Mumbo Jumbo 2011

buck to mumbo jumbo2012

「武器輸出三原則の緩和を認めてはいけない」   12月27日(火)
このところの野田政権の迷走振りは異様に思える。TPP参加、原発再稼働、原発の海外輸出推進、沖縄問題、新幹線建設再開、
そしてこの武器輸出の三原則の緩和と数え上げたらきりがない。もう戦争はしない、武器も持たない、憲法9条の精神は終戦後の
日本が選んだ世界に誇る素晴らしい道だったはず。アメリカに押しつけられたと言うことで憲法の改正を声だかに言う人達も多く
見受けるが、この9条があったからこそ終戦後の処理もきちんとしてこなかったにも拘わらず、アジアの国々も日本を受け入れて
くれてきたのではないだろうか。9条を押しつけた?同じアメリカの強い要請で自衛のためという建前のもと自衛隊を持ち、陸海空の
装備を増強してきた。ここで更に武器の開発、製造、輸出に一層力を入れることになる、この原則の緩和はとても危険な道に足を
踏み入れることになる。
TPPへの参加も、原発の推進も、この武器の開発も何もかも総てお金のため。それぞれの産業を潤すために仕組くんでいるのだ。
「金より人の命」なによりも優先させる政治を行って欲しい。
東京新聞の記事

「消費税率アップということは・・・」  
12月12日(月)
福祉にも、教育にも、文化にもお金が足りない。しかも震災で多額のお金が必要になってしまった。
こうなってしまったら消費税を上げるのも致し方ないなあ、と私も思いましたが皆さんは?
でもこれがどうも怪しいのです。余りにも我々は素直でまっとうで人が良すぎるようだ。

この数年、私なぞは入ってきたお金は総て出て行ってしまい、貯蓄なんてまるで考えられないばかりか、僅かな蓄えまで吐き出し続けている。
つまり収入以上の支出に消費税を払っている訳だ。
さて月収何百万という人は、毎月の支出はそのうちの何割かで、残りは貯め込んでいるのだろう。
という事は消費税を払うのは収入の何割か分と言うことになる。例えば、月収30万の人はそのほぼ100%支出しその分に消費税がかかる。
一方、月収300万の人は仮にそのうち100万支出をしたとすると収入の三分の一分しか消費税を払わないことになる。
これでは不公平、格差はますます開いていくことになる。
税金を掛けるなら出ていくお金に対してではなく、入ってくるお金や貯め込んでいるお金に対して掛けるべきだろう。
それも金持ちや大企業に優しくではなく、昔に戻って金持ちや大企業からは相応の税金を取るのが筋ではないか。

20年前の所得税率に戻せば今の不足分以上の税収になるそうだ。
今日から原発反対と共に消費税アップにも反対だぁ!!金持ちからお金をしっかり取れ!!
そう、電気の消費も20年前の生活に戻せば十分足りるそうだ。Back to 1990!

「いい代えの手法」   
12月7日(水)
加藤周一さんの「言葉と戦車を見すえて」(筑摩書房)・危機の言語学的解決についてより抜粋

「厳しい表現を和らげ、直接明瞭な表現を漠然とした表現に変えること(またはそう変えた表現)」を言葉のいい代えという。
1945年8月の降伏後の日本では,これが一種の「お家芸」であり、殊に政府または権力側が「いい代え」の手法を翻訳に応用し、
外向け(英語)と、内向け(英語に対する日本語の「いい代え」の表現を使い分けてきた手腕は,ほとんど至芸というのに近い。
「降伏」を「終戦」とし、「占領」を「「進駐」とした時から始まる。・・・中略・・・文部省(当時)が教科書の検閲に要求を持ち出し、日中戦争
について、「侵略」を「進出・進攻」とするのは、後者がより「客観的な表現」だからという。
「米国の要求に従う」と言えば殆ど隷属的に聞こえるが、これを「国際的責任を果たす」といえば,内容は全く同じことでも「経済大国」
にふさわしく堂々と聞こえる。

そして本日の東京新聞・筆洗より転載
―太平洋戦争の分岐点になったガダルカナル島の攻防戦では、約三万人の日本の将兵のうち二万人が犠牲になった。七割が餓死や病死である。
一九四三年二月、大本営は敗北した事実を隠して、所期の目的を達して転進した、と発表した▼これ以降、日本軍が太平洋の拠点から撤退した時に、
新聞では「転進」が使われるようになる。部隊が全滅した時は「玉砕」に。軍部と新聞は言葉を言い換え、国民の目をそらした▼同じようなことが今、
政府や東京電力の記者会見で起きている。事故やトラブルの危険性を小さく見せるために「事象」という言葉を連発。記者が原発の「老朽化」に言及
すると「高経年化」と言い直すと、本紙記事が報じていた▼原子力建屋の中にたまった高濃度の放射能汚染水は「滞留水」。
これでは危険性は伝わるわけがない。極め付きは、正常な原子炉を定期検査で止める時などに使う「冷温停止」に「状態」を付けた「冷温停止状態」だろう
▼事故が収束に向かっていると強調したい政府の常套句(じょうとうく)であるが、圧力容器から格納容器に溶け落ちた核燃料の状態が十分把握できて
いないのに、その言葉を平然と口に出せる感覚を疑う▼かつて、新聞は軍部と一体になって、国民に本当のことを伝えなかった。もう過ちは繰り返したくない。
事故が風化するのを待っている原子力ムラとの根比べでもある。

どうとでも受け取れる曖昧な表現に代え、また厳しい状況をさもそうではないような物言いに変えて大衆の目をはぐらかす。
こうして長い間我々は誤魔化されてきた。こんな使い古された手口に何時までも騙され続けてはいけない。
騙されてきたのは我々がしっかり物事の真相を見極めようとせず、また情報を鵜呑みにして自分の頭で考えようとしなかったからだ。

いいですか、東京の放射能汚染がこの程度で済んだのはまったくの幸運でしかない。偶々風向きが幸いしただけ。
もしかしたら福島や群馬県のように高濃度の汚染に見舞われていたかも知れないのだ。
もし再び福島原発を大きな地震が襲ったら、未だ危険きわまりない状態を、作業員の必死の努力で持ちこたえている原発は,ひとたまりもなく一気に崩壊へ向かう
恐れがあると言われている。何せあの原発は耐用年数を超した老朽(高経年)原発なのだから。
その時の風向きが東京にとって悪ければ、高濃度の放射性物質が降り注いでくる可能性は十二分にあるのだ。

高濃度の汚染されたベラルーシのゴメリはチェルノブイリから300キロ。東京は福島原発からたった240キロ。
東京は汚染されていないから大丈夫、なんて思っている人がいたら大間違い。そんな他人事と思っているととんでも無いことになるだろう。
東電・政府の大本営発表に惑わされる無かれ。

「ヨネヤママコさん」  12月5日(月)
ママコさん、素敵な舞台でした。何もない舞台、シンプルな白い衣裳、必要最小限の音楽、久しぶりに純粋なパントマイムを堪能しました。
少しも押しつけがましくなく、感情を抑えて淡々と進行する舞台は,静に、そしてじんわりと心に染みこんできました。
大きな声で叫ぶように主張しない舞台でしたが、でもママコさんの思いが強く響いてきました。

私利私欲にまみれた社会は、生物本来の自然体系を崩し、環境を破壊して止まない。
自然は破壊した跡に林立する巨大なビル、そして氾濫する情報は,動植物ばかりではなく人間自身をも壊し始めている。
抜き差しならない状況を揺るがしたあの日。総てが瓦礫と化した跡に静かに再生する命。

ママコさんは「その再生に祈りを込めて」美しく舞台を舞いました。
ほぼ新作と仰る今回の作品、私よりも一回りお年を召しておられるママコさんは「体・技が衰えてきても,創造することは生き甲斐であり、
たのしみでもある」と言われる。

私達がママコさんに元気をプレゼントしなくてはいけないのに、今回はママコさんから元気と勇気を頂きました。
有り難うございましたママコさん、私はまだまだ老け込む訳にはまいりません。
しっかり背中を追い続けさせて頂きます。


「また騙されてしまった」  
12月3日(土)
  ―友人に送ったメールから抜粋,一部書き足し―

本当に油断大敵、もう騙されないぞと思っていたのにころりと騙されていました。そんな国だったとは・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=32AaXLoNqa4 国王一家にとっての『幸せの国』だたんですね。

夫妻の来日時の日本での報道は良いことばかり。いやー、もう時に絶望的になるようなこの国の状況です。

真実を知らせない大手マスメディア。沖縄に対する政府の相手を見下したような対応。何も識らないで就任してしまう
防衛大臣の余りの軽薄さ。キャバクラに税金を使う是非も判らぬバカ大臣。何でも言いなりオバマの鞄持ち首相。
脅しを掛ければ言うことを聞くと思っている恫喝大阪市長。会社を私物化する暴君新聞社主。カジノ狂いのバカ息子。
・・・エトセトラ、エトセトラ・・・。
数え上げるほどに、こんな連中がこの国を動かしているのかと思うと腹が立つやら情けないやら。

今日はいつも買いに行くパン屋の旦那と、パンを片手に怒りまくって来ました。
青梅の先、奥多摩の教会に福島から疎開してきた数家族が生活しています。パン屋の旦那はその人達にパンを届けているのだそう。
その中の小さな女の子が「パン屋のおじさん、私達は大人になったら結婚できないの?子供が産めないの?」と聞いたそうです。
何と答えたらよいのか、言葉が出なかったって。

こんな切ない思いをしている子供がいるというのに,それでも原発が必要ですか?それでも海外に輸出ですか?
そんなにお金が大事なのですか?平気でで輸出をもくろんでいるあの連中の頭の中が,私には全く理解できないです。

彼は青森下北半島の出身で,田舎の母上に手紙を書いたそうです。
「原発はこれこれこうだからとても危険な物なんだ。福島では多くの人達が犠牲になってしまった。だからもう六カ所などの交付金を
当てにせず、原発に頼らずに生きていかなければ」って。出来るだけ穏やかに優しく書いたつもりなんだけれど,その後母上から一切連絡が来なく
なってしまったそう。「もしかしたら絶縁されたかも。寂しいけれど自分は信念を曲げる訳にはいかない」と言っていました。

