのでそう感じるようになったのだろうと話したのだが、どうもそればかりではないようだ。
というのは偶々話をしたすぐ後に読んだ雑誌にこの様な記事があったのです。

 ―生物学者の元川達夫氏によると、動物に於いては時間の進む速度はエネルギーの消費量に比例する。その事を人間に当てはめると、
  現代の時間は縄文時代より40倍速いことになるという。だが人間の体自体に大きな変化はない。現代人と縄文人の心臓のリズムに差異
  など、ほとんど考えられない。そうなると早くなった時間が体にストレスとしてのしかかってくる。時間の進む速さが早いと、情報量が多くなる
  と考えると、この事が身体に及ぼす影響はどうなるのだろうか。―(一部書き換えています)

つまりですね、縄文人の四十年分を現代人は一年で送っていることになる訳です。言葉を換えると、縄文人の40倍の情報を日々身に浴びながら
生活しているという事ですよね。人間の心と体のキャパシティーはそんなに変わっていないとしたら、こんなに過剰な情報を受け止められる
はずがないのです。現代人が如何にストレスを貯め込んでいるか、おそらく自分では気付かないのでしょう。それに耐えられなくなって、心や体に
変調を来す人が多くなるのは当然のことなのだ。
ここ14年でしたか、この国の自殺者が三万人を超えたままで推移している。ことに最近は若者の自殺が増えているという報道があったが、
専門学校でも過呼吸やら自律神経失調やら鬱などの精神的なバランスを欠いてしまう子供が増えているように思われる。
時間の速さや情報量の多さに人間の心と体がついて行けなくなっているのではないだろうか。
私自身が時間の流れを早く感じるようになったのは、もしかしたら日々の生活充実していたと勘違いして、実は情報量の多さに振り回され、
それを吸収しなければとアタフタしていただけなのではないか。

時間が早く感じることは決して良い事ではなさそう。そろそろこんな生活を見直さなくてはいけない時がきたようです。


「本当に切ないことです -高速バス事故に思うこと-」  5月2日(水)
高速道路で起きた深夜バスの事故にはいろいろな意味で胸が詰まる思いです。
まずなによりも突然「明日」を失った七人の方々と家族のことを思うと言葉がありません。重い病を抱えていたり特別な事情がない限り、
普通であれば「明日がない」なんて思いながら生きている人はまずいないでしょう。自分が明日生きているという確証はないのだと、それは
頭では承知しているのだけれど、寝る時には明日の予定を考え、また次の舞台のことを考えと、いつも未来について思いをめぐらせながら
日々の生活を組み立てている。
亡くなった方々も一人一人が明日のことを思いながらバスに乗り眠りについたはずです。まさかその明日が来ないなんて思いもせずに。
残された家族や友人達も、まさか亡くなった方々が明日いなくなってしまうなんて夢にも思わず。
このところ思いがけない事故が頻発し、突然命を奪われる、失うという事件が相次いでいるけれど、私もそうですが、誰も自分の身に起こる
とは考えない。この様な形で人生を断ち切られてしまうって本当に切ないです。

そして居眠りをしてしまった運転手のことを思うのです。未だ43歳,ようやく人生の折り返し点です。これから先の長い年月を、自らの過失で
奪ってしまった七人の命を背負いながら生きなければならないとは。そう思うと胸が締め付けられます。
病院に運ばれる時に彼は、自分は眠っていたと証言しているのだから、正直な人なのでしょう。彼もまさかあの夜を境に自分の人生が一変して
しまうとは心にも思っていなかったはず。
彼を弁護したり、同情する(同情したくなる部分は多々ありますが)のではなく、ただ彼の心を思うだけです。
これは全く私の推測ですが、余りにも彼が置かれた状況に問題があったように思えるのです。

いまバスや長距離トラックの運転手の過酷な労働が問題になっています。
マスコミもここぞとばかり取り上げていますが、長距離、しかも深夜の運転の危険性は、運転手へのアンケートなどで何年か前から把握
していたそうだ。それなのに国はきちんとした規制や指導をせず曖昧な規則で濁してきた。この責任は大きいですね。
私自身、舞台の仕事で長距離を自分で運転して移動することが多く、実は何度かひやっとした経験もあります。
自分では起きていると思っていたのに、はっとしたら運転しているのに少し前の記憶がない。走行車線からふわーっと追い越し車線に車が
寄っている。路側帯にはみ出して運転していたなど。また目の前の車が右へ左へとふらふらと走り、明らかに居眠りと判る時もあった。
幸い自分はこうして事故にならず無事でいるのだが、一歩間違えばという状況にあったはず。毎日運転しているプロのドライバーなら、その
恐ろしさは身にしみて判っているでしょう。それでも仕事を受けなくてはならなかったのは何故なのか。二人乗務にして欲しいと言えなかった
のはどうしてなのか。何故バス会社はこの様な過酷な仕事をさせたのか。バス会社に値を下げさせる旅行会社。果てしない安売り競争。
ダンピングに次ぐダンピング。運転手もバス会社も旅行会社もこの悪循環に飲み込まれている。
安全を二の次にしてまで経済を優先させるこの状態は、もう日本だけではなく世界中に蔓延してしまっている。
またかと言われるかも知れないけれど、原発も同じ構造ですよね。

そしていつもその犠牲になるのが弱い立場の人々なのです。事故を起こした運転手は中国からの引き揚げ者?とか、数年前に二種免許を
取ったばかりの彼は、雇い主に厭だと言えなかったでしょう。言われるままに仕事をしないと首を切られるかも知れない。
そうなるとただでさえ仕事がない今、引き揚げ者というハンディを背負った彼は、多少の無理があっても断れず仕事をこなさなければならな
かったでしょう。彼の立場を思うと辛いです。

