◆今年も残すところ2時間余り   12月31日23時30分

 「KAMEN」だけで10回、仁川や香港でも上演できて充実の一年でした。
「幻の蝶」も知多のおやこ劇場や小布施で取り上げて下さり、また大田の子ども劇場では
マイムフェスティバルを企画して頂き、私の弟子達と念願の競演が叶いました。
「The Silent Night」は昨年に続き再演、見て下さった方にはとても喜んで頂きましたが、
こちらは残念ながらお客様の動員が今一歩。
この舞台に限らず観客動員は来年の最大の課題です。
 
 さて来年は予定していた舞台が二つキャンセル、ちょっと厳しい年になりそうです。
一つは学校公演ですが、こちらは鑑賞教室よりも勉強が大事という親達を
先生方が説得できないからという理由で。
又もう一つは申請していた予算が8割もカットされてしまったためです。
どちらも今の世相をストレートに反映しているように思います。

 新しい年は一体どのように動いていくのやら。
悲観してばかりいても始まりません、自分から積極的に動き出さないと行けないですね。
いろいろ頭をひねっています。
こういう時だからこそ、新しい何かが生まれてくるのではと密かに思っています。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

頑張る
        7月9日(金)

 一昨日の専門学の授業でとても面白い話があった。たまたま授業で「塀を越える」という課題を出したところ、アメリカ人の留学生
から「塀ってなんですか?」という質問。「僕には塀が何だか解らない」というのだ。「家の周囲を囲っている記やブロックなど
で出来ているあれさ」と説明して解って貰ったのだけれど、英語に「塀」という言葉はないのだそうな。強いて言えばフェンスだと。
そういえばアメリカの映画やTVを見ていても「塀」は見たことがない。アメリカ人は塀の代わりに拳銃で守る訳だ。
文化や習慣が違えば当然「言葉」としてないものが出てくる。

 そんな話をし授業を終えたのだが、彼が帰り際にこんなことを言ったのですね。
「僕が日本で一番理解できずに戸惑った言葉は『頑張る』ということ』です」と。「『頑張る』と言うことが自分にはどうしても理解できない
、なぜなら英語には頑張るという言葉がないから。アメリカ人は頑張らないのですよ。」それでは我々が『頑張って』という時のような
状況ではなんて言うのか尋ねると、「Do(Try) your best!かな」という答えでした。良い言葉だと思いませんか。
「頑張れ」では何をどうしたらよいか何もない。全身に力をと気合いを入れて「良し」と思うだけ。でもその先は?
一方「貴方のベストを尽くせ」ならば、直面する状況に対して今自分は何をしたらよいのか、何がベストな対策かを考えるだろう。

また、マイムの稽古で体を使うときに、私はいつも『頑張るな』という。頑張って力が入ると、筋肉が緊張して体の自由がきかなくなる
からだ。特にストレッチの時など頑張られたりしたら怪我をしてしまう。力を入れて筋を延ばすなんて、考えてみればいかに理に合わ
ないことか解るはず。緊張して縮んだ筋が伸びるはずがないのだ。そんな体の状態では心も自由がきかなくなる訳です。

 我々はいつからこんなに頑張ってしまうようになったのだろうか。
特に終戦後、荒廃した社会を、世界が驚くような早さで経済大国として復興させたのは、ひとえに頑張って頑張って頑張り抜いたから
なのでしょう。ところが脇目もふらず一心に働き続けて来たのだけれど、そこには心のゆとりなんて無かった訳です。
そのあげくが今定年退職後に空っぽになってしまった多くの大人たち。定年を迎え何をしたらよいのか判らなくて呆然と過ごす人が
多いと聞く。