青梅の小学校も幾つか基準値を超すホットスポットが見つかったり、すぐ近くのゴミ処理場に放射能汚染されたゴミが入って焼却している
というのに、ここいらの人達はまるで関心がないかのようです。カミさんが原発の事を娘の同級生の母親達に話すと、何となく煙たがられる様だと。
パン屋のご主人もお客様にそれと無く原発の話をしたら「でも電気が足りなくなるし、経済も」なんて言われたり,話した後、ぴったり買いに
来なくなった人もいるそうです。みんなTVや新聞で言われていることを鵜呑みにして信じて疑わない。
彼は思わず「貴方は自分の頭で考えているのかっ」て喉元まで出掛かったけれど懸命に堪えたと言うことです。
「私は日本が大好きだったのに最近嫌いになりそうだ」と叫んでいました。全く同感。

小出さんではないけれど「もう勝手にしろ」と言いたくなります。http://www.youtube.com/watch?v=AksrgkxQ7pA&feature=related
でも私はまだそんなことをいえるほど世の中に物を言っていない。
パン屋さんと、「自分たちがここで負けてはいけないね」とエール交換をしてきました。


「さよなら原発」への思い 
12月1日(木)
私の学生、劇団研究生時代は、安保や授業料値上げなどに対するデモや封鎖など、学園闘争がいつもどこかの大学で行われていた。
大学や劇団の研究生仲間には、闘争に加わりデモなどに参加する人達も多かった。
ところが私は政治には興味がなく、「安保」が何故いけないのか解らず、また解ろうともしなかった。
ただ権威的なものに対する反抗心はやたらと強く、大学は一年時必修の宗教の時間を担当した、人をバカにしたような教授が許せず、
こいつの単位を取らなければ進級できないのならもう辞めたと、以来授業には出なくなった。
ひょんな事から入る羽目になった演劇部が面白く、授業には出ないで部室には通うという生活を約一年。
授業料も勿体ないので中退し、劇団の演劇教室に通うことになる。

大学は昔は女子校でどちらかと言えばお嬢さん,お坊ちゃん学校、政治的な意識の強い学生は殆どいなかったのではないかと思う。
ところが劇団は共産党系だったので、同期の研究生には政治意識の強い連中が多かった。喫茶店や飲み屋ではたばこの煙が渦巻く中、
演劇論や安保がどうの、何がどうのと政治的な話で盛り上がるのだが、いずれも私にはちんぷんかんぷん。
いやはや見事に勉強していなかったので、そんな話しについて行けず、デモに参加しに行く仲間の誘いも断り、
私は一日街をふらつき、喫茶店で時間を過ごし、三本立ての安い映画館で映画を観まくっていた。
そんなことで結局演劇への興味も薄れ、パントマイムへ乗り換えたのだった。

パントマイムが性にあったのだろう、始めてからはもうパントマイムしか目に入らなかった。新宿の大争乱を横目にスタジオに通い、
残りの時間はバイトと相変わらず映画に明け暮れた。スタジオを終え独立した後もパントマイムの作品作りや公演に明け暮れ、
気づいたら安保はもうどこかに行ってしまい、高度経済成長に乗ってマイムの仕事や舞台で数十年が過ぎていた。
恥ずかしい話だが、50近くになって漸く世の中のことを何も識らないことに気づいたのだ。政治や歴史の本を読みあさり、
あの頃何故若者達が命がけで安保を阻止しようと戦ったのかを知り、またいかにこの国は戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出すまで
戦争から身をひくことが出来なかったかを知った。帝国主義、植民地主義、共産主義、資本主義、自由主義・・・その主義によって
どれほど多くの人達が振り回され、悲しく辛い体験をしなければならなかったか。
そういう様々なことに全く目を向けず、心を寄せずに生きてきたかを思うと我ながら情けない限り。

結局様々なデモにも参加することもなくこの年まで生きてきた。
もうこのまま一生参加することはないだろうなと思っていたのだが、そんな私が今年何と二回もデモに参加することになった。
其れは私が目を向けずにいた中でいように増大してしまった原発による事故が切っ掛けになった。
そうあの9月15日に行われた「さよなら原発5万人集会」に参加し、パレード(何だか変な感じ)にも加わって都心の街を歩いた。
そして二回目はつい先々週、11月末に行われた地元での「サヨナラ原発パレード」にも参加。
私にはチェルノブイリ後10年のベラルーシに行って、悲惨な現実を目にしたというのに何もしてこなかった後悔がある。
もうこれだけは何が何でも訴え続けなくてはと言う思いが脱原発、反原子力の運動への参加となった。

折しも今日の新聞では電気産業の労組が民主党に多額の献金をしていたと報じられている。其れに呼応するようにこれまた今日の
新聞に政府は原発の海外輸出に踏み出すという記事が。福島の事故処理にまるで目処が立っていない今、何故海外輸出などと
言い出せるのか、とてもまともな神経を持った人間のすることとは思えない。人命よりも経済優先とは許せない。
他にも書いているので重複するが、出続ける放射性廃棄物の処理方法が何もない、高濃度に汚染された福島を始めとする各地の
除染作業の困難さ、今後ますます深刻になるだろう食物などによる内部被曝の問題、そしてなによりも福島原発の廃炉に向けてへ
の険しい道のり、数年後に現れる恐れがある子どもたちの健康への影響などなど、原発メーカーはまずこれらの諸問題に対して自分
たちが出来る事で誠心誠意研究を重ね、その解決に向けた新しい機材などの開発にエネルギーを注ぐべきだろう。

政府もしかり、新たな原発の輸出は辞めて、これら諸問題の解決に向けてあらゆる知恵を結集し、今後どこかで起きるかも知れない
同様の事態に対処できる方策を見いだすことで、国際的な貢献への道を拓いて欲しい。
不幸にも今の日本はその為の生きた研究材料に満ちあふれている。これを乗り越えることがこの国に課せられた課題ではないだろうか。
いまこそ原発の危険性を訴え、「さよなら原発」の先頭に立てるのは日本なのだと言うことを認識して欲しい。

「七つの大罪」  11月11日(金)
小出弘章さんの著書「原発はいらない」の結びにガンジーの墓碑に刻まれているという「七つの大罪」が紹介されています。


  理念なき政治(Politics Without Principles )
  道徳なき商業(Commerce without Morality)
  労働なき富(Wealth without Work )
  人格なき学識(Knowledge without Character)
  人間性なき科学(Science without Humanity)
  良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
  献身なき信仰(Worship without Sacrifice)

何と言ったらよいのでしょう、今この社会はこの七つの罪総てに覆い尽くされていると行って良いでしょう。
何も余計な言葉を挟む余地はありません。人類の総てが今一度ガンジーの残した言葉を何度も何度も噛みしめる時です。
それにしてもかの鳩山元首相が就任に演説でこの言葉を紹介していたとは。迂闊にも気づきませんでした。
でも鳩山さん、この言葉の意味は分かっていなかったのでしょうね。だって母親から多額のお金を貰って何とも思っていなかったのだから。


32年という時間の重さ    
10月25日(火)
124回目の上演となった「幻の蝶」の舞台が終わった。
震災後の厳しい社会情勢は、確実に我々舞台人の活動にも大きな影響を及ぼしている。
ここ数年来徐々に経済が落ち込み仕事が減少したところに震災と原発事故が追い打ちになった。
バブルの絶頂期、寝ていても入ってくるお金に踊らされ人々の金銭感覚が完全に狂ってしまった後だけに、今の状況は殊更に厳しく感じ
られるのかも知れない。今回の公演でもその厳しさを味わうことになった。

毎年チケット売りには苦労するが今年は特に予約が伸びず、公演間近になっても手元には束になってチケットが残っていた。
手の打ちようもなくこれはもう寂しい客席を覚悟しなければならないなあと、半分諦めかけた間際になって漸く多少予約が入り、
当日はどうにか閑散とした客席にならずに済んだ。寂しい客席は演じる私も辛いが、お客様もすきま風が吹き抜くような中で見るのは辛いもの。
舞台の出来にも少なからず影響が及ぶので、お客様をいっぱいにするのも主催する私の役目なのだがこれがどうにも苦手な仕事。
バブル期と同じ料金設定にも問題があるのだろうが、価格を落とすのはなかなかに難しい。これまで設定していた金額で観に来て下さった
方達に申し訳ないし、また会場費その他出ていくお金を考えると料金を下げることに二の足を踏んでしまう。
でももうそのようなことを言っていられない状況になっているのだろうか。次回の課題のひとつになった。

さてそんな状況で幕を開けた舞台なのだが、意気の上がらない話と異なり嬉しい事が山のようにあった。

まず一番の収穫は、この年になって漸く力の入れすぎ、気合いの入れ過ぎから脱することが出来たと思えたこと。
ブログにも書いたのだが、ゲネプロから身体が軽く快調な流れで舞台を進行していけたのだ。ゲネの終了後、タイトルで出演してくれたあがりえ君に、
「こんな感じで本番も出来るといいのだけれど、いつも本番になると気合いが入りすぎて力が抜けなくなるんだよね」と言ったのだが、何と今回は
その心配した本番が我ながら実に軽やかに演じる事が出来たのだ。嬉しかったです、とても。
永年、私の舞台の照明をして下さった辻本晴彦さんが亡くなる数年前に、「清水さん、漸く楽になってきたね」と言って下さりとても嬉しく思ったのですが、
その時はまだまだ余分な力が入ってしまうことを自覚していました。でも今回はしっかりと手応えを感じることが出来た。
32年演じ続けてきてやっと手がかりがつかめた感じです。これならまだ暫くは演じ続けることが出来そうだと思えたのも大きな収穫でした。

次ぎに嬉しかったことは30年振りという方を始め、数年、十数年、二十数年振りにという方が何人も観に来て下さったのだ。
30年ぶりと言うことはほぼ初演時に見て下さった訳で、これはもう続けてきたからこそと言うしか有りません。有り難いことです。

来て下さった方々には当然その年月の積み重ねがあり、同じ作品の見え方が異なったと言って下さる。
私もまたその同じ長さの積み重ねの中で作品に対する思いに変化がある。そしてまたその時その社会状況の中で感じたことから作品に込める気持ち
も変わっていく。「幻の蝶」も「KAMEN」も私には自分自身を見つめていく定点観測のような意味合いがあるのです。
面白いです。演じ続けると言うことは本当に面白い。だからまた来年もと思ってしまうのです。

そしてまた二十数年教えている専門学校や声優養成所の教え子達が、何人か子供を連れて来てくれたことも嬉しい事でした。
しっかりとお母さんになっている姿がとてもまぶしく頼もしく思えた。そうして小さな子供に私の舞台を見せようとしてくれたことに、言いようのない幸せを覚えました。
あの小さな子達にはまだ理解できないことばかりだったでしょうが、いつか大きくなってまた見て貰える時まで続けられたらいいなあと思わせてくれました。
観に来て下さった皆さん、そして今回は都合が合わないけれどといって連絡を下さった皆さん、有り難うございました。
32年の重さを身にしみて感じた今回の公演でした。

正直なところ来年はどうしようかと迷っていたのですが、皆さんにどんと背中を押してもらいました。
来年もやります。やはり同じ梅若の舞台で、同じく10月の末に。詳細は近日中の公演情報にアップします。
来年は何とか満席の客席で見て頂けるように今から準備に掛かろうと思っています。どうぞ皆さんも今からやご友人やお知り合いにお声を掛けて下さい。
よろしくお願いします!!