そして亡くなった方達も、決して裕福な人達では無かったのでは。余裕があれば疲れる深夜バスは使わず、新幹線や飛行機を利用したり、
また数日の余裕を持って宿泊したりと、違った手段を選択するでしょうから。新幹線なら一回の往復がバスなら数回できる。
一人の旅費で数人が移動できる。少しでも節約したいと思うのが庶民です。そうして節約した結果がこれでは余りに悔しいではないですか。

それにしても腹が立つのはこういう仕組みにして儲けている連中がいることだ。市場原理、競争社会、弱い者は負け強い者が勝ち残る社会。
その犠牲になるのはいつの世も、どこの国でも社会の弱者達なのだ。


「草食系男子vs肉食系老人」 4月18日(水)
最近、我が家は魚を食べることが多い。家族が余り肉類を好まないと言うこともあるのかも知れないが、私自身も以前ほど肉を食べたいと
思うことが少なくなってきた。野菜と魚が主で、肉を食べても少量で満足してしまう。歳の所為かと思ったがどうやらそうでもないようだ。
二、三日前の新聞に最近は年寄りも魚離れで肉を好む人が増えているのだそうな。そういえば数年前になくなった母も肉が大好きで、
認知症になった後もおかずが肉だと嬉しそうな笑顔で実に美味しそうに食べていたっけ。
肉食が中心だと闘争的になるなんて誰かが言っていたと思うが、となるとこれからの老人は闘争心が強く手に生えない輩が増えてくるかも
知れないなあ、なんて自分のことは棚に上げて案じてしまう。東京都のやたら息巻いている困った老人なんか尚更パワーアップするかも。
どうしますか若者達よ。肉食系老人の暴走が始まったら大変なことになりますぞ。

最近の若者、それも男子は草食系だそうだけれど、草食系と言うことは穏やかで闘争を好まないと言うことなのですよね。
そういえば学校で教えていても、最近の若い人達は実に優しく穏やかな顔をしている子が多いように思えるのです。時々彼らに「最近怒った
ことはあるか?」と聞いてみるのだが、大半の子どもたちは怒り、腹を立てると言うことがないようで、にこやかに「無いです」という答えが
多いのだ。怒りがない若者なんて私には信じられないのだがどうやら本当にそうらしい。
「怒れる若者達」なんて言うのはもう過去の話なのですね。事を荒立てず、まあまあと上手く折り合いを付けて、穏やかに過ごすことが、
今の若い人達の処世術の基本のようなのだ。

「争いがない世界を目指す」ことには全く異存はないのだけれど、今の世の中、その為には怒らなくてはいけないことが山ほどある。
今の社会に怒るような事がないとなるとこれは大問題だと思うのですよ。
東京都のあの困った老人ではなくても、世の老人達は怒っています。肉食系とは言えない私も大いに怒っています。
草食系の若者達も理不尽なことには怒ろうよ、もっともっとね。そうじゃないと肉食系の怒れる老人達に食われてしまうよ。


「為政者の務めとは」  4月12日(木)
 封建時代、独裁社会ならいざ知らず、この民主社会にあって為政者がなによりも優先させなくてはいけないことは、国民、市民が
安心して暮らせる安全な社会を作り守る事だろう。我々はそれ以上の何も求めてはいない。
日本に限らず多くの国の為政者の姿勢は果たしてどうだろうか。
誰もが人々が豊かで快適に暮らせる社会を作ると言う。だがここでいつも欠落しているのはその豊かさや快適さの内容だ。

  ほんとうの豊な社会とはどの様な社会か、またどういう状態を快適であるというのか、それは人それぞれの価値観に左右されることで、
決してひとつの結論にまとめられることではないし、ひとつの方向に縛り上げられては息苦しくなってむしろ生きづらい社会になるだろう。

今までの暮らしが仮に豊で快適だったとして、その暮らしを維持するために、いつ最悪の事態を引き起こすかも判らないような状況を強要し、
命の危険を常に心配しなくてはならない状況に追い込み、後世に汚れに汚れた環境を残す。
本当に我々はそのような環境で生きることを願っているだろうか。

 そのような危険を賭したつな渡りのような状況で造り上げた社会が確かに快適で豊であったにしても、そのような社会の豊かさや快適さは
うわべだけに過ぎず、ちょっとバランスを崩そうものなら再び昨年の二の舞となることを、いやもしかしたら本当に取り返しのつかない事態に
なることを皆がしっかり認識することだ。
幻想で固められたひとつの価値観に縛られないで、一人一人が考え、模索し、意見を交わし合い、絶えずより良いと思われる方向に変えて
いく柔軟さを持った社会であって欲しい。これまでの暮らしぶりが成り立たないなら暮らしを改めればよいだけのことだ。

私の住む近くを流れる多摩川の水は、高い橋の上から川底の小石が見えるほどに澄んでいる。木々の緑、野鳥のさえずり、川面を吹き渡る
風のすがすがしさ。多分今は下流でも同じようにきれいな水になっているだろう。4,50年前の多摩川を思い返すとこんなにまでも美しい川が
蘇ると想像できただろうか。住宅排水や工場廃液の垂れ流しを徹底して規制したことで、こうして環境は変わったのだ。
どうしたら放射能に汚染された今の状況を改善できるか、その為に我々は何をし、どのような生き方をすればよいか、しっかりと方向を示し、
自由な発想で取り組む、そのような柔軟さ、想像力を持った為政者こそ今求められている。