それでも今なお大企業に就職することを目標に、幼稚園前から塾に通わせ、有名幼稚園、小・中・高学校、そして一流と言われる大学
に入れる為に、子どもの尻を叩きながら『頑張りなさい』という親たちの姿に何と言えばよいのやら。
小さいときから『頑張って』目標の学校に入ったとおもったら、精も根も尽き果てて何も出来なくなってしまった子どもたちが増えて
いるそうな。もうそろそろ『頑張る』という言葉を捨ててみたらどんなものでしょうね。
 幸か不幸か経済成長にはもう望みがなくなった時代、本当の豊かさとは何なのか、ここいらで頑張らずに体の力を抜いて、
心をゆるりとさせて改めて人生について考えてみる時が来ていると思うのですが。

そう思いながらも,今日もつい『頑張って』と言ってしまう自分がいます。


KAMEN              5月22日(土)

 一昨日と昨日、二日で3ステージ公演しました。年に一度の東京公演と思い立ち、5年ぶりに国内で上演したのが2003年。
以来今年で8年目となった「KAMEN」も幻の蝶と並び私のライフワークとなりました。
仮面を着けて演じる事には私なりに課題があってのことですが、その課題はこなせるどころか回を重ねるに従ってますます
大きくなってきます。単に生身の表情を消してしまってもマイムとして表現しうるのだろうか、そんなことを思ったのがきっかけだった
のだけれど、却って無表情どころか豊かな表情を見せてくれる仮面の魅力にとりつかれ、またままならぬ仮面演技の奥深さに
すっかりはまり込んでいます。
 仮面を着けることは様々な制約を楽しむことでもあります。言葉を使わないという最大の制約に加え、顔の表情まで消してしまう
のですから、身体表現としての真価をまさに問われる訳です。マイム役者としては本来あるべき純粋な身体表現について、改めて
考える最良の場となっています。今後も可能な限り続けていきたいとは思うのですが・・・
 
 仮面を着けて演じる事は、精神的にも肉体的にもかなりのプレッシャーとなります。そのもっとも大きな要因は視野が非常に
狭くなる事。常に舞台の前方、極限られた空間しか見えず方向や距離感がとにかく掴みづらくなるのです。
また利き目の所為で私の場合は殆ど右目だけで見ている状態になり、片眼で動くことになるのでバランスが非常にとりづらくなる
のです。マイムの歩きなどは片足毎に体重を掛けてバランスをとりながら動くのですがこれが結構きついのですね。
面を着けていないときには気づかなかったことが、こうして仮面で動くことにより実に多くのことに気づかされました。

 自分の心の中にしっかりイメージを持つこと。
 周りに見えるものとの関係でバランスをとるのではなく、自らの身体の中に確かなバランス感覚を持つこと。
 常に客観的に自分の動きを意識する目を持つこと。

其れまでの仮面を着けない舞台では考える事がなかったような意識の持ち方を仮面は私に示してくれたのです。
ようやく最近になって仮面を着けて演じる面白さが解り始め、また多少は舞台で余裕も持てるようになり、ようやくこれから仮面演技を
深めていくことが出来そうな所なのだが、さてもさても仮面の演技に耐えられるだけの体力(気力は体力が支えるのだと思う)が果た
してあと何年保てるだろうか。普通のマイムならまだ15年はいけそうな気もするのだが・・・。
まずは十年を目標に続けてみたいと思っている。そのためにもこれからは一年一年が大事になってくる。
今年は三回の舞台を演じ切れたので、これなら来年もまだ大丈夫でしょう。
とにかく年に一度の「KAMEN」の舞台は自分の現状を意識するまたとない場となっています。
いずれにしてもこれからマイム生活はカウントダウンにはいっているのは間違いのないところ。
一回一回の舞台を悔いないように楽しんでいきたいと思っている。

私は舞台に立ってマイムをやっていることが心底好きなのです。この幸せな時間を出来る限り長く味わっていたいと思うのです。



ちょっと背伸びも
              4月29日(木)
 誰しもちょっと背伸びをして大人っぽく振る舞うと云うことがあるだろう。逆に子どもっぽく見せて歓心を買うと云うこともあるが。
背伸びせずに身の丈にあったことをすればよいというのは大人の考え。子ども時代ばかりではなく若いときには少し背伸びをする
くらいでないと心の成長が止まってしまうようにも思うのだ。勿論大人ぶるその内容にもよりけりだが。