厭な空気    8月19日(金)
菅野の退陣は致しなかっが、退いたとたんに民主党の空気が怪しくなってきた。
野田新首相の靖国A級戦犯に対する発言は、ひとまず封印された状態だが本意は変わっていないだろう。
そこに今回の前原が米国で行った講演での発言。国政を任されている以上、憲法は遵守しなくてはいけないだろう。
個人的な見解だとしても見過ごすことが出来ない発言である。
戦争の教訓を元に、我々は決して戦をしない、武器も持たないという国の行き方を決めたはずだ。各国はその日本の姿勢を評価し、
またこの国は安心して経済の発展成長のために専心出来たのではないか。もし武器や軍隊を持ち続けていたとしたら、その維持のための
経済的負担や、諸外国の警戒心などから戦後の劇的な復興はあり得なかっただろう。

PKO参加5原則、武器輸出3原則、最低限守らなければいけない。これらの原則だって九条の理念をなし崩し的に解釈し、かろうじて出来た
原則であったはず。本来はこれらの原則が生まれたことすらおかしいことなのだ。
前原政調会長の即時退任を求めたい。
それにしても松下政経塾出身者の言動が気になる。この国の未来を彼らに委ねることには大きな危惧を覚えるのだが。

九州家族ツアーその2   8月19日(金)
昔は知る人がいないところへ旅をした。今は知る人を求めて旅をしている。
未知への興味や期待は昔も今も変わらないはずなのに、年を重ねるに従い人恋しくなっている自分に気がつく。

若い時はどちらかと言えば人間嫌いで、人付き合いが大の苦手。日々の生活でも旅をしていても、出来るだけ人と出会うことを避けていた
ように思う。実は今もその辺りは余り変わらないのだが、最近は少しばかり人と一緒にいることが辛いことでは無くなった。
対人恐怖症と言うほどではなかったと思うが、誰かといるよりは一人でいることが好きで、芝居も映画も何時も一人で行くのが好き。
これも今も同じ。とにかく誰かといると、無用な気を遣ってしまうのだ。

そんな自分だが、最近は少し変わってきた。今回の九州も古い友人、知人、教え子などに出会うことがとても楽しみだった。
北九州・八幡のワークショップ公演を企画して下さった江口さん、子どもキャンプの柳田さんや篠原さん、熊本在住の昔の生徒・松村君、
九州で活動をしているマイム研究所の後輩・はせがわ天晴さん、大分に住む知人、霊鷲さんらに会うことが何よりも楽しみだった。
そして甑島の齊藤さん一家を始め、熊本の方々他、初めての出会いも。

こうして旅を終えたいま、勿論美しい景色も強く印象に残っているが、やはり心に強く残るのは出会った方々のこと。
また会いたい、もう会うことはないかも知れない、いろいろな思いを抱きながら出会い別れてきました。

九州最後の日、熊本・小国から大分に抜ける途中、会いたいなあと思う人がいました。
私がまだ30になるかならないかの頃、よく仕事を頂き一緒に旅をした方がいました。須永博士(ひろし)さん。
自作の詩や絵を詰め込んだ大きなリュックを背負い、日本全国を旅して廻っていた放浪の詩人です。
展示会場で出会う人達と言葉を交わしながら、その人達が心に抱えている様々な思いを言葉にしていく。
多くの人達が須永さんの即興の詩で希望を見いだし、勇気づけられていました。
その須永さんの展示会場で、何年かの間パントマイムをやらせて頂いた。何年かご一緒させて頂いた後、いつしか離れてしまいましたが、
ずーっと心の中で大事にしていた方です。
そう、『幻の蝶』初演の時のパンフレットに須永さんから頂いた言葉があります。

あるとき須永さんから熊本の小国にご自分の作品を展示した美術館をひらいたと聞き、十年ほど前に訪ねたことがあった。
残念ながらその時はどなたもいなくて、郵便受けに置き手紙をして帰りました。
小国の町並みもだいぶ様変わりし、今回も昔の記憶を頼りに探したのだけれど見つからず、もう閉めてしまったのかと諦めていた時に、
懐かしい看板を見つけ訪ねました。今回も休刊日だったそうだが、偶々来客があるというので開けていたそうで、ご本人は北海道に
行っていて不在でしたが、娘さん(さとうしょうこさん)ご夫婦にお会いすることが出来た。

娘さんとはまだ入学前の小さな時にお会いして以来でしたが、覚えていて下さって須永さんの元気な近況もお聞きすることが出来た。
須永さんは間もなく70歳、私も64になった。昔と変わらぬ楽しい作品を前に、30年の歳月がとても不思議な時間に感じられたひとときだった。
                     須永さんのホームページ
しょうこさんのブログ 

そのあと大分で若い友人霊鷲さんを訪ねた。今は結婚されて三児の母。ご実家のお寺をお父上、ご主人と守っておられます。
そしてもうお一人お会いしたい方がいて国東に行ったのですが、残念ながら数ヶ月前に引っ越されていてお会いすることは叶いませんでした。
小学校の恩師・無着成恭先生です。長らく国東の泉福寺のご住職をされていたのですが、つい最近ご住職を退かれ別府にお住まいを移られた由。
会えるも良し、会えないのもまた良しです。


九州を家族でツアー    8月19日(金)
7月30日から8月17日まで19日間の九州ツアーは、多くの方々のお世話になりながら、無事終えることが出来ました。
昔からの夢でもあった家族での公演旅行でしたが、いざとなると実現させるまでには踏み切れずにいました。
今回実行する事になった最大の切っ掛けは、昨年来の不況と、何と言っても震災の影響による仕事の激減です。
とにかくじっと動かずにいたのでは何も変わらない、とにかく自分が出来ることから動くことだと思い、九州の友人(勝手に思い込んでいます)
柳田さんに相談したことから実現しました。家族でツアーなんて言うと聞こえはよいのだが、実際は切羽詰まっての出稼ぎが目的でした。
でも同じで稼ぎでも、どうせならば自分の夢を実現させようということにしたのです。

柳田さんは長年子ども劇場の活動に携わってこられ、現在は九州・杷木で「九州沖縄子ども文化芸術協会」代表理事・事務局長として、様々な
文化活動に携わっておられます。相談に伺ったその場でおおよその日程まで決めて下さり、他に北九州の古い友人・江口さんにも一肌脱いで
もらって約3週間の旅となったのです。一応の日程が決まった後、偶々柳田さんと会っておられた甑島の齊藤きみ子さんが、それならば甑島にも
来てくれたらと声を掛けて下さり、思いがけず島での公演まで実現した。
齊藤さんは演劇が子どもの成長に果たす役割の大切さを長い間研究し、著書や講演などを通して伝えてこられた方です。出版社の都合で
発刊してすぐに廃刊になってしまったという本を御自宅で見せてもらったのですが、教育や子育ての中での演劇の果たす役割が、とても解り
やすく書かれていました。残念ながら最後までじっくり読む時間がなかったのですが、是非再出版して欲しい本でした。

旅行の様子は急遽始めたブログに日記として載せてありますが、今回の旅最大の収穫は自分自身の姿勢に活を入れることが出来た事でしょう。
長年の内にいつの間にか『待つ姿勢』になっていたのです。若い時と同じようには行かないし、また同じであってはいけないのですが、あの頃の
様に常に一歩踏み出していく事を今一度肝に銘じたかったのです。やはり自分が動き出せば状況もそれに連れて動き出すのだと、この旅の中で
実感しました。
私はまだまだリタイアする訳にはいかない。その為の体力もまだ大丈夫だと、旅を終えて確認できたのが何よりの自信になった。
結局は人との出会い、繋がりが全てだと言うことも、今更ながらに再確認した旅でした。
正直沢山の方々にご迷惑をお掛けしたのですが、その分はこれからの活動の中でお返ししていきたいと思います。

また来年の夏、いや季節に限らず、あちらこちらで今回のように小さな舞台を持ったり、ワークショップをしたりしながらの旅が出来たらいいなあ。
今からじっくりプランを練りたいと思っています。

そしてもうひとつ、この旅を決める切っ掛けになったのは大好きな「楽市楽座」一家の活動に刺激されたことです。
長山現さん、佐野キリコさん夫婦、ひとり娘・萌ちゃん、猫一匹で全国を投げ銭で巡演している凄い一座です。
皆さんの近くに行ったら是非見に行って、沢山投げ銭をして下さい。
一座の足下にも及ばないツアーでしたが、お陰様で楽しく実りの多い旅が出来ました!『楽市楽座』の皆さん、有り難う!!

こんなにも・・・    
7月1日(金)
一昨日、座・高円寺にて行った「KAMEN」は無事に終了いたしました。なかなかチケットの予約が伸びずに、これは寂しい客席になるかもと
覚悟して迎えた舞台でしたが、直前から急に予約が増えて、お陰様で沢山のお客様に見て頂くことが出来ました。
兵庫、名古屋、静岡、福島と、暑い中遠方まで足を運んで下さった方が何人もあり、嬉しい公演になりました。
初めての劇場はやはり勝手が違い、リハーサルではだいぶ戸惑うこともありましたが、本番までにはすっかり様子も分かり、思う存分演じた
舞台でした。音楽の上野さんも何年ものお付き合いですが、毎回いろいろと工夫をしてくれて、今回も又新鮮な音楽で演じさせてもらいました。
震災や原発事故のこともあり、なかなか稽古に集中できない状態でしたが、公演間近になってふと作品が今の状況とぴったり重なってかんじられ、
今まで感じることがなかった想いも加わり、我ながら新しい気持ちで作品と対峙できたのが何よりの収穫になりました。
作品はこうして自分と共に成長し、変わっていくのだと再認識です。

さて、今回は公演終了後に放射能汚染の恐怖に直面している福島の子どもたちをなんとか支援したいと思い寄付金を募りました。
160人今日のお客様でしたので、2〜3万円も集まればいいなあと思っていたのですが、なんと8万円近い金額になりビックリ。
福島のことをみんなこれほどまでに心配していたのだと実感し、皆さんから頂いた支援をとても心強く感じました。
学生さんが高額の寄付をして下さったりで、皆さんに心から御礼申し上げます。
寄付金は当初、支援先の口座に送金するつもりでしたが、これはやはり直接先方にお渡しした方が良いと思い、近日中に仮面作家の
ふじもりさんと共に現地に行くことにしました。福島の状況をこの目で確かめたい気持ちもあります。
ご報告は帰り次第するように致します。本当に有り難うございました!!