「アカハラ」っていわれてもねぇ・・・  3月25日(日)
セクハラ、パワハラ、そしてアカハラだそう。「アカハラ」って何って思われた方もいるでしょうね。私もつい二日前に知った言葉です。
アカハラ、つまりアカデミックハラスメントだそうな。要するに教師が生徒に対して行うハラスメントだそうです。
具体的に言うと、だらだらとやる気が見えない生徒に対して「君はもう辞めた方が良いよ」と皆の前でいったり、何回注意しても
一向に判らない奴に「お前バカか」なんて言うのもアカハラになるらしい。
生徒に訴えられるともう勝ち目はないとか。セクハラなんかまさにそうなんだろうが、被害者?の言い分がとにかく優先されるそうだ。
勿論体罰なんてとんでも無いこと。こうなるともう常に生徒の顔色を覗って物を言わなくてはならないことになる。
こんなバカなことはないだろうと思うのだが、私が教えている専門学校、大学のいずれからも気をつけるようにと通達があった。
態度の悪い生徒に「お前なんかに教えたくない、出て行け!」と怒鳴ったり、「ふざけるな!いいかげんにしろ!!」なんて言ったり、
私はもうしょっちゅうだった。だが「これからはもうこんな言葉は吐けないなあ」なんて思いながら授業は出来る訳がない。
生徒の顔色を覗いながら授業なんて出来るか。

何でこんな事になってしまったのか。今の子どもたちは打たれ弱く、厳しい言葉やきつい言葉にすぐめげてしまうそうである。
「そうである」なんて、何十年教えてきている私が言うのもおかしな事だが、私個人も今まで相当きついことをいったり、強く叱ったりも
してきたが、それでめげてしまわれたことはないと思っていたからだ。実は私が鈍感で気付かなかっただけなのだろうか。
勿論、子どもたちの性格は出来るだけ見極めながら、この子は強く言うと駄目だろうなという子にはそれなりに対応してきたが。

小・中・高校と不登校、引きこもりなどで学校に行くことが出来ず、通信教育で高卒の資格を取った子どもたちが大学に入ってくる。
それがすべて問題だというのではない。ただ社会的にもまれることから逃れてきた子どもたちの中には、人とのコミュニケーション
の取り方が判らないまま成長してきた子もいるだろう。他者の言葉の奥を理解する、あるいは言葉の裏に込められて思いを感じ取
ることが出来ずに、言われたことをそのまなストレートに受け止めてしまう。「バカヤロー!」という言葉の裏に込められた思いが
理解できない、「出ていけ!」と言う裏には「気を引き締めて来い!」の思いがあるんだと言うことを感じ取れないとしたら哀しいことです。

原因は色々あるだろう。ひとつには、TVゲーム、携帯、パソコンなどにより、直接他者と向き合うことが無くなってきているのも原因と
して考えられるのではないか。これからの社会では、こういう子どもたちがどんどん増えていくかも知れない。
そしてまた親や大人達が自信を持って子どもと向き合えていないのではないかとも思う。自身がないから子どもを甘やかす、
何でも与える、何でも良しとしてしまう、何もかも先に手を差し出してしまう。子どもが大人を甘く見てしまうのは当然。
本気で叱られたり厳しく言われたことがないから、ちょっと叱られたり厳しい言葉を投げかけられるとすぐにへこんでしまう。
今の教育はそんな子どもたちに訴えられることを恐れているのですから情けない。これでは教育等出来ないでしょう。

いまや高校全入から大学全入の時代なのです。特に私学は試験で選抜などしていたら生徒数が足りず経営が成り立たない状況
だとか。来る物拒まず、とにかく一人でも多く入学させなければならない訳です。どこか変ですよね。
教育も市場原理が支配する状況になってしまった訳です。生徒を如何に多く集め、辞めさせないようにして卒業まで持って行く。
これが大学教育の現実です。これでは有能な人材が育つ訳がないでしょう。
こんな窮屈な状況のなかで、豊かな感性を持った子どもたちは育てられません。学校もですが、その前に家庭でしっかり子どもを
躾け教育することから始めないといけないことなのです。
いずれにしても親と子、教師と生徒の信頼関係が作れないと、何事に於いてもお互いに意思の疎通は出来ないでしょう。
その信頼感が希薄になっているのでしょうね。

そしてもうひとつ、なんでかんでも言葉で定義しようとしないことです。
「アカハラ」なんていう言葉をつくってしまうから「アカハラ」だという者が出てくるのです。
これはマスコミの責任も大きい。言葉で定義することで事態が見えてくると思うのは間違っていると思うのですが。


旅で出会った素晴らしき人々 その2 兵庫編  3月16日(金)
昨日は大阪にと書きましたが正確には兵庫。大阪は通り抜けただけでした。我々は「関西」といって京都も、兵庫も、奈良も、
滋賀もかな、
一括りにしてしまうのですが、それぞれにこだわりもあって、中には「あそこは関西ではない」と言い張る人いる。
西宮当たりは何となく大阪の内に入れてしまいそうになるのだが、ここはやはり正確を期して兵庫としなければね。

さて、12日の朝4時半に起きて高知を出発。とにかく高速料金を安くあげるには深夜割引などを有効に活用するに限るのです。
何せ半額になるのだからバカにならない。数時間早起きすればよいのでここは一頑張りしました。
それはよいのだけれど予想以上に早く兵庫に着く。ちょっと早すぎかなと多少時間つぶしをして朝9時過ぎ、会う約束をしていた
「だるま森+えりこ」さんに電話を入れる。と、やっぱり早すぎた、未だ床の中だったようだがそこは元気で気さくなお二人、
「どうぞどうぞ、朝ご飯を一緒に」との言葉にほいと乗り、図々しくもお邪魔する。
温かいスープ、美味しいパン、サラダに卵と、お二人との楽しい会話も弾みながらの嬉しい朝食を頂いた。
「だるま森+えりこ」さんはだるま森さんと奥さんのえりこさん、なんでプラスで一括りにした名前にと思われるでしょうが、会って
みればすぐに納得してしまうのです。とにかく絶妙のコンビネーションで、会話も行動もまさに阿吽の呼吸で交わされている。
お二人を知らない人のためにちょっとご紹介。お二人とは、私の連れ合いが偶々みたお二人の展覧会に魅了され、私にこんなに
楽しい人達がいるからと勧めてくれたのが切っ掛け。すぐに家族で展覧会に出掛け、私達は一家でファンになったのです。