 一昨日、知多のおやこ劇場で『幻の蝶』を見て貰った。小学四年生から大人まで、高学年の例会として取り上げて頂いたのだが、
この作品は難しかろうと云うことでなかなか例会に上がることがない。最近では大田のことも劇場で二年続けてやらせて下さった
のが全てで、それ以外はかなり前に大分の子ども劇場で一度あったきり。
確かに子どもに見せようと思って作った作品ではないが、私としては子どもも大人も関係なく観て貰えるのが一番だと思っている。
大人の頭で考えると子どもには判らないだろうと云うことになるが、一体何が解らなくて何なら子どもにも解るのか誰にそんなことが
判るのだろうか。其れよりも舞台表現を解るかどうかという基準で計って貰いたくないのだ。

 さて其れでは今回はどうだっただろうか?感想をまだ聞いていないので何とも云えないが、舞台で演じていて受けた印象はとても
集中して見てくれたように感じ取れた。自分勝手な受け止め方かも知れない。だが会場の空気は作品の内容毎に演じるものには
実に
心地よい変化をしていた。子どもには『解るかどうか』ということより、何かを感じとって貰えたらといつも願っている。
多少難しくても全身で向き合う中で何かを感じ取ってくれるはず。演じる我々は子どもたちに何かを感じ取って貰えるように、子ども
だからと軽々しい態度で臨むのではなく、常の舞台同様、真剣勝負という気持ちで臨まなくてはいけない。
いい加減な思いはおそらく大人以上に鋭く見抜くのが子どもなのではないかと思う。

チョッピリ背伸びをしてみて貰うことになったかも知れないが、見てくれた一人一人の心に何かを残すことが出来たとしたら嬉しい。
背伸びをしなければ見えない事もある。其れは子どもばかりではなく大人にも同様なのだが。
               



「The cove」を観てきました。
   3月30日(火)
 ドキュメンタリーの取材対象になった和歌山県太地のイルカ猟(イルカは魚ではないので漁ではなく猟)の映像は、思っていたほど
過激ではなく、また一方的な日本叩きというような内容でもなかった。地元太地では有能な弁護士まで立てて上映を阻止しようという
動きになっているようだが、事実は事実なので今更其れを隠すのではなく、多くの人に映画を観て貰った上で、改めてイルカ猟の
是非を考える機会とするべきではないか。
 
 このドキュメンタリーは昔日本でも放映されたアメリカの人気TV番組「フリッパー」のイルカ調教師/リチャード・オリバー氏が、
自分が調教したイルカの死を契機に、イルカの保護・野生復帰活動に転じて活動してきた38年間の半生を縦軸に構成されている。
今、世界でもっとも大きなイルカの捕獲・輸出地である太地の隠された実態を知らせる為の取材活動が、厳しい地元の規制・阻止行動
の中、いかに計画され実行に移されたか、まるでサスペンス映画を観るような流れで構成されていて、映画としても見応えがあった。

 単に環境保護・イルカ愛護にとどまらず、イルカや鯨・マグロなどの大型種に蓄積されている水銀汚染濃度の高さとその危うさ。
その蓄積された水銀が人体に及ぼす危険性を識りながら事実を隠蔽しようとする為政者の姿勢。
また事実をきちんと検証もせずに情報を送るマスコミの姿勢。
さらに日本の食文化の伝統とは、等々制作者の眼は一点から広がっていく。
それが多少映画の焦点を暈かしてしまったのではとも思えるが、このようにひとつのことを取り上げれば当然問題は多岐にわたって
いくという事でもあり、そういった意味でもこの映画が提示する物は観た人それぞれに様々だと思うのです。
どうも最近は人々の意見がひとつの見方に一気に流されていくように思えることが多い。
自分の目で確かめ、耳で聞き、そして急がずに吟味していく。今そういう姿勢を改めて大事にしなければと思う。