夢見ていたのは・・・    
6月26日(日)
今から40数年前、マイムの研究所に通い始めた頃、私も仲間達も同じように貧しかった。
親戚一同の反対のなか、絶対に一丁前になってみせると大見得を切り、パントマイムに集中するんだと家を出てアパート暮らしと相成った。
原宿のアパートというと豪華な部屋が想像されるかも知れないが、共同トイレ、半畳ほどの入り口の脇にコンロひとつぽつんと置かれた台所、
勿論風呂なんてある訳はないおんぼろアパート。祖母がくれた小さなボックス型の冷蔵庫がやたらまぶしく見える他は、小さなちゃぶ台ひとつ
のがらんとした四畳半がひとり暮らしのスタートだった。
家賃が6000円、バイトの時給は何と140円くらいだったと記憶している。仲間は皆似たり寄ったり。勿論金持ちもいたけれど、いつも近くにいるのは
似たもの同士になってしまうもの。見事にお金には縁がなかったが、将来への不安はまるでなかった。

東京オリンピックから数年後のことで、世はまさに高度経済成長に突き進んでいる真っ最中。おそらく誰しもがバラ色の未来しか思い描いていな
かっただろう。未来を信じられれば人間は今がどれほど苦しくても元気でいられるものです。
今思い返しても冷や汗ものの無謀なことを繰り返していました。其れも将来に不安を感じなかったから。
「出世払いで」なんてなんの保証もない空手形で、気軽にお金を融通し合ったものでした。

バラ色の未来、ひとりひとり思い描いていた未来図は違ったでしょうが、現在のこの様な状況を思い描いたものは誰ひとりいなかったと思う。
『俺たちが夢見た未来』はこんな物では無かった。我々は余りにも単純に時流に乗り、世の中の雲行きが怪しくなっても、そのうちに元に戻るさと
気にも留めずにいた。こんなはずではなかったと気づいた時は、手の施しようがない惨状になっていた訳だ。
年間の自殺者が三万人を超えて久しい。今年はどこまで増えるか案じられる。何よりも気掛かりなのは若い人の自殺が増えていること。
健康や老後への不安、仕事を失う、貧困、介護疲れ、などなど理由は今も昔もさして違わないだろうが、大きな違いは未来に希望が持てない
この現実の深刻さにあるように思える。
かつては自殺は罪だとさえ思っていた自分だが、今はとても責める気持ちにはなれない。
こんなに夢が持てない社会など誰も望んでいなかったはず。

一部の人間が大きな富を独占し、持たざる者はますます増え、抜け出ようにももう真っ暗でその方向さえ見えてこない。
経済成長を追求してきた結果がこれなのですか。もう方向転換しましょうよ。『金より命』『快適さより安心』です。
若い人達に夢を提示できる政治家が出て欲しい。若者達に一緒に未来を作ろうと手をさしのべられるリーダーの出現が望まれる。
いや、若者ばかりではない、我々のような老境に足を踏み入れた者だって夢を持ち続けていたいのです。
でもね、気をつけましょう。オバマのように口の上手い輩に騙されないように。そして肝に銘じましょう。
自分の頭でしっかり考える事、しっかり考えて選ぶこと、しっかり考えて行動することから未来への夢が生まれてくる事を。

今年の夏は過ごしやすいかも・・・   
6月15日(水)
冷房が苦手な私は、夏の通勤電車や、冷房が効きすぎた施設に長時間居ることが耐え難い苦痛なのだが、今年の夏はこの苦しさから
解放されるのではないかと、密かに楽しみにしている。昔から冷房が強いと身体の節々が痛み、時には頭痛に悩まされることもあった。
たぶん筋肉が縮こまって血の巡りが悪くなるので、そのような状態になってしまうのではないかと思われる。
屋外の強烈な暑さと室内のこれも強烈な寒さの極端な差が体調をおかしくするのです。

其れがこの夏は原発の停止で電力不足といわれ(本当かな)、節電が叫ばれているので、私には良い夏になりそうな予感が。
大してして暑くもないのに、強烈に冷房を聞かした車内は、私にはもう地獄なのです。通常の車両には乗らずにいつも弱冷車両に。
其れでも暫く乗っていると身体の芯が冷えてくる。JRに確かめると、冷房温度を出庫時に設定してあるので変えることが出来ないと言う
ことだった。なんて馬鹿な、と思いながらも我慢の夏を過ごしてきたのだが、今年はこの我慢をする必要はなさそうだ。

気温が上がってきたここ数日、クールビズとやらで、通勤電車の車内や出勤するサラリーマン達の人混みがやけに明るい印象。
そう、今まで背広を着ていた人達がシャツ姿のなったからだ。ラフな服装で身軽な様子、いいじゃあないですかこれで。
暑い夏に背広を着込んで冷房をがんがんに効かすなんて不自然も甚だしいですよね。OLさん達には冷房病で苦しんで居る人がとても
多かったとか。漸く当たり前の夏が戻ってきた訳です。薄着をすればいいのだし、しっかり汗をかくのは身体にも良いこと。
クーラーから排出される熱も和らぐだろうから、案外過ごしやすい夏になるのではないだろうかとさえ思う。
今年の夏がちょっと楽しみになってきた。このひと夏を経験すれば、電気供給量が少なくなったって充分やっていけるんじゃないかなあ。
やはり節電は原発を動かしたい東電はじめ、電力会社の脅しだったと証明されるかも。

またまた開いた口がふさがらない!   
6月11日(土)
朝日新聞にこんな記事が・・・
『東京電力福島第一原発が40年前、竜巻やハリケーンに備えて非常用発電機を地下に置く「米国式設計」をそのまま採用したため、
事故の被害が大きくなったことが関係者の証言でわかった。原発は10メートル以上の津波に襲われて水につかり、あっけなく全電源を失った。
風速100メートルに達する暴風が原発に襲いかかる。周辺の大木が根こそぎ吹き飛ばされ、ミサイルのように建屋の壁を突き破り、
非常用電源を破壊する――。1960年代初頭、米国ではこんな悪夢のシナリオを想定して原発の災害対策が練られた。
非常用発電機は原子炉建屋ほど壁が厚くない隣のタービン建屋に置かれた。「木のミサイル」から守るためにより安全なのは地下だった、
と東電関係者は解説する。米国ではハリケーンに男女の名前を交互に付ける。津波よりも身近な災害だ。

東電初の原発だった福島第一の1号機は、ゼネラル・エレクトリック(GE)など米国企業が工事を仕切った。
「東電は運転開始のキーをひねるだけ」という「フル・ターン・キー」と呼ばれる契約で、技術的課題は丸投げだったという。

 東芝や日立など国産メーカーの役割が増した2号機以降の設計も、ほぼ1号機を踏襲。津波など日米の自然災害の違いをふまえて見直す
余裕はなかった。旧通産省の元幹部は「米側の仕様書通りに造らないと安全を保証しないと言われ、言われるままに造った」と振り返る。』

地震や津波対策を疎かにして日本には殆ど発生しない竜巻やハリケーン対策用の設計を丸呑みだったなんて。
情けなや、アメリカの言いなりになって、東電や時の政府、学者達は自分の頭で安全について真剣に考えていなかったと言うことではないか。
こうなればアメリカにも責任を取ってもらいましょうよ。何が友達作戦ですか。自分たちの不都合を隠したかっただけでは。
福島以外の原発はどうなっているのだろうか。その辺りは国情に合わせてきちんと考え直して作ってあるのでしょうね。
いつになったら日本はアメリカにちゃんとものが言えるようになるのだろうか。
こんな愚かな事実があったなんて・・・、まさかもうこれ以上出てこないだろうね、東電さん。口が開きっぱなしで閉じなくなってしまうよ。


夢ではなかったよね。   6月10日(金)
半年も舞台に立てなかったのに、この一週間足らずに3回もなんて。昨日は愛知県豊田市で行われた、愛知県おやこ劇場連絡会の
全体会後に企画して下さった舞台でした。昨年『幻の蝶』を例会作品として取り上げて下さった知多の『やまももおやこ劇場』の皆さんを
中心に、県全体に声を掛けて下さって実現した公演でした。
本当に有り難いことです。私の作品は気軽に見て頂ける作品ばかりではありません。無条件に笑える作品もそんなにないかも。
むしろ頭をひねったり、哀しくなったり、切なくなったりと客席に座っていても、場合によっては居心地が良くない作品も多いかと思います。
そんな私の舞台を「是非見て」といって下さる方がいる。嬉しいです。その事だけで元気が出てきますね。

全体会後、昼食を挟んで私の舞台。久しぶりの再会もあったでしょう、開演前の客席はまるで女子校の集まりのように、楽しそうな会話が
止めどなく続いていて、幾つになっても女の人は一緒なんだなあと妙な感心。わいわいがやがやの客席が、本番開始をしらせるチャイムが
なったと思ったら、その瞬間水を打ったような静けさに。
いやあその豹変ぶりにびっくりしながら、余りの静けさに急に緊張が高まってしまいました。
舞台に立つことが当たり前のように心のどこかで思い、良い舞台を見せよう、こんな風に見せたいなど余分な意識が時にあったのですが、
今回ばかりはそのような気持ちはどこかに飛び散り、ただただ純粋に舞台に立てる嬉しさだけで演じていました。
そんな思いで演じたからでしょうか客席の空気も温かく、作品に応じた心地よい反応で劇場全体がひとつになれた舞台になりました。
アンコールも含めて予定時間をかなりオーバーしましたが、まだまだずーっと演じていたいと、そんな思いで舞台を終えました。

終演後、延原さんと共にお客様とのトークセッション。単なる舞台についての感想ばかりではなく、日々の生活、子育て、自らが抱えている
問題にまで話が及んだ、中身の濃い時間でした。
それにしても半年近くの間待ちに待った三回の舞台が一気に終わってしまい、今は充足感と共に何ともいえない寂しさが。
もう少し日を離してくれたらこの楽しさをゆっくり味わえたのにと思うとちょっと残念な気も。