どんな人たちで、何をしているのかはちょっと説明しづらいので、本当は生の舞台や展覧会を見て貰いたいのだけれど、まずは
お二人のホームページを見て下さい。とにかくユニーク、そして元気で楽しい、暖かい、優しい、だるま森さんは子どもそのまま、
えりこさんはやんちゃ坊主のお母さん(とても失礼かな)といったところか。おもしろ手作り楽器、人形劇、オペレッタ風の芝居、イラスト・・・、
と思いつくままに遊んでしまう人達なのです。そう新しく作った手作り絵本がスズキコージ賞の大賞を取ったそうな。
スズキコージさんは他でも書きましたが、「幻の蝶」の初演のポスターやチケットの絵を描いてくれたのです。これも嬉しい因縁ですね。

と言う訳で当然子どもたちには大人気で、全国のおやこ劇場で活躍している・・・のです。
とここがちょっと微妙で、昨年の原発事故以来、思ったことをずばり言ったがために活動が少しずつ遠ざけられてきた感があるとか。
仕事がぐんと減り、それまでは川越にいたのだけれど、それもあって兵庫県のだるま森さんの実家に拠点を移したそうなのですね。

言いたいことを言うと煙たがられてしまう、何だか変な世の中ですがこれは今に始まったことではなく、この国では昔からこんな空気
が支配していましたよね。「長いものには巻かれろ」「余計な波風は立てるな」などなど。
これが一般の社会の中でならまだしも、表現活動に携わる人達の間でもとなるとこれは違うぞと言いたいですね。
私も事故以来ずーっと原発には反対と言い続けてきました。お二人は私のように言葉だけではなく、あちこちに出掛けて様々な活動をして
いるのです。大槌町での出来事などを聴き、思わず私も泪してしまいました。
食事の後でお二人があちらこちらで上映している土井監督の福島の酪農家を取材したドキュメンタリーを見せて頂いたり、
手作りの楽器で私も参加して即席演奏会をさせて頂いたりと、楽しく、そしていろいろと考える事が出来た出会いでした。
5時間近くお邪魔してお別れする。

その後は30数年来の友人、伝三・Fさんご夫妻の家に押しかける。イヤ本当に今回は押しかける旅でした。
伝三さんは私と同い年、ずーっと関西を拠点にマイム活動を続けているのです。私には数少ない同志のような間柄なのです。
そして奥さんの直子さんはラジオのパーソナリティーや司会など、声の仕事をされているのです。
奥さんが担当したという、伝三さんの次回公演のナレーションを聴かせて貰いましたが、言葉がとてもきれいで聞き取り易く、
しっかりと伝三さんの作品をサポートされています。

さて、初めて彼のマイムを観た時に感じたのが「マイムにも関西弁があるんだ」という事。言葉がないとは言え思考はそれぞれの言葉で組み立てる
のだし、また動作だって言葉と深い関連性の上に立って為されるのだから、それぞれのお国訛りがあるのは当然のことなのだ。
東京のマイムは標準語、ともすれば無味乾燥な味気ない動きになっているのではないかと思う時がある。

出会って以来西と東に別れてはいたが、お互いに励まし合ってここまでやってきた。彼は40前後の時期に三年間、ヨネヤマママコさんの内弟子
となって勉強していた時期がある。今回、その三年間にママコさんの元で見聞きしたことをメモしたというノートを見せて貰った。
丁寧な字でびっしり書き込まれた大学ノートが6冊になるそうだ。ママコさんの演技論、芸術論、作品論、マイム論などから弟子達へのアドバイスに
まじって何と私の名前があるではないか。偶々伝三さんが手渡してくれたノートの、それも偶然開いたページにである。
そこには私を始め、当時私のマイム仲間の並木孝雄氏のことや、その他のマイミストについてのママコさんの意見が書かれていたのだ。

    『清水きよしにはマイムの視点がない。清らかすぎる。何を求められているのか判らない。
                彼は同じ作品を何回も繰り返して練り上げていくのが向いているだろう』

改めてママコさんの眼力の凄さを思い知らされました。その少し前にちょっとママコさんのスタジオに通ったこともあり、またどこかで私のマイムも
観て下さっていたのでしょうか。言われるとおり私は全く理論的ではなく、ただやりたいことを思いつくままに演じていたのですから。
やる作品やる作品思いつきで視点など何もなかったのです。それに強烈な感性や身体能力もなく、おそらく無味無臭、何も引っかかりのないマイム
だったと思います。ただ当時から「自分は同じ作品を繰り返して演じていくのだ」と思い実践していたのですから、ママコさんの感じられたとおりだった
訳です。何回も何回も演じていく中で少しずつ自信が持てるようになり、作品の中に埋もれていたテーマが見えてきて、作品が育っていったのです。
これが私のスタイルだったのだと、今回改めて実感し、同時にしてきたことが間違いなかったという確信が持てました。
ママコさんに、こころから感謝しなければと思うのです。


旅で出会った素晴らしき人々 その1 高知編  3月15日(木)
この頃無性に人に会いたいなあと思うのです。勿論誰でもと言うのではなく友人知人になのですよ。
最近はFace Bookやメールで簡単に通信ができるようになり、情報交換も容易くできるのだけれど、その分その人との繋がりが
希薄になっていくような気がするのです。