 イルカを食べることの是非は、私の中ではまだ解決していない。鯨もしかり、マグロもしかり。でもこれだけは言えると思う。
我々は自分〔人間〕以外の命、動物、植物を問わず他の命に対する”畏れ”の気持ちを忘れてはいないかと。
宮沢賢治の「夜鷹の星」ではないが、他の命を取らずして生きることが出来ないという生きることの不条理。
人間は其れを識ってしまったが為に苦しみ、それ故にこそ宗教も哲学も芸術も深みを得ていくのだと思う。
動物は自然の摂理というものを本能として持っているのではないか。だから自分の命にとって必要以上に他の命を奪うことはしない。
人間だけが「生命の維持という避けられない必要」の為とは別の欲望によって他の命を奪う。
イルカを食べなくたって良いではないですか、ましてやイルカを食べることが日本の伝統的な食文化などではない。
問題は鯨もマグロもその他諸々、必要以上に乱獲している現実ではないか。
当然日本ばかりでは無く、今人類はそこを謙虚に考え直さなければいけない時に来ていると思うのだが。

映画は6月に一般公開される予定だそうです。只、地元に配慮してかなり修正が加えられるかも知れないそうで、昨日私が観た物とは
大部印象が変わってしまうかも知れません。上映まではまだ何かと障害がありそうです。最近右翼の人たちも動き始めたようで。
そんな問題にするような内容ではないのだけれど、何にせよ力で封じ込めようとする姿勢は絶対に許せないことです。
そういうわけで試写会をする予定ですが、上映場所などにご迷惑をお掛けしてはいけないので情報の掲載を取りやめました。
              映画については「The Cove」サイトで。



「宗教と道徳と」
      3月23日(火)
 結婚式はキリスト教、葬式は仏教、初詣は神社に行きと日本人はTPOで使い分け。かくいう私もそのような風潮には違和感を覚え
つつも困った時には柏手打って神頼み。何とも節操がないなあと思いつつ、このこだわりのなさがもしかしたら一番平和なのでは
と思ったり。だって世界の紛争の殆どは宗教がらみじゃあないですか?自分の信ずる神こそ正しい、自分の信じる教えこそ絶対
なのだと言って、他を認めようとしないことから様々な紛糾が起きてきた。
でも「宗教なんてない方がよい、自分は無宗教だ!」と言えるかというとそうも言えないのです。そんなはっきりしないモヤモヤを
ずーっと抱えながら生きてきました。父方は浄土真宗だったが、母方の祖母が熱心な日蓮宗の信者だったため、小さい時から
仏壇に向かってお経を唱えさせられた。高校はプロテスタントの学校で聖書と賛美歌の日々。ああせいこうせいと何だか道徳の
様だった為か、結局いずれにも馴染めずに付かず離れずのまま成人した。
最近は熊野大社のお神楽の振り付けをさせて頂いたことから神道のこともいろいろと。森羅万象、自然にも人が作った物にまで
神を見る古代神道を最近はとても良いなあと思うが、人を神に奉ってから以降の神道はどうにもいけない。
そのすっきりしない状態が、先日小学校時代の恩師・無着成恭先生とお会いする機会があり、その折に伺った話で少し晴れました。

  「無宗教だと云ってはいけないよ。無宗教とは自分の心を省みることをしないことだ。人間には大きく三つの欲がある。
  その抑えがたい欲に対して自分は果たしてどうだろうか?宗教は我が心を省みる拠り所なのだよ。道徳というのは他人に
  ああせいこうせいと規範を押しつけるものなんだ。
  だから宗教は自分のため、道徳は他人のためにある。どんな宗教だって良いんだよ。」

まあこのようなな内容だった。多分大部自分の勝手な解釈になっていると思うがまあ大きく離れてはいないだろう。
今は宗教が道徳になってしまっているのだ、これならとても話が分かる。
何年ぶりかの再会はほんの30分足らずだったけれど、貴重な時間となりました。