この夜は一人名古屋に残り友人宅に一晩泊めて頂いたのですが、丁度姫蛍の最盛期と言うことで蛍狩りと相成り、姫蛍が一番活動する
時間だというので、11時頃から夜半の1時過ぎまで、何と2時間の蛍見物。早起きして、しかも1時間半の舞台とトークを終えた身体には
足元がおぼつかなくなるほどのハードな時間でしたが、暗闇に点滅する幻想的なショウでした。
今日は一日寝不足で頭がぼーっとしたまま。何だかこの一週間足らずの日々は夢だったのではないかと思われるのですが、夢ではないよね。
愛知の皆さん、有り難うございました。また会いましょう!!お元気で。

嬉しかった!    
6月6日(月)
年の初めから仕事のキャンセルが続き、なんて言うとさぞ何本もと思われるでしょうが、実はもともと少なかったのでほんの少しです。
ここ数年の不況の影響もあったのでしょうが、舞台の話がすっかりなくなって今回ばかりは心底滅入っていました。
私のマイムは結局今の時代には求められていないのだろう。いや、もともと大したことがないのに自分を買いかぶりすぎていたのだ、
などなどこれではいかんと思いつつ、落ち込んでいくばかりでした。
そこに大震災でもうどん底状態に。正直どうやって生きて行こうかと悩む日々でした。
兎に角何か動かなくてはと、劇団道化さんにレッスンの講師で呼んで頂いたのを良い機にして、杷木の友人にお願いして夏の家族での
巡業に力を貸して頂く様にお願いに言ったのです。その場で4カ所も決めて頂き一気に元気を回復して帰宅しました。
舞台がなくなっては陸に上がったカッパです。何と言っても舞台に立てなくてはどうにもなりませんね。

そんな状況で気づいたら半年近く経っていました。一昨日4日に、何と約半年ぶりに舞台に立ちました。
高校の同窓会で呼んで下さったのです。有り難いことでした。
久しぶりの舞台に数日前から妙な緊張で、稽古をしていても落ち着かず、ちゃんと演じきれるか不安な中で本番の日を迎えたのです。
朝から会場に入り、照明の仕込みや会場作りをしたのですが、不思議なもので舞台が整っていく内に次第に落ち着き、半年ぶりという
不安もいつの間にか消え失せ、気持ちよく舞台に立つことが出来ました。
嬉しかった、兎に角嬉しかったですねえ。マイムをする楽しさを思う存分味わいながら演じました。
同級生も何人か来てくれて久しぶりに再会が出来たこと、そしてなんと高校時代に密かに思いを寄せていた下級生も来てくれていたの
でした。45,6年ぶりかなあ。やはり今も変わらずとても素敵でした。

そして昨日は青梅舞台芸術フェスティバル。何と二日続けて舞台に立てるなんて。舞台が元気をくれました。
これで漸くどん底から這い上がるエネルギーの充電が出来ました。
さて明後日は愛知県のおやこ劇場の方々に呼んで頂き、豊田で舞台です。舞台に立てなかった半年分の想いを込めて、演じる事を
楽しんできたいと思います。マイムが出来る幸せを改めて実感する日々です。
愛知の皆さん、お会いするのを楽しみにしています。


仙台に遷都なんてどんなものでしょう?  
6月3日(金)
被災地のの状況はもう三ヶ月になろうというのに回復が遅々として進まない中、政治屋達は相も変わらぬ権力争いに明け暮れる有様。
政治家はあくまでも税金から給料をもらい、国民のために働く使用人であることをすっかり忘れて、いや端からそんな風には思っていないか。
茶番劇の一幕は、大騒ぎしたあげくは予想通りの手打ちで幕が下りましたね。

兎に角民主も自民、その他の議員達には、被災地の人達への思いがまるでないとしか思えない。
立派な家に住み、美味しいものを食べ、高級な服に身を包みでは解ろうはずもないか。
そこでこんな事を考えました。いっそ日本の首都を仙台に移してはどうかと。
九州から始まり、関西、東京都移ってきたのだから、次は仙台というのは流れとしてもふさわしいではないですか。
政治の中枢機能は仙台に、経済は東京、文化は関西、アジアとの交流は九州にと、それぞれ分散させる。
今日のように交通機関が充実し、インターネットの格段の進歩により情報はどこにいても同じように共有できる。
もう全てを東京一極に集中させておく必要などないでしょう。いやむしろ一極集中による害はあっても、利はないと思うのです。
30年以内に関東、東海で大地震が必ず起きると予測されているのだから、一刻も早く首都の機能を移すべきだ。

もし今回の東日本大地震と同程度の地震が起きれば、首都は大混乱になること間違い無しです。
その上、どこかの原発にもしもの事があれば、あらゆる面で機能が麻痺してしまうでしょう。
東北の復旧が進まない今、仙台に近い石巻辺りをしっかり整備して首都にする。
その為には向こう何年かかかるでしょうが、東北地方を活性化させる上で大きな効果があるでしょう。
人口が増え、関連企業が移転し、雇用は格段に増す。
そして東京はこの過密状態から抜け出すことが出来るのです。交通渋滞はなくなる、ラッシュのあの混雑からも解放される、
住宅が余るので家賃も下がり、当然物価も下がるでしょう。人が少なくなった分、空間にゆとりが出来、あの地獄のような夏の暑さも
ぐーんと凌ぎやすくなるでしょう。東京はさぞかし住みやすい街になると思うのです。
そうだ、我々には東北での仕事も増えるかも知れない。なんだかこう考えていくと良いことづくめ。
どなたか何か悪いことでもあったら教えて下さい。

原発は誘致以外に経済が成り立たないことから、福島を始め過疎の地に乱立することになった。これは米軍基地の問題も同じ。
政治家や役人達が東北に住むことで、彼らにもそれらに共通する問題の根が見えて来るだろう。
遷都へ向けての準備期間、そして遷都後も多くの人は福島を通ることになろうから、厭が上でも原発の諸問題にも関わらざるを得なくなる。
まだ手つかず状態でいる今がチャンスなのではないでしょうか。
この数日、こんな事を真剣に考えているのですが如何な物でしょう。

追記:でも仙台や釜石の人達にとっては迷惑かも知れないですね。折角ゆったりとした生活が出来ているのにそんなものは持ってきて
欲しくないと言われるかも知れないなあ。ましてや今のような国会ではね。(6/4)


ゴミは誰が処分するのか?   5月20日(金)
とりあえず浜岡は停まったけれど、全国の原発にため込んでいる核廃棄物の処理はどうするつもりなのだろう。
普通のゴミ処理場でさえいざ建設となるとすったもんだある。日の出のゴミ処理場も大反対の末に作られている。
原発のゴミの引き受け手がいないのは当たり前。誰だってあんな危険なものが身近に来るとなれば大反対でしょう。
例によって推進派は絶対安全のとしか言わないが、この事故があった今となってはますます処理場の建設は困難になる。

でもこうしている今も廃棄物はどんどん増えている訳ですよね。もし全ての原発が廃棄となったとしても、まだ何十年はゴミが出続ける訳です。
ゴミ処理の対策が全く立っていないというのに、次から次ぎに原発を増やし稼働してきた電力会社や政治家、財界人の良識とは。
ドイツが原発から撤退した一番の理由はこのゴミ処理の問題が解決しなかったからだそう。日本はこれをきちんと考えてこなかった。
さあ、このゴミどうしたものでしょう。とりあえず過去から現在の推進派の人々の家で少しずつ分けて管理してもらいましょうか。

当たり前に考えると、自分が出したゴミは自分で処分するのが常識でしょう。東京で消費した分は東京が引き取る。
安全であるなら尚更です。さてどこに埋めるかですが、液状化を起こした地域を買い上げて処理場にするとか、国会議事堂の下を掘り下げて
埋めるなんて言うのもあって良いかもしれない。兎に角何もかにも地方に押しつけてしまうのはとんでも無いことです。
其れが出来ないのならば、やはり速やかに停止して、まずはゴミ処理対策に全力を傾けなければ。
原発を動かすのならば、必ず出るこのゴミの処分に解決がついてからでしょう。

そうオーストリアは終戦後中立宣言をし、ずっと核を持たないことを国是としてきたそうだ。ところが石油ショックの時に原発を作ってしまった。
ところがここがすごい。出来上がった時に市民が立ち上がり、このまま稼働させるかどうかを国民投票で決めることにした。
結果は50.5%が反対して出来上がった原発は動かさないことになった。5000億近くかけて作られた原発は結局全く使われないままになった。
その原発は今、屋根や壁面に太陽光パネル1000枚を貼り付けて太陽光発電所となっているそうだ。
日本が学ぶべき格好のモデルがここにあるではないですか。


何も学んでいないのか。 5月19日(木)
どうせそうだろうと思っていたが、やはり東電は情報を隠していた。同時に東電は何も学んでいなかったと言わざるを得ない。
改めて公表されたデーターからは多くの人達が危惧していた最悪の事態が既に起きていたことが報告された。

福島原発の大規模な損傷は想定外の地震・津波によるもの。この想定外ということは、一部の学者や市民を除く殆ど全ての国民が
そう考えていたのだから、東電だけを責める訳にはいかない。勿論これほどに危険な原発であることを知りながら想定してこなかったことは、
どう言い訳をしようと許されるものでは無い。
同時にその原発を受け入れ、また黙認してきた我々も同様に想定していなかったのだから、その責から逃れることは出来ない。
だが既に起きてしまったことを後からいくら責めても取り返しはつかないのだから、我々はこの事態をこれ以上悪くしないためにどうすべきか
を考えなくてはいけない。

私は残念ながら原発の専門知識がなく、学者やジャーナリストなど専門家の意見を読み聞きながら、自分なりの考えを模索してきた。
事故後の経過を追い続け、素人の私でも当初の東電が発表した修復に向けての行程には無理を感じていた。とても6〜9ヶ月で安定させることなど
無理なのではないかと。また何人もの学者、原発を推進してきた学者達までもが最悪の状況が起きている可能性を指摘していた。
想定外のことが起きた結果の大惨事、ならばどうして東電は復旧に向けての現状把握について、考えられる限りの最悪の状況を想定しなかったのか。
原子力委員会、安全委員会、安全保安院等々にの委員達は一体何をチェックしてきたのか。
考えられないほど劣悪な状況の中、原発の現場で命の危険にさらされながら、日夜必死の作業を続けている作業員達のこれまでの尽力を全て無にして
しまうような事を繰り返したのか。新たな対処法を試みる?ならばこの二ヶ月の作業は何だったのか。
始めから最悪のシナリオを作成し、それに沿って対応していれば少しは状況が進展、好転していたかも知れない。