「あの人はどうしているかなあ」なんて思いをめぐらし、電話でもして声を聴いてみるかとか、手紙でも書くかとか、アナログの通信手段
しか持たなかった時ほど、相手のことに思いを馳せ、深く思っていたように思うのです。だからでしょう、久しぶりに会い話をしたことが
何時までも心の底に残っていく。酒を酌み交わした酒場の様子、肩を並べて歩いた時の情景、その時の相手の表情までが鮮明に思い出される。
良いですよね、そんな出会いの記憶って。
その記憶を辿っている内に「あの人はどうしているかなあ・・・あーあ、あの人に会いたいなあ」とやたら思うようになったのです。
これはもしかしたら歳のせいなのかも知れないけれど、直にあって話がしたいと思うことが増えてきました。

一昨日まで6日間の四国から関西の旅をしてきました。高知に住む30年来の友人、三味唄の今井田歌さんがあちこちに声を掛けてくれて実現した
三つのコンサートでパントマイムを演じるのが旅の目的だったけれど、彼を含めて旧知の友に会うことも楽しみだった。
今井田歌さんは相生の出身で、彼が京都に住んでいた時に仕事の話で出会い共演したのが付き合いの始まり。そのうちに高知に定住する
ようになった彼とは、年に一二度高知や東京で会いステージを共にしたりしてきた。いつも、何事にも少年のような純な気持ちで興味を持つ
彼の話からは多くのことを学ばされる。高知に山間にある集落に家を借り、野菜や麦、蕎麦等を育て、収穫した小麦や蕎麦を碾いてパンも蕎麦も
うどんも作る。今回も彼が自前の粉で焼いたパンを食べさせて貰ったが、ぎゅうっと目が詰り美味しいこと。
いずこも同じ、芸人の暮らしは決して、いや全く楽ではないが、ひょうひょうと暮らす彼の暮らしぶりこそ本当の豊かさではないかと思うのだ。
他にも書いているが、彼の三味線にのせた独特の唄を、皆さんにも聴いて貰いたいと思う。ズシンと腹の底に響くのです。
最近はパーカッションの宮本さんが加わり、軽快さも加わって楽しい演奏になっていた。

コンサートは病院の院内コンサートが二つ、どちらも以前お世話になったことがあり10年ぶりの出演だったが、当時と同様今回も見て下さった
患者さん達の反応に盛り上げられて楽しい舞台になった。
三つ目は四万十市窪川に住む大平さんご夫妻が主催する公演で、お二人の作る見事な皿鉢料理に舌鼓を打った後に音楽とマイムを楽しんで
貰うという趣向で、満席の60人のお客様が集まってくれた。大平さんご夫妻とも11年ぶりの再会だが、時間の空白を全く感じない若々しさ。
お二人で力を合わせ、皿鉢料理の仕出し屋を切り盛りしながら、何と週の5日は昔から続けているという車での移動販売にも出掛けるそうだ。
馴染みのお客さんも高齢となった方が多く、自分を待っていてくれるので止められないとか。
いつもにこにこ笑顔を絶やさないお二人だからこそ、どちらの仕事にも沢山のファンがついているのだろう。
結婚されて16年?かな、今まで一度も喧嘩をしたことがないと、お互いに顔を見合わせてまたにっこり。
その時は、私も少しは見習って奥さんに優しくしなきゃいかんなあと思ったのですが、とてもとてもお二人のようにはいかないだろうな。

コンサートには、昔私が子ども劇場でやった舞台を観て下さっていた溝渕さんご夫妻も来て下さり、こちらは14,5年ぶりに再会でしょうか。
奥さんが私の舞台をとても気に入って下さり、いつか窪川に呼びたいといって下さっていたことを改めて思い出したのですが、「実現できない
ままでご免なさい」と覚えて下さっていたことに感激でした。「あれから仲間に清水さんのマイムをやりたい」って散々説明したんだけれど、
言葉ではどうしても上手く説明できなくて、とうとう実現できなかったそうだ。一度観て貰えれば判って貰えるのだけれど、本当にマイムの良さを
他人に伝えるのって難しいです。

最後に高知では以前お世話になった美術館の館長、北さんに連絡を取り久しぶりにお会いする。この三月でお母上の介護もあり退職されるそうで、
ぴったりのタイミングでお目にかかれラッキーでした。
このあと大阪に出たのですが、そこであった二組のご夫婦については「またあしたのこころだあ~」


Face Book雑感   3月14日(水)
Face Bookは日本でもこの一年で瞬く間に拡がってしまった。
香港の知人から写真のやりとりや急な連絡に便利だから入らないかと誘われたのが一昨年の春。
メールで送るには思い写真も手軽に遣り取りできるし、オンタイムでの会話も出来て確かに便利。
特に海外の友人たちとのコミュニケーションが気軽に出来るので、当初は香港やインドの友人たちとの交流に活用していたのだが、
去年辺りから急に国内の友人知人からの友達リクエストが増えだした。

身近な友人、知人、仕事仲間、遠方の友、何年も会っていなかった昔の教え子からと拡がっていく。
時に全く思いがけない方からリクエストを貰った時などは、FBも良いもんだなあと思っていたのだが最近ちょっとおっくうに感じることが増えてきた。

まず一番の悩みは、全く名前に記憶がない人、何となく記憶があるような無いような人、記憶はあるのだけれど殆ど話したことがなくて知らないと
言っもよい人などからリクエストを貰った時。私は昔からかなりの人見知り。すぐに打ち解けてしまえる人もいない訳ではないけれど、基本的には
何日も、何ヶ月も、時には何年もかからないと、親しい付き合いが出来ないタイプなのです。
相手の方は私のことを良く知っているが私は知らない場合もあるし、私も会ったことがあるのだけれど記憶にないだけということもあるかも知れない。
こうなると断ったものだか承認した方がよいものだとか、気が弱い私はグズグズと思い悩み、承認待ちのリストにその方の名前や顔が残ったまま、
FBを開く度にご対面となり、暫し眺めてはどこで会ったのかなあとまた思い悩むのですから、これはちょっとストレスになりますね。
そんなのほったらかしておけばいいんだよという人もいるのだけれど、情けないことに私にはそれが出来ないのです。