「母のこと、父のこと、妹のこと。そして家族というもの」
  
2月28日(日)
ひとつの偶然が思わない展開を引き出してくれました。
母が亡くなって丸一年が過ぎ、残された品々、と言っても殆どがゴミとがらくたばかりなのですが、
整理しなくてはと昨日から引き出しやらはこをひっくり返しています。
母ばかりではなく父や妹に想い出の品もあり、つい見入ってしまったりでなかなか先に進まないのは仕方のないことですよね。
私の記憶に残る懐かしい写真や品々からは楽しいく、懐かしく、また哀しさ混じりのほろ苦い日々の情景が蘇ります。
そしてまた初めて目にするものからは、私が知らない彼らの過ごした日々のことが思い浮かんでくるのです。

「偶然が思わない展開を」というのは母のことです。先日「What's New」の下の方に熊野や新宮のことを書きました。
そこには母が学んだ文化学院の創始者・西村伊作記念館を偶然訪ねたことを記しました。
先日の熊野の帰りに大逆事件縁の地を訪ねたいと思い新宮に立ち寄ったのですが、
そこで偶然西村伊作のことを知り記念館に立ち寄ったのです。
それまで母が文化学院を卒業したことなど頭の隅にもなかったのに。
記念館を管理しておられる方には文化学院に関係があるものの縁者と云うことでとても喜んで下さいました。
確か母の写真の中に文化学院らしき建物の前で写したと思われる集合写真もあったなあ、と漠然と思いながら帰京し、
何となく確かめたいという思いもありながら、母の古い写真を眺めていました。
すると確かに記念館で見たのと同じと思われる建物の前で写された写真が出てきたのです。
そこには西村伊作と思われる人物も一緒に写っていました。
そしてなお驚いたのは、そのあと、小さな手帳を見つけ開いてみたら、ページ毎に母が文化学院を卒業する折に友人たちから
貰ったメッセージが並んでいて、その一ページに海に浮かぶ小舟や客船と、遠くには外国を思わせる街並みが描かれた
ペン画とこのような言葉が残されていたのです。

   

    
つねに
     くりかえして 
      幼きときを
       思い起こせ 
            伊作










伊作という同名の人がその時他にもいたとは思えません。間違いなく西村伊作が母に残してくれた言葉だと思います。
良い言葉ですね。「つねにくりかえして幼きときを思い起こせ」無垢の心を大事にせよと言うことなのでしょうか。
母は良い青春を送ったのだろうなあと思います。
余計なことですがこの頃の母の可愛かったこと。息子が言うのも何だけれど本当に可愛いお嬢さんなのです。
いつかこの頃の写真もお見せしたいものです。それにしてもよくぞ父と一緒になったものです。
今のように自由恋愛[死語ですね、既に]の時代だったら絶対父とは一緒にならなかっただろうなあ。
なんて親父には申し訳ないけれど。

そしてその父。こちらは仏壇の命日を記す帳面を見た時です。
生前、戦争の話になると必ず戦死した部下たちのことが悔やまれると口にしていました。
自らは側頭部に弾丸を受け瀕死の状態でいたところを運良く敵兵に助けられ一命を取り留めたのですが、
その時に多くの部下を戦死させてしまった。そのことがずーっと心に引っかかっていたようです。
親戚縁者の命日が記された中に次の一行がありました。
        「昭和20年6月8日 清水部隊にまつわる数百名」
戦地に行って弔いたいと云いながら果たせずに逝った父ですが、せめてもの思いで命日には仏壇に手を合わせて
戦死した人々を弔っていたのでしょう。父の心には何時までも哀しみが残されていました。
立派な軍服姿の父の写真ですが、「人の道を外してはならぬ」という信念を守り通したようです。