もうこれ以上『想定外』があってはならない。浜岡同様、危険な原発を直ちに停めることは当然だろう。
そしてその他の原発についても、まずは最悪の事態を想定し、改めてどのように対応していくかを考えるのが今採るべき道だと思う。

それにしても今日の新聞によると、青森県の地方選挙では反原発を訴えた人が落選したそうだ。
また4月21日に下北半島の6商工会は東京電力の事務所を訪れ、原発推進の工事を再開するように要望を出したそうだ。
巨額の交付金頼みのこの地方の自治体には原発しか頼れるものがないと思い込んでいるようだ。
この様な事態が起きてもまだ推進なのか、誘致なのかと暗澹とした想いになるが、それほどまでに地方と中央の格差が広がっていると言うことだ。
原発に頼らずに生きていける道を、みなで考えて住人を納得させることが出来なければ、本当に安心できる社会を作り上げることは困難になる。


正義って?   
5月2日(月)
オサマ・ビンラディンが米海軍特殊部隊と中央情報局の軍事部門によって殺害されたニュースに、いい知れぬ不快感を覚える。
私は決してアルカイダを支持するものでは無いし、また多くの犠牲者を出した9.11テロは決して支持しない。
だが考えてみなければいけないことがある。何故彼らはあのようなテロを起こさざるを得なかったのかだ。
大国の都合に翻弄され、経済格差や貧困に苦しみ、圧倒的な軍事力の差にまともに戦うことも出来ず、どうにもならなかった国々。
一般人も巻き込む無差別テロという手段は決して認めることは出来ないが、ならばどういう道があったかと言えば私には答えは見つからない。

しかも9.11の時に米当局は、第二次世界大戦日米開戦の引き金となった真珠湾同様、事前に知っていて敢えてやらせたという疑いも消えていない。
9.11の真相が全く解明されていないというのに、何故身柄の拘束ではなく問答無用の殺害なのか?
裁判を通して真相を明らかにするのが筋だろう。米国には知られたくない何かがあったのではないかとさえ勘ぐりたくなる。

ソ連のアフガン侵攻に立ち向かったタリバンを支援した米国、やがて湾岸戦争によりそのタリバンは米国に対して敵対する。
全ては大国の身勝手な行動が引き起こしたことだ。都合が悪くなるとどこへでも乗り込んで相手を徹底的に痛めつける。
自らが信じる正義以外は認めようとしない米国のやり方には納得がいかない。
その米国の正義のために今までにいかに多くの理不尽な戦争が引き起こされ、多くの一般人の命が失われたことか。

しかも他国に乗り込んでの勝手仕放題は、どう考えても納得いかない。。
仮に日本国内に米当局が狙うテロ容疑者が潜伏していて、今回同様米特殊部隊によって殺害されたとしたら、日本政府はどのように反応しただろうか?
或いは米本土にロシアの特殊部隊が入り、ロシアに敵対する組織のテロリストを殺害したとしたら米政府は何というか?
正義が達成されたなどとは決して言わないだろう。

既に昨年の8月にはビンラディンの潜伏していた家は特定されていたと言うではないか。何故今なのか。
オバマが急落している支持率の挽回を狙ったパフォーマンスとしか考えられない。
彼は殺害指示を出した後、実行された当日の昼間にはゴルフに出掛けていたとか。人を殺害する指示を出してゴルフに出掛けるという神経が恐ろしい。
また国旗を振りかざして狂喜乱舞している米国民にも恐ろしいものを感じる。
世界で最強の国だという彼らの傲慢さは、また何時の日か同じような悲劇を生み出すことだろう。
米国を始めとする大国が相変わらずこの様な意識を持つ限り、テロは決してなくなることはないだろうと思う。

ビンラディンの息子(何歳になるのか)も殺害されたそうだ。
リビアでは北大西洋条約機構(NATO)軍の空爆でカダフィの息子や孫も殺された。
どちらも非難されて当然のことをしてきたのだが、それにしても力に任せて押しつぶしていく大国の振る舞いには今一つ共感できない。

改めて9.11の犠牲者や、これまで米国を始めとする大国が仕掛けた戦いで巻き添えとなった多くの犠牲者の冥福を祈ります。


物の見方    4月26日(火)
私はどうも若い時から人の意見をしっかり聞かない傾向にあったように思う。自分と違う意見を聞き入れない頑なさで、ずいぶん他人を
不愉快な気持ちにさせてきたことだろう。自分の信念を曲げないと言えば格好良いが、裏を返せば頑迷だったともいえる訳です。
ただこの頑なさがあったからこれまで続けてこられたのかなあとも思うのです。
「誰がなんて言おうが自分が選んだ道だからこれで良い。」其れがエネルギーになっていたこと事実でしょう。
でもやはりこんな性格のために、自分では気づかぬうちにずいぶんと損をしたこともあるのでしょうね。
まあ最近は年を重ねて、少しは他人様の意見も聞けるようになったかなあとは思いますが・・・。

相変わらずに収束の目処が立たない原発に関しての私の立場はやはり「脱原発、反原発」です。私の周囲にも同じ立場の方が多いので、
入ってくる情報は当然その立場からの視線で言われている意見が多くなりますよね。ですから私の思いはどんどんと一方的に固められて
いくのです。これがただ頑なに思い込んでいるのだとしたらとても脆弱ですね。柔軟性がないというのは、ちょっとした強い力に対してすぐに
折れてしまう危うさを持っています。反対の考えにしっかりと答えることが出来るようにするには、やはり相手の考えを吸収できる柔軟さが必要
でしょう。という訳で原発についてもいろいろな意見を聞いて行かなくてはいけないなあと思うのです。
色眼鏡で見ると本当の色が見えないのと同じです。先入観を捨てて物事を見る事を、今は大切にしないといけないなあと思うのです。
いかなる時でもただの感情や、時流の流れに飲み込まれないようにしないといけませんね。

そのような気持ちで原発推進してきた人の本も読んでみました。
「原発は安全だが安心ではない」原発のことを十分に理解し、きっちり管理できる人材さえあれば安心だというのですが、結局は人間がすること。
どんなに大丈夫だと言われても、やはり納得は出来ないですね。それは万が一のミスによって引き起こされるリスクが余りにも大きいからです。
ならば万が一を考えなくても良い道を選ぶべきではないでしょうか。


その気になれば出来るじゃないですか!!       4月22日(金)
暗いニュースや、厭なニュースばかりでうんざりしていたのですが、今日は良いニュースを見つけましたよ。
ネットの朝日新聞ニュースに風力発電、太陽光発電についてこんな記事がありました。
何だか光明が差し込んできたようで嬉しいです。でもこの試算を本当に信じて良いのかなあ・・・。
いつものように何か裏にあるのではないかと疑い深くもなりますが、ここは信じたいという気持ちで環境省に試算を。

ひとつは風力発電に関しての環境省の試算をしたところ、低い稼働率を考慮しても、最大で原発40基分の発電量が見込める結果だ出たそうです。
環境省は震災の復興にあたり、風力発電を含めた自然エネルギーの導入を提案していくそうだ。
http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201104210510.html
これまでこういう試算が為されてこなかったのかとびっくりですが、もう腹を立てるよりも政府がこの様な試算を公表したことを今は素直に喜びたい
ですね。やれば出来るんじゃあないですか。これに太陽光や、水力、バイオエネルギーなどを真剣に研究していけば原発が無くても十二分に
やっていけるのです。各電力会社やメーカーも、まさかこれでも原発にこだわる訳にはいかないでしょう。
原発を開発するために、安全なエネルギーの開発への努力を怠ってきたかと言うことです。

そしてもうひとつは太陽光発電に関する記事で,岩手県葛巻町と、私の住む青梅の隣・羽村市の小学校の話です。

http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001104210003

http://www.asahi.com/areanews/tokyo/TKY201104180507.html?ref=reca

羽村の場合はPTAの努力でパネルの設置が実現したそうですが、こんなに安くできるんだったら日本全国の学校で取り組む事です。
東電も補助金を出したようですが、これくらいのお金ならばどんどん出して普及に積極的に取り組めば、地に落ちた東電のイメージも回復する
でしょう。但し発電量は極少ないのですが。
でも、今後のエネルギー問題に希望が見えてたようで、私は何だかいっぺんに元気になった気がします。
まだ紆余曲折はあるでしょうから、こう簡単に喜ぶのは余りにも単純すぎるでしょうか?

でもこの様な時に青梅では小学校全校の教室に冷房を設置するそうです。青梅は涼しいのですよ。
我が家はずーっとクーラー無しで夏を過ごしています。しかも学校は7月末から夏休み。
其れよりもそのお金で、羽村のように太陽光発電のパネルを設置すれば子どもたちのエネルギーに対する意識も変わるでしょうし、
クーラーで身体を冷やすよりも健康上もずっと良いはずです。今からでも考え直して欲しいものです。


我が家の計画停電     
4月18日(月)
 「人の噂も七十五日」「のど元過ぎれば熱さ忘れる」我々は本当に忘れやすい生き物です。計画停電が中止になってもう三週間くらい
でしょうか。あれほど節電に努め、電気のありがたさを噛みしめていたのに、停電が亡くなってまだ大して時間が過ぎていないというのに、
以前のように電気を付けっぱなしでいたり、電気がつくことが当たり前のように感じている自分がいる。
街に出てももう既に何事もなかったかのように思える雰囲気を感じる時がある。
こんな状態がもう少し続くと、全てが遠い記憶のようになってしまいそうな自分に恐ろしさを覚えます。
 
 原発から脱した生活をするべきだと言いながら、自分がこんな状態ではどうにもならんということで、我が家は月に一回計画停電を実施
することにした。毎月11日にとも思ったが、曜日によっては全員揃わない可能性もあり、地震があった第二金曜日に実施する
ことにしました。初回は今月15日(実は気づいたら第三金曜日でした)に二時間ブレイカーを落として電気を消した。
あのときのように真っ暗な中でランプの火を灯し、テレビ無しの静かな夜は、改めて自分たちの目を覚ます良い時間となった。
我々がこのままぼけてしまったら其れこそ原発推進派の思うつぼ。彼らはほとぼりが冷めた頃合いを見計らって、必ず再び原発を作り出す
事は間違いがない。現に東芝の社長は今にも作りたそうなことを言っているのだから。