次が余り自分には関係ない情報や、知人が更新したという知らせが届く時。始めはマメにみていたのだけれど次第におっくうになり、久しぶりに
覗けばものすごい量が更新されていたりする。そうなると何だか自分が取り残されたような気になり、それで気分が滅入ってくるのです。
どうでもよいはずの他人の情報なのに、何故だか活発に遣り取りされている他人同士の書き込みをみては、自分が全く流れに乗れずにいるような
焦りを覚え、あげくは自分は精神的に病があるのではないかなんてふと考えてしまうのです。
こうなるといけないですね、私はもう完全に実態のない情報に振り回されている訳です。

それに厭になっているのが「誰々が誕生日なのでお祝いをしよう」なんてメールが来ること。厭になったので即刻自分の誕生日は削除した。
いい年して誕生日お目出度うなんてあちこちから言われたら気恥ずかしいだけ。
次から次へと更新している人達には凄いなあという思いと、これだけ更新していると言うことは1日パソコンの前にいるのかなあ、携帯をいじって
いるのかなあ、他にやることもあるのだろうにどうやって時間を作っているのだろう、なんて要らぬお節介で心配をしてしまう。

そんなこんなでボチボチFBは止めようかななんて思うこの頃なのですが、今日も思いがけない友人からリクエストが入り、つい嬉しくなって
「こちらこそよろしくお願いします」なんて承認の返事を出しているのでした。バカですねえ。

それにしてもパソコン上で何となく相手の近況を知り、それでもうその人のことを判ったような気になるのは良くないなあと思うのです。
人のことばかりではなく、今は世の中何もかにもバーチャルな情報だけで知った気になっている、そんな気がするのですがどうなんでしょう。
私はたぶん近いうちにFB撤退となりそうです。


すべては巡りめぐるのです。  3月2日(金)
すべては巡りめぐるのです。
稽古に借りている市民センターの窓の下には多摩川が流れている。稽古の合間や、考えに耽っている時などはつい川の流れを見つめてしまう。
青梅からまだ奥に入ったところなので渓谷に澄んだ水が勢いよく流れていく。一時として同じ表情のない川の流れは何時まで眺めていても
飽きることがない。時には稽古時間の大半を川を見つめて終えてしまうこともある。
四季折々の木々の変化を見るのも楽しい。今日はその葉を落とした枝に山鳩が雨に打たれたままじっと止まっていた。

私がいつも川を見ながら思うことがある。次から次ぎへと勢いよく流れるこの川の水は一体どこから来ているのだろうと。理屈では判っている。
でも尽きることなく流れていくこの量は半端ではない。あちらこちらの沢から湧き出した小さな流れが集まり、次第に大きな流れとなって・・・。
とは言えである、この様な大量の水が絶える事無く湧き出ることが不思議でならない。そしてこの絶え間なく流れる水は海に流れ込むのだ。
なのに何故海は溢れないのだろう。目の前の川を見ているだけでそう思う。日本中の、いや世界中の川が絶えず海に流れ込んでいるのだから、
その水の総量たるや想像を絶する。あっという間に海は嵩を増し、地表はたちまち水没しそうなものだが。
という事は流れ込む量だけ常に蒸発している訳でしょうか。としたらその蒸発する量もものすごい訳ですね。そしてまた降り注ぐ雨などの量も。
もしももう何度か気温が上がったり下がったり、太陽が出っぱなしだったり出る日がなかったりしたらこのバランスは崩れてしまうのでしょうか。

改めて自然界が絶妙なバランスの上で成り立ち、保たれていることに驚くばかり。一つ崩れ、狂ってしまったらその連鎖であらゆる生命が危機を
迎えることになる。生物の命はこのバランスの中で保たれている訳です。
我々人間の為すべき事はこのバランスを崩さないようにすることにすべて集約される。循環を止めないように知恵を絞ることです。

振り返って現状は如何に。経済成長はこの循環を崩すことで成り立ってきた。このままではいつか近い将来、人類はとんでも無い危機に直面する
ことになるかも知れませんね。原発は初めて我々にはっきりと示してくれた危機の現れでしょう。
自然に帰れない物を作ってしまった。帰す方法が見つからず溜まり続ける原発の廃棄物。作り出したその知恵、エネルギーのすべてを使って
自然に戻す方法を探して欲しい。これは人間に課せられた責任です。この地球は人間だけのものではないのだから。

すべては巡り、巡らなくてはいけないのです。



幸せ   2月27日(月)
  
    
幸せ

    雨が降れば雨の音がする

    
風が吹けば風の音がする
    幸せには音がないから
    
誰も気付かない
     
        山吹草太 詩と短編戯曲集 「5つのパンと2匹の魚」より

先週末金曜日から日曜まで、滋賀・奈良・大阪の3カ所で舞台とワークショップを行ってきた。
滋賀の彦根市にあるみずほ文化センターから「KAMEN」の公演依頼を頂いたことから、その後に繋げて奈良でのワークショップ、大阪での
小公演をさせて頂いた。いずれも素晴らしい観客、ワークショップの参加者と出会え、心に残る三日間となった。