さて妹は若くしてリウマチを患い、苦しい闘病生活の末に40才を前にして逝ってしまいました。
子どもの時は病弱だった私とは正反対な健康で活発な子どもでした。誰からも好かれる明るい妹だったのです。
大学では学園闘争に加わりデモに参加するなど、ノンポリを通した私とはこれも正反対の活動家でした。
人生は分からないものです。
そんな妹が若くして旅立ち、病弱だった私が60を過ぎても健康で元気に舞台に立ち続けていられるのですから。

闘病生活を送った病院で一緒だった人たちが、妹の退院時にくれた寄せ書きが残っていました。
母には妹の大切な思い出の品だったのでしょう。母の思い出の品々の中にそれが一緒にありました。
病院でも人を気遣う妹だったようで、退院を祝う言葉と共に別れを惜しむ言葉が書き連ねられています。
そして発病後も変わらずに見守り、最後まで共にいてくれたOさん[私には兄のような人です]との楽しい日々の写真もありました。
短かったけれど充実した人生であったと思います。
もっともっと長生きしたかっただろうなあと思うと、もう20年になるという今も涙がこみ上げてきます。
私は本当に良い兄とは言えなかったのです。悔やまれる思いは一生私の中に残っていくのでしょう。

「家族」というものについていつか書きたいと思っていました。私にはこれまでに三つの家族があったんだなあと思います。
一つ目が上の三人、父と母と妹とのもの。そして二つ目は別れた前の妻と、息子や上の娘とのもの。
そして三つ目が今の連れ合いと下の娘との「今の家族」。
この三つの輪はあるときは微妙に重なり合いながらも決して溶け合わずに、それぞれ別のものとしてあったのです。
無理に一つにしようと思わずに来られたことは幸いでした。それぞれの「家族」としての記憶は一つ一つ大切なものです。
いま息子も上の娘も「新しい家族」を作って幸せに過ごしています。
そして私の「新しい家族」を大事にしてくれていることには心から感謝するだけです。



「わかる、ということ」
      1月16日(土)
 先日、母校(高校)で後輩たちにパントマイムを見てもらう機会がありました。母校で教師をしている高校時代の同級生が、
是非後輩たちにマイムを見せたいからと実現したのですが、インフルエンザの影響で全員を一堂に集めることが出来ないと言うことで、
一学年だけが生で、他は教室でのTV中継を見るという形でした。矢張り同じ空気を共有する形で見てもらいたかったのだけれど致し方
なしでした。生とTVではさぞ印象が違っただろうと案じていたのですが、終演後にTVで見た生徒たちが声を掛けてきてくれたので、
ちょっと安堵しました。
 作品の合間にマイムや作品についての話を織り込んで約一時間の舞台でしたが、その時生徒たちに次のような話を。

  ―小さな頃は人間も動物も、植物や物も皆一緒。それぞれにそれぞれの”いのち”を感じて同じように接していたのに、
成長し学習していく中でそれぞれの違いを知り始め、生物と無生物、動物と植物、人間とその他の生き物と分けていくようになる。
「解る、判る、分かる」いずれも「わかる」と読む。そしていずれも分けるという意を持つ。
分析、分裂、分断、分解、解析、解剖、解明、解釈、解説、判断、判決、判別、判明・・・・・・。
曖昧なものを明らかにすること、AはBとは違うと二つに分かっていくこと。
学習するとは物事を分けていくこと。知識とは違いを知ること。こうして我々はあらゆることを学んできた。

 でも果たして分かつことだけで良かったのだろうか?「わかる」とはどういうことだろう。「わかる」だけで良いのだろうか?
「わかった」為に失ってしまったことがあるのではないか。
 そう「月」にロマンを感じられなくなったように。人間と動物や植物が会話を交わせなくなってしまったように。
人の命は他の生物とは違う特別なものなんだと思い込んでしまったように。
 私は自分のパントマイムのなかでそんな失ってしまった心を取り戻したいのです。

 子どもたちに話した言葉とはかなり違いますが、私はこんな思いで作品を作ってきました。
そしてマイムを演じる中で自分自身が物事を分かたない赤子の心を取り戻しているのです。

MumboJumbo 2010

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