皆さんも忘れないように気をつけて下さいね。兎に角自分たちができる事を、小さな事でも一つ一つと思うのです。
そうそう、福島原発は全て鹿島建設の施工によって建設された。津波で簡単に水が入ってしまうような建物を作った鹿島建設にも、原発メーカー
と共に当然賠償責任があると思うのですが・・・

この様な時に何ということか・・・いざとなったら東芝製品不買運動をしましょう。 4月15日(金)
東芝の佐々木則夫社長は、これほど多くの国民が不安を胸に原発事故の推移を見守っている時に、今後も原発の推進を進めると
発言した(4/15朝日)。事故から一ヶ月が過ぎたというのに、収束の道筋も見えず手が付けられないほどに暴れている原発、どなたが
作ったのでしょう。東芝さん、貴方たちが作った原発ではないですか!!(3、5号機が東芝、4号機は日立、1,2、6号機はGE)

東芝の福島原発の廃炉案では、一般的には30年と言われる廃炉への期間を、自分たちの技術なら10年半で可能と豪語した。
技術的に最短のものを示したそうだが、「最初に30年と言ってしまうと短くできないからだ」という何とも理解できない理屈で。
今は一人東電が矢面に立たされているが、東芝さん、貴方も同罪でしょう。推進を言うなら見事この事態を収束させてからではないのか。
作った責任を取って10年半で是非ともやり遂げて下さい。同様に日立、GEにも要求するべきです。

また被災者への賠償もしかり。福島の被害は今後数十年間続くでしょう。東電だけでは到底賠償しきれないと思われる。
東電は開発に関わった現・旧役員・首脳陣の報酬全面カット、退職金等の返済等をした上で最大限の賠償をし、同時に責任メーカーにも
賠償を負担させるのが筋ではないか。
佐々木社長のインタビューにはメーカーとしての責任感は全く感じられず、ただ儲けることしか頭にないように見えた。
原発による発電は最もコストが低いという謳い文句だが、稼働を停めてから廃炉にするまでに何十年間も見守らなくてはならず、しかも
今回のような事が起きれば莫大な費用が掛かる。コスト的にはまるで割が合わないはず。
「我々はいち早く安全且つクリーンな太陽光発電などの開発に方向転換する」なんて言って欲しかった。
このまま東芝が開発を進めようというなら、我々は東芝製品の不買運動などで対抗することも考えましょう。
         福島第一原発

本当の力   
4月11日(月)
何故こうも自分の気持ちをはっきり言えない世の中になってしまったのだろうか。内心では『こんな事をしてはいけない』『自分は反対』
『其れは間違っている』と思っていても、其れを口に出せずに飲み込んでしまう。
『長いものには巻かれろ』『波風を立てない』『周りと協調してやる』、どれも無難に時間を流していく方法。
何で、いつから日本人はこんなに温和しくなってしまったのか。勿論自分の反省も込めてです。
このもの言わぬことで、どれほど世の中がおかしな方向に進んでしまったことか。
原発はそんな我々がここまで作ってきてしまったのです。

あちこちで反原発運動が起きていたが、認められなかったり、結局は受け入れたりで殆どは建設を許してきてしまった。
でも、いくつかは住民達の粘り強い意思表示で頓挫させることが出来し、山口県の上関原発は地元の漁師や島人の強い反対の中で
これまで着工できずにきた。この違いはどこから来るのだろう。
そんなことを考えていてふと思ったのは、戦後多くの人々は自分の身体を張って生計を立てることを止め、企業や大きな組織に入っていった。
宮仕えです。経済成長が華々しかった時、豊かな生活、きれいで便利で快適な生活を手に入れてしまった人達は、すっかり牙を抜かれ、
腑抜けにされてしまった。役人、会社員ばかりではない。多くの教師も学生も、スポーツマンも、芸人も、政治家も誰も彼もが。
獲得した豊かさを失いたくないばかりに保身に走る。だから違うと解っていてもいわないで飲みこんでしまう。
方や汗と泥にまみれ、自分の身体ひとつで稼いできた人達には遠慮はない。誰にへつらう必要もないのだから、自分が間違っていると思う事は
堂々と言えるのだ。これが上関原発をこれまで阻止してきた力ではないだろうか。
本当の力は自分でリスクを引き受け、またリスクをバネに立つことが出来る人に備わるのだろう。

あ〜ぁ、また四年間・・・   
4月10日(日))
何と言うことですか!!覚悟はしていたとはいえ、またこれからの四年間、この人の傲慢な顔、言葉を見聞きしなくてはならないなんて。
もう何だか空しくなるような気持ちです。
排ガス規制、これは良いことでした。二重丸です。でもオリンピック招致、新銀行東京、築地移転問題、そして今度の原発推進発言
はどうにも認める訳にはいきません。ただ電力の浪費の象徴『パチンコ屋』と『自販機』について無駄だと指摘したことも評価しましょう。
ならばもう一声、都を上げて電力消費を抑えることに取り組み、原発無しでやっていく道を探ろうと言えたら良かったのに。
今までの言動を見ればそんなことは当然言う訳がないですがね。

石原さん、貴方はもう78歳。経済的にも、環境問題にしてもとても厳しい時期。オリンピックはまず無理ですよね。
銀行もこう経済が壊れている今どうなる事やら。これからは貴方の思うようにはいかないでしょう。
それよりも貴方が推進しようとしている原発でとんでもないことが起きるかも知れない。
どうぞそんな時にしっかり対応できる体力を付けておいて下さるように願います。


この様なことが起きているこの国です。
  4月5日(火)
友人からこの様なメールが届きました。
『20110403;15:08 YAHOOは勝手に削除しました                 
驚きました。 呆れました。 情けないです。 
YAHOOの時事通信の原発関連記事に15件程に分けて投稿しました。
数件には50人程以上が賛同。 どの記事にも、少なくとも15件以上の賛同者が記録されていました。
その記事の中でも重要な賛同者の多い記事から、勝手にYAHOOは削除してしまいました。
それだけならまだしも、私のパソコンとアドレスに、投稿制限をかけ、一切の投稿ができなくしました。
YAHOO、時事通信とは、その程度の腐りきったメディアたることを暴露しました。』

そこで私はこの様な返事を出しました。
『Kさん、何という世の中でしょうか!
マスコミ、或いはそれに追従する情報産業は、スポンサーが離れるのを恐れる余り、この様な情報操作までしてしまう。
許せないことです。

平井さんの手記は、事故からすぐ後に友人が送ってくれたので読みました。今の東電の対応見聞きするにつけ、あの手記の
正しいことが証明されていきます。東電や原発をここまで推進してきた自民党の政治家達、また其れをそのまま引き継いでしまった
民主党の政治家もでしょう、一刻も早く口を塞ぎたいのでしょうね。

平井さんの記事は私のホームページからもリンクしてあります。既に何人かの人たちが見てくれています。
どんなに口を塞ごうとしても塞ぎきることは出来ない。そしてそのような愚挙に出れば出るほど、自らの過ちを認めることになるのです。

都知事は石原が優勢だとか。東京都民の意識はどうなっているのか、もう絶望的に思えます。数日前からこんなポスターを目にしました。
「東京から日本を救おう」
自民党の掲示板に貼られていたので自民が作った物でしょう。私達が作り上げた浪費社会の象徴『東京』から日本を救おうと言うこと
なのでしょうか。ならばこれまでの罪滅ぼしに誠心誠意努力を尽くして欲しいものです。
まさか「今回の原発事故の元になった東京が日本を救う」なんて、そんな無神経なことを行っている訳はないですよね。
こんな驕り高ぶった意識を持った連中が、戦後60数年この国を好き勝手にしてきたのです。
私も出来ることから言い続けていこうと思います。』

送られてきたメールの記事は私の「原発を考える」にもある平井さんの手記です。
都知事は原発推進に待ったを掛ける人を選ばなくては。東京で浪費する電気を供給する原発であの事故が起きたのですから。
四選なんてとんでもない!!

■オバマに失望   3月31日(木)
今更と言われるかも知れないが、最近のオバマ大統領の姿勢に失望することが多い。
福島原発事故を受けた昨日30日の発言に、「世界の石油埋蔵量の2%しかない米国が、世界生産量の25%を消費している」と戒め、
「今後は中東からの石油依存から脱し、しかも地球温暖化対策に寄与することから、原子力発電の推進を維持する」との演説を行った。
オバマさん、それはどこか違うのではないですか?
世界の埋蔵量の4分の一も浪費するような社会からの脱却をこそ、彼が米国民に対して訴えなくてはいけないことではないか。
原発開発業界から余程支援を受けているのではないかと思われる今回の発言は、アフガンの手詰まり状態を招いていることと共に、
彼への期待を一気に萎ませてしまいました。落ちた偶像、そんな感じです。


■震災後の東京
23日、約2週間ぶりに都心に出掛けた。何しろ青梅は陸の孤島状態が続き、電車は運行されたかと思うとすぐに運休、
車で移動しようにもガソリンがない。それに加えて計画停電になると道路の信号も点かないので、怖くてとても運転する気になれない。
そんな訳でこの期間、殆どを家で過ごす羽目になった。まあ、学校は春休みの最中だし、幸か不幸か仕事は全くない状態だったので、
倉庫や部屋の整理をしたり、これからの生活のことを思い巡らしたりと、それなりに有効な時間ではあった。

さて久しぶりの都心は、青梅のように電車が止まることもなく、23区内や中央線の沿線沿いは停電から免れているのだ。
何という差別、そして地域格差。この地域に住む人達は計画停電のことは知っているのだが、いかに大変かは実感がないので判って
いない人が多い。電気が消えると電車も道路も麻痺が大きくなるので、致し方ないと言えば致し方なし。
何となく納得のいかない想いで街を歩く。

午前中の打ち合わせを終えまず吉祥寺へ出る。
震災後、連絡がつかなくなった稽古場の状況を確かめに行く。
何と受付の方が放射能の汚染を恐れて新潟に帰ってしまわれたそうで、稽古場は暫く閉鎖となってしまった。
電気も電車も問題ないのにまさかこんな事になっているとは。
吉祥寺駅高架下のショッピング街はいつも通り営業をしているが、通路の照明を殆ど落としているので普段に比べるとかなり暗い。
各店内もいつもより暗めの照明で、始めは何となく寂しい雰囲気に思えたが、其れにもすぐになれて改めて眺めると、通路と店内の
明暗のバランスがとても良く、以前にない落ち着いた雰囲気がとても居心地よく思えだした。