まず彦根の舞台は私から提案したいくつかの作品から選んで頂いたのだが、いわゆるパントマイムとはだいぶ趣が違う地味な作品で、
しかも面を着けて演じるため、初めてマイムを観る方にはかなり馴染みにくいと思われるので、果たしてお客様が来て下さるのだろうかと
決まった当初から案じていたのだが、幸い200人近い方に観て頂いた。
実際に本番の一週間くらい前には主催者からなかなかチケットが出ないという電話もあり、これは少ないお客様の前で演じる事になるかもと
覚悟を決めて当日を迎えた。ところが劇場についてすぐ担当して下さった方から、「あの電話の後になって急に予約や問い合わせが増え、
思いがけず180人から200人近いお客様になりそうだ」という嬉しい報告があった。もうホッとしたのなんの、公演が始まって舞台に出ると
8割近いお客様で席が埋まっていた。初めてという方も多かったと思うのだが、客席の反応も良くてとてもやりやすい舞台になった。
終演後のロビーでは大勢の方が声を掛けて下さり、また主催者に喜んで頂けて肩の荷を下ろすことが出来た。
折角この作品でと言って下さったのに、客様が少なかったり、反応が悪かったりでは企画して下さった方に申し訳ないなあと思っていたので、
なによりも嬉しい結果となった。

翌日は昼から、奈良で活動をしている演劇創作集団TPN「シアター・プロジェクト・奈良」の劇団員の方々とワークショップを行った。
集団を主宰する山吹草太さんが10数年前に見られた私のマイムを覚えていて下さり、自分の集団に所属する俳優さん達にマイムのワークショップを
して欲しいと電話をくれたことから実現した。もうだいぶ前になるのに作品がとても心に残り、いつか私にワークショップを依頼しようと思い
続けていて下さったそうだ。嬉しい事です。山吹さんは詩人であり、また脚本家でもあり、自作の脚本の演出も手がけてユニークな活動をされている。
若い方から年配の方まで大勢の方が参加し、また熱心に演劇に取り組み続けているのは、山吹さんが何よりも大事にしておられる「優しさと
思いやりの心」への信頼なのだろう。「演劇は詩である」という山吹さんの考えはそのまま「マイムは詩である」と信じる私の思いと重なる。
参加して下さった劇団の皆さんは心優しい人ばかりで、自然にワークショップがよい方向に流れて行き、私の力を遙かに超えたものになった。
ワークショップ終了後には、劇団の方々に山吹さんが心に残っているといって下さった「ひまわり」を含めて4本の作品を見て貰う。

そして最終日の昨日の午後は大阪で小さな公演を行った。企画して下さったのは、今私が講師として教えている東京アナウンス学院で以前
校長をしておられた八木さん。もう何年になるだろう、大阪に移られて今は高校生と一般の方が共に学ぶというユニークな教育活動をされている。
高専とカルチャーセンターを合体させたような面白い試みで、子どもたちが大人達と共にに学ぶことから得る物は大きいだろう。
一時間強の公演の後はお茶を飲みながらの交流会、お客様と身近に交流できるのは、小さな空間ならではのこと。

三日間それぞれ異なる内容だったが、いずれも充実した楽しい時間が持てたのがなによりも嬉しい事だった。
滋賀の公演にも、大阪の公演にも以前教えた人達が何人も来てくれた事もあり、私には何物にも代え難い「幸せ」を実感した旅となった。

「シアター・プロジェクト・奈良」の皆さんと

山吹さんがブログにワークショップのことを書いて下さっています。
私には身に余る内容で、嬉しいやら気恥ずかしいやらですが・・・。
http://yamabukipoem.blog76.fc2.com/
また、『山吹草太 詩と短編戯曲集 「5つのパンと2匹の魚」』は朱鳥社から出版されています。


厭だねえ、番号なんかで管理されるのは  2月18日(土)
政府は税金と社会保障の個人情報を一つにまとめる「共通番号制度法案」(マイナンバー法案)を閣議決定し、国会に提出したそうだ。
国民に番号をつけることで、個人の所得や介護・医療などの社会保障の情報を一元管理し、消費増税時に低所得者向けの現金給付などに
使われる見通しだということだが、必ず悪用する奴が出てくる。お隣韓国では国が管理している情報が漏れ、何かと問題が起きているとか。
とにかく、生まれてから死ぬまで、総てがコンピューターでデーターを管理される訳だ。
国民にとって至極都合がよいようなことを言っているが、コンピューターの管理は人間がするのだから必ず失敗はある。
第一、年金すらまともに管理できなかったというのに、総ての情報を国に委ねるのはごめん被りたい。
チップの組み込まれたカードが配布されるそうだが、きっといつの日にか、犬や猫のように生まれた時に体内にチップを埋め込まれ、
何から何まで管理されるようなことになりかねないぞ。
確かにこれまでは個人の情報が把握しずらく、不都合なことや不便なことがあったかも知れない。
でも時間は掛かってもそれで解決できないことはなかったはずだ。ちょっとの時間と人の手間を掛ける、それだけで済むこと。
多少時間が掛かっても番号を付けられて国に管理されるよりはましだ。人間の仕事が増えるのは良い事だ。

いきなりですがあのチャップリンは未だに出生が判らないそうだ。出生が判らなくたってチャップリンもファンも誰も困らなかったはず。
出生の謎って良いなあ。

人間は判らない事があった方が良いのです。本当は国民が国を管理するのであって、国が国民を管理するのではない。

  【ロンドン共同】英情報機関、情報局保安部(MI5)が1950年代、共産主義思想との密接な関連を疑う米国の依頼で、英国の喜劇王
  チャールズ・チャプリンの素性調査を行ったものの、出生記録を確認することができなかったことが17日、機密指定を解かれた英公文書で分かった。
  チャプリンは1889年4月16日にロンドンで生まれたとされているが、近年では英中部の少数民  族ロマ(ジプシー)集落での誕生説なども出ており、
  出生をめぐる謎は一層深まりそうだ。MI5は、英国に加えて当時うわさの出ていたフランスでの誕生説も検証したが、いずれも記録は確認できなかった。


そうだよね おかしいね   1月14日(土)
幾たびか舞台を持たせて頂いている京都/法然院のご住職・梶田さんから、年に数回「法然院サンガからのご案内」という通信が届きます。
梶田さんは法然院を単なる観光の寺にせず、積極的にマスコミにも登場し、「法然上人の教えの現代的意義を説いていきたい」と、
法事の他に講演会やコンサートなどを開催し、寺を人々が出会い集う場として考え実践しておられます。
サンガとはサンスクリットで共同体を意味する言葉だそうです。
頂いた通信には毎回興味深い催しが載っているのですが、残念ながら東京から参加するにはちょっと遠く、良いなあと思いながら
読ませて頂いているのです。

さて今年初めての通信に次の様な詩が紹介されていました。

                おかしいね おかしいね

    女は みんな 美人             だったら ミスユニバースなんて おかしいね
    人間は みんな 地球の宝物       だったら 人間国宝なんて おかしいね
    山は みんな すばらしい         だったら 日本百名山なんて おかしいね
    地球はまるごと 太陽の遺産       だったら 世界遺産なんて おかしいね
    
    母なる太陽 その耐用年数 百億年はもつだろう    祖国日本の耐用年数 君も知らない 誰か知ってる?
    公共土木事業 地球こわして もうけるあいつ   だったら 公共なんて おかしいね
    2300年前    縄文日本は 原子力発電 かかわらず
    明日 原発からの放射能に    ゆっくり しっかり 殺される平成日本    だったら ヘイセイなんて おかしいね

ななお さかき さん[1923.1.1~2008.12.23]が1999年11月に作られた詩だそうです。
梶田さんからの通信には「私は本年以降、原子力発電所の無かった日本に戻ることに明日への希望を見いだしたい」とありました。
まったくの同感です。
                   私はななおさんのことを全く知りませんでした。



いよいよ・・・です。
         1月7日(土)
青梅市役所から届いた緑色の封書。中身は何と「介護保険被保険者証」。
2月1日に65回目の誕生日を迎える私へのひと月早いプレゼント?。
保険証と共に介護保険のサービスを受けるための手引きが同封され、何かあれば高齢介護課に来るようにと書かれている。
要介護認定やら認知症がどうのこうの、何だか一気に年寄りになった気分。何だかいやですねえ。

いつかはお世話になる事があるにしても、仲間入りの通知だけにして、この保険証は必要になったら申請して渡すなんてことが
出来ないのだろうか。其れまでは役所で情報だけ管理しておけばいいこと、こんなのが実際に手元に届くと、まだまだやれると
思っている気持ちに水を差すようなことになる。これを手にしたとたんに意気消沈して要介護者が増えたらどうするのか。
まだまだ現役で行こうと張り切っている人には余計なお世話以外の何物でもない。

まあ、勿論この年でも必要な人はいるだろうし、こんな事にいちいち文句を言うこともないのだが。
さて10年後は後期高齢者、20年後は・・・末期高齢者?
いずれにしても自分も歳をとったのだなあと改めて実感する次第です。まさに「光陰矢のごとし」です。

でも私は少なくともあと10年はしっかり稼がなくてはならない身。当分保険証は引き出しの底で静に眠っていて頂きましょう。
さあ、今年は張り切って舞台を作るぞ!!


誰もが安心して過ごせる社会に・・・  2012.1.1.

大切なことは本当に単純で、小さな子どもにも判ることなのです。
誰もが笑顔で、仲良く、安心して生きていける世の中であること。
勿論生きて行く上では、辛いことも、苦しいことも、厭なことも、哀しいこともあるでしょう。
でもそんな気持ちでいる人を温かく見守れる世の中であって欲しい。

いつからこの様に殺伐とした社会になってしまったのか。何故このような貧しい心が支配する世の中になってしまったのか。
どうして人の命よりもお金が大事だという人が世の中を動かすようになってしまったのか。

それは少しの豊かさや便利さに目を曇らせてしまい、黙って人の言いなりになって生きてきた私達一人一人のせいです。
知らなかった、気がつかなかった、騙されていたと言って自分を許してはいけない。
間違っていると思ったら声を上げ、おかしいと思うことには目を開き、力の弱い人々の小さな訴えに耳を澄ます。

甘い言葉、調子の良い宣伝、一見正しく思われるような意見には、本当かな、其れでいいのだろうかと自分の頭で考えてみること。
限られた誰かが甘い汁を吸い、その分多くの誰かが苦い水を飲まされる。黙っているとどんどんおかしな社会になってしまう。
子どもたち、そのまた子どもたちの世になった時、すこしでもそのような不正が糺された社会になっているように、声を上げなければ
いけないのは我々大人達。小さな声で良い、一人一人が声にしていくこと。私もその一人として小さいけれど声を上げていきます。

震災後、心から笑える気持ちになれなかったのだが、ことしは少しでも笑顔でいられる日が増えるようにしなければ。
大事なことは大事だと思うことに向かって歩み出すこと。そして一歩一歩弛まず歩むこと。
大事にしなければいけないことは何か、作品を通して考え、思いを込めて舞台を作っていきます。今年もよろしくお願いいたします。

皆さんに沢山の幸せがやってきますように。そして、なによりも健康でいられますように。





MumboJumbo 2012

◆いまこそ原発について考えましょう
     
原発について考える
  

◆わたしのお勧め情報!
           
 映画  青梅お勧めスポット 
    

折々に思うこと、お伝えしたいことなどをつれづれに・・・

mumbojumbo2009    mumbojumbo2010   mumbojumbo2011

★全ての原発の廃炉を目指そう。
★政治家には憲法9条を守る責任と義務がある。