そしてその後新宿に出る。その日は夜の朝日カルチャーまで何もなく、時間がたっぷり
空いてしまった。家に帰ろうと思ったが、計画停電で電車が止まる可能性があり、そうなると夜の稽古に出掛けられなくなるので、
そのまま新宿に向かった。レッスンの時間までまだだいぶ間がある。どうしようかと思いながら歩いていたら、足は知らず知らず
映画館に向かっていた。予定になかったのでとりあえず時間的に都合がよいと言うそれだけの理由でみたのが「GONZO」。
私は知らなかったが米国の有名なジャーナリストのドキュメンタリーでこれがなかなか強烈で面白かった。

映画館から出ると丁度良い時間になっていて、朝日カルチャーのある新宿住友ビルに向かう。
地下通路は会社から帰るサラリーマンやOLが足早に駅に向かっている。通路はもう殆ど電気を消していて暗い。
でもこれもまた何だか懐かしい感じが良いのだ。兎に角、夜でも昼間のように明るくと言うことがおかしいのだ。
やっと当たり前の明るさになったのだと思う。
カルチャーは先週いっぱい閉鎖してようやく再開したところ。交通手段が無く来られない人もいるだろうというので、その人には
授業料をお返しすることになり、それに合わせて我々講師のギャラも出席者の人数分だけに。
何でこっちにしわ寄せが来るのか、これも釈然としないままレッスンをする。
こんなことを言っては何だけれど、歩合制になってからぐんと下がってしまった講師料で、その上にまたでは下手をすれば足が出てしまう。
いずこでも弱い者いじめ。またまた状況は厳しさを増す。

でも久しぶりにみんなで身体を動かし、終わった後は恒例になっている飲み会に。飲み屋も客足が遠のいて何処も閑散としている。
今はどの商売も厳しいのだろうなあと思いつつ、心地よく寄って帰宅の途に。
青梅についてホッと一息。やはりここに帰ってくると心が安らぐのです。
いつもは暗く感じる青梅の街も、マンションの通路の灯りがやけに明るく感じられる。誰も通らないのに煌々とついている看板の電気。
あれも無駄だなあ、これも消せばよいのに、なんて思いながら家に戻ったのでした。


■覚悟をするという事   
3月26日(土)
福島原発事故による放射能汚染は日に日に拡大しています。人体への影響、特に子どもたちへの影響が、
何よりも心配なところです。空中に拡散し、風に乗って運ばれるのですから、出てしまった放射能を防ぐ手立てはもう無い訳です。
原発周辺地域は元より、数十キロ等という範囲で収まる物では無いでしょう。チェルノブイリの時にひどい汚染があったベラルーシの
被災地は100キロ以上〈正確な数字は判りません)離れていたのですから。そして数千キロも離れた日本でも汚染が報告されたのです。
このとき最も大きな問題になったのが政府による情報の隠蔽。
人々は放射能汚染の危険性を何も知らされず、いつものように畑に出て仕事をし、収穫した野菜や果物を食べ、そして子どもたちは
外に出て遊んでいたのです。

今回の日本はまだきちんと情報が知らされていると思いたいです。でも東電の対応を見聞きする度に、決して信用してはならないという
想いも強くなります。しっかりとした情報を隠すことなく正確に伝えて欲しい、東電が行わなくてははいけない最低限の義務でしょう。
土壌の汚染、海洋の汚染など、素人の私でさえ当初から当然起こる事態だと予測できたことです。なのに今になって様々な数値を上げて
安全だの危険だの言っていても始まらないことです。兎に角一刻も早く放射能が漏れ出る事態を収束して欲しいものです。

食物の汚染は何より心配。でも丹精込めて育てた野菜を廃棄しなければならない、また絞った原乳をその場で土に流さなくてはいけない、
農家の人や酪農家の人にとってこれほど辛いことはないと思う。
言われている数値は高いけれど、こんな事は出来ないかと暴論と言われるかも知れないが考えました。

野菜も牛乳も廃棄しないで、汚染されていないところで作られた物とブレンドするのです。ホウレン草なら翌水洗いをすれば汚染度は
半減するそうじゃあないですか。それに安全なホウレン草と半々にする。こうすれば汚染度は4分の一。心配ならブレンドの割合を
変えればいいのです。牛乳もしかり。小さな子どもには安全な野菜を食べさせ、大人はブレンドものを食べる。
ましてや私のように60を過ぎた者には、死ぬまで何ら影響はないでしょう。

今は覚悟をする時です。
この狭い日本で生きて行くなら、与えられた環境でいかに危険を少なくしていくかだと思いますが如何なものでしょうか?




■友人へのメールより転載   3月26日

◆大阪のKさんに

逃げろや逃げろ、これも道。またこの事態を覚悟して受け止めて、この中でいかに生き抜くかもまた道かと。
放射能汚染はますます深刻ですね。チェルノブイリ事故後10年も経ったベラルーシでは、至る所立ち入り禁止でした。
福島原発の周囲は間違いなく立ち入り禁止区域として、今後何十年も封鎖されることでしょう。

問題はこども達ですね。一緒にベラルーシに行った音楽ミュージシャンの友人(フルートのうえの善己さん)とも、
われわれは大変な負の遺産を後世に残してしまったと語り合っています。

原子力に代わる安全でクリーンで安価なエネルギーの開発は、原子力開発に向けた情熱、叡智を結集させれば、
日本の優れた技術であれば必ず実現させることが出来ると思います。
ほんとうにこれを機会にそんなことが実現するとすれば、何と素晴らしいことかと思います。

今回は想定外の出来事だった、という言葉を繰り返し聞かされます。
人生ってもともと全てが想定外の出来事で成り立っているのではないでしょうか。
第一想定内の人生なんていかに味気ないでしょう。
46億年生きてきた地球、たった数万年の人間の知識で全てが想定できると思い込んでいたなんて何と愚かなことか。

今日の朝日新聞の読者からの投稿にありました。
東電の原発安全をアピールするセンター〈正式名称は判りません)を見学に訪れた少年の話です。
見学に訪れて散々安全性をPRされた後、案内係の女性の『何か質問はありますか?』という言葉に少年が尋ねました。

「これが壊れたらどうするのですか?」『その時はこれがあるから大丈夫です』
「ならそれがこわれたら?」『その時はこれが動くので安全です』
「じゃあ、それもこわれたら?」。
繰り返される質問に、とうとう案内係の女性は怒り出して『そんなことは絶対起こりません!』と言ったそうな。

そんなことが起きてしまいましたね。

◆京都のMさんに

度々情報を送って頂きながらご返事も差し上げずに失礼をしました。
政府、東電の発表がどれほど信頼できるものか、またこんなにもいたのかと言うほど日替わりで登場する原子力専門家の
教授達の通り一遍の解説。このレベルならば危険ではないと言われても、既に地上に降り注いでしまった放射能は半永久的に
消えない訳ですよね。またMさんが危惧されたように,放水した水は海に流れたり地中に浸透していくしかないのですから、
いずれ水の汚染や海の汚染が問題になるでしょう。当然魚介類や海藻などの水産物,また農地の汚染〈既に現実に〉による
農産物や酪農製品にも、一生どころか、半永久的に影響が出る訳ですね。

十数年前に、チェルノブイリ原発事故10年目を迎えたベラルーシに行く機会を得ました。
青い空、澄んだ川、何処までも続くのどかな田園。
美しい白樺林の道を車で走りながら、本当にここが放射能で汚染されているのかと,信じられない思いで風景を眺めていました。
しかしその美しい白樺林のあちこちに鉄条網が巡らされ、髑髏の標識が立っていたのです。
10年過ぎてさえ汚染度が高く立ち入りを禁止されている。

出会った何人もの子どもたちが、初夏というのにタートルネックのシャツを着ているのでどうしてかと思えば、
放射能を浴びたことからの甲状腺障害で手術を余儀なくされ,そのため引きつったように残った傷跡を隠すためだったのです。

でも生まれ育った地を離れて暮らすことは出来ないと、多くの住民は自らの故郷で生きることを選択したのです。
小さな子どもたちが自分は大人になるまで生きていられるのだろうか、又もし結婚した時に元気な子どもを産むことが出来るだろうか、
と本当に悲痛な不安を抱えていました。

そんな状況を見てきたのに口先でしか原発反対を言わず、しかもこの過剰に電力頼みの生活を甘受してきたことに、
後悔しても仕切れない思いです。チェルノブイリは陸地の真ん中、四方は何処までも広い大陸にあった。
一方福島は太平洋に面した海岸沿い〈この立地条件が今回の被害を生んだ訳ですが〉。
人の生活する範囲か半分で済んだことがせめてもの救いです。

放射能は遠いから安全とはいえません。其れはチェルノブイリもそうでした。
風に乗って運ばれ、偶々雨や雪が降ればその地に降り注ぐ訳です。
狭い日本ならば風向きによっては当然東京は元より日本中が範囲に入ってしまうのではないでしょうか?
数十キロ圏に住まわれている方は,これはもう速座に移動するべきだと思いますが、私はベラルーシの多くの人達のように
この状況を覚悟して受け止めて生きて行くしかないなあと思っています。
専門家の多くが言うように,可能な限りの対策を講じながら。

ベラルーシの場合は情報の一切が隠蔽されて、人々はいつものように森に入ってキノコをとり、畑になった野菜を食べ、
牛乳を飲んでしまって、高濃度に汚染されていることを住民が知った時はもう手遅れだったそうです。
いずれにしても、自分の娘や孫のことを思うと,こんな日本にしてしまったことを済まなく思うと共に、これから生まれてくる
人達にこの状況を受け渡さなくてはいけないことが、本当に辛いですね。

動かない方が良いという、ご友人のご意見を私もお待ちしたいと思います。

連日報道される辛いニュースの中で、奇跡的に助かった人達のことや、若い人達がしっかりとこの厳しい状況に
立ち向かっている姿に心を打たれます。

私は本当に無力だなあと。でもこれから私達が役に立てる時も来ると信じています。
人間の豊かな想像力は,豊かな体験から育まれる。
良い体験がなければよい想像力も生まれない。その為に自分の仕事が少しでも役に立てばと願っています。
同時に何年かして何事もなかったかのように、又元に戻ることがないように、みんながしっかり心に刻み込んで行かなくては
いけないですね。

Mさん、お元気